第二章『無知なる駒を絡ませて』(1)
第二章『無知なる駒を絡ませて』
《AM,10:00》
(耐えろ、耐えるんだ、紫牙澪斗……)
騒がしいゲームセンターの片隅で、澪斗はじっと念じている。ガンガン鳴り響く音楽、溢れんばかりの人並み、そしてもう三十分以上ここに立たされている状況に、気分が悪くなってきたのを感じていた。
「きゃー、私が映らないじゃな〜いっ」
「やっだ、押さないでってばぁ」
「あ、時間無いわよ! 早くみんなポーズとって!」
「ちょっとぉー、顔の前に手ぇ出したの誰!?」
「……」
隣りから百合恵達の騒がしい声が聞こえる。百合恵達が入っていったこのやたら大きなボックスが何なのか、澪斗は知らない。カメラの前で動作をとり、数秒間の動きを画像にでき、それを携帯端末に送信することができる……モーション倶楽部、通称『モークラ』。その画像を編集して景色まで変えられる事から、今どきの女子中高生達に大人気だということも……澪斗は全く知らない。
東京タワーの観光が終わってすぐ、次に指示されたゲームセンターへ向わされた。「何処のゲームセンターでも同じだろう、わざわざ東京にまで来なくても……」という澪斗の言葉は、百合恵達の耳も掠らず消えていった。彼はゲームセンターなどに足を運ばない為、ゲームセンターの規模だのゲームのバリエーションの数などが東京は半端ではない事も知らないのだ。
「ねぇお兄さん、今フリーなの? 一緒に遊ばない〜?」
腕を組んで突っ立っていた澪斗に、突然派手な女性から声がかけられる。この熱い中毛皮の短い上着を着、さらによく焼けた腹部を露出している。短すぎるデニムのショートパンツは、生地が裂けていた。(変な格好だな……)と澪斗はまずそう思い、無視する事にする。
「お兄さんってば! 暇なんでしょ?」
男の前に立ち塞がり、顔を近づけ、手首を掴んでくる。強烈な香水の匂いがした。
澪斗は自分が何を言われているのかやや理解できていなかった。……いや、今までその容姿のせいで逆ナンパに会った事は少なくないが、全然興味が無いのだ。ちなみに、遼平が彼を目の仇にする理由の七割がコレにある。
「……放せ、俺は今仕事中なんだ」
女性を冷たく突き放し、澪斗は不機嫌そうにまた腕を組む。嫌悪感を露わにして。
「なによ、こんな所で仕事なんてしてるわけないでしょ〜? 諦めて私と行きましょうよっ」
「本当に仕事をしている。失せろ女、貴様ごときが俺の仕事を邪魔するのは許せん」
「なんなのよ! ふんっ」
相当自分のルックスに自信を持っていたのか、プライドを傷つけられて派手な女性は怒りながら去っていった。澪斗はまた深くため息を吐く。もう三人目……いい加減、十分置きに女性に声をかけられるのは御免だった。
「…………おい清水、そろそろここを出……」
「じゃ今度は警備員さんも入って! みんなで撮ろーっ」
「何!? いや、俺はお前の警護を……」
「早くー! 始まっちゃうでしょ〜っ」
「お、おいっ、俺は……は、放せ――っ!!」
百合恵に腕を組まれて、淡緑の髪の男は『モークラ』へ引きずりこまれていき…………数秒後、叫びは消えた。
◆ ◆ ◆
《AM,10:15》
汗をかきながら、希紗はちゃぶ台の上でなにやら機械を造っていた。ドライバーを器用に扱っていた指が、ふと止まる。
「うふふふ、遂に出来たわ……」
微かに危なげなムードを漂わせた笑顔で、希紗は完成したメカを高々と掲げた。半球状の物体で、頂上に何か突起がある。
後ろでずっと見守っていた奥さんが、やっと終わったらしい作業への疑問を言葉にする。今まで、あまりの希紗の集中力に言葉がかけられなかったからだ。
「あの、それは一体……?」
「もうご安心ください! コレさえあればあんな虫っころなんて一撃ですからっ」
「ソレをどうするんです?」
「コレは一昔前の害虫駆除の道具を模範としたもので、虫達に有害な物質を霧状にして噴出する機械です。この上のスイッチを押して部屋を閉めきって数時間待つだけで、ゴキブリ、ノミ、ダニ、アリ、更には蜘蛛まで害虫全てを殺す優れモノ!」
「……蜘蛛は益虫だと思うんですけど?」
「いいえっ、あんな意味不明な脚の数と不快極まりない巣を作る虫なんて益虫とはいえませんっ! いや、全世界が認めても私が認めない!」
「は、はぁ……」
拳をぎゅっと握り締めて断言する希紗に、奥さんはやや押されていた。希紗はまだ、先程指にからまった蜘蛛の巣を根に持っているのだ。
「ふっふっふっ……その名も! 『チャララチャッチャラ〜っ、ポチッとコロリ〜!』」
「なるほど……チャララチャッチャラー、ポチッとコロリ、ですか」
「……いや、前半部分は効果音なんですけど……」
「あ、すみません」
「いえ、私が紛らわしかったですよね〜」
「ではその『チャラーポチッとコロリ』さんで早速やっつけましょう!」
「いや、だからその『チャラ〜』の部分も効果音で……」
がくっと肩を落とす希紗を、不思議そうに見つめる奥さん。かなりの天然のようだ。
「と、とりあえず早くやりましょう! じゃあ奥さん、部屋を完全に閉めきってください。私がセットしたら、マッハで部屋から出てくださいねっ」
「あのー、危険性は無いんですか?」
「部屋を開けなければ大丈〜夫ですよ。なんてったって、このロスキーパーの天才メカニッカー、安藤希紗の特製ですから!!」
「そうですか……」
胸を張って誇らしげに両手を腰に当てる希紗。そのテンションに、やっぱり奥さんは押され気味だった。(裏社会というのは、案外明るい世界なのかもしれない……)と、この目の前の警備員一人を見て奥さんは決めつけてしまう。
「よし、セット完了! 奥さん、部屋から出てくださいっ!」
「はいっ」
「ふふふふ……っ、滅せよ害虫ども! 伊東さん宅の平和は私が護るー!!」
白煙が激烈な勢いで噴出される。奥さんと希紗は急いで部屋から飛び出、障子を閉めた。ズオォォォー! という煙の荒れ狂う音が聞こえる。
「……だ、大丈夫、ですよね……?」
「も、もちろんっ(たぶん……)、あとは(祈りながら)待つだけです!」
希紗の作られた笑顔に、奥さんはすっかり信用して笑顔で返す。
心に何故か罪悪感が刺さるのを、希紗はなるべく考えないようにしていた。