第五章『悪戯の如く残酷に微笑んで喰らう』(2)
「あっ、シンっち〜! 見〜つっけたっ」
「っ!? ユリリン〜!」
刃は澪斗の首数センチ前で停止し、床へ落ちて突き刺さる。騎士鎧は新たに現れた友里依に飛びつかれて抱き合っていた。
「私を置いていくなんて、寂しかったわよ〜。もうっ、何してたの?」
「あれ? ユリリン、澪斗といなかったん?」
「澪斗くんと? 何で?」
「どうなってるん?」
愛妻を抱いたまま不思議そうな声をあげる青銅の鎧に、澪斗は痛むこめかみに吐息をついて。
「……貴様が人の話を全く聞かないからだ! 『百合恵』は、今回のクライアントだ」
「な〜んや、そうならそうと早く言えばエエやんか」
「……俺は初めに言ったがな……」
こめかみを押さえ、銃をホルスターに収める澪斗。そして視線を希紗に向けた。
「それで希紗、何故ここにいるんだ?」
「それはこっちのセリフよ、物音がしたから来てみたら澪斗が鎧と戦ってるんだもん。しかもそれ真なの? てっきり澪斗がストライキでもしたのかと思っちゃったじゃない」
「……出来るものなら俺もそうしたかったがな。貴様も仕事か?」
「えぇ。ゴキブリ駆除にね!」
「「は?」」
『ゴキブリ』……真と澪斗は久々に聞いた単語だった。まだ絶滅していなかったらしい。しかもその駆除が警備員の仕事……?
「とにかく、それぞれお互いの仕事の邪魔をしないようにするんだ。俺ははぐれた依頼人を捜す。貴様らは自分の仕事を遂行しろ」
「そういや真の仕事って何?」
「あ! あいたー、すっかり忘れておったわー。急がな!」
またガシャガシャいわせながら、真は駆けていった。その後を友里依が乙女走りで追う。そんな二人を疲労感さえ感じながら澪斗は見送った。今度、本当にストライキでも起こしてみようか……。
◆ ◆ ◆
「ね、ねぇ……ココどこ?」
「わからないわ」
「どうしよう〜、マジやばくない?」
「ってゆーか、私たち激ピンチ?」
百合恵達少女は肩を寄せ合って廊下で固まっていた。闇雲に逃げてきたら、なんだか一段と薄暗い場所に来てしまったのだ。もう戻る道筋もわからない。
「「「「……!!」」」」
誰かがこちらへ来る重い足音。全員の背筋が凍った。ゆっくりと、百合恵は気力を振り絞って角へそっと歩いていった……近づいてくる足音……鼓動が高鳴る。
角から現れたのは…………眼鏡をかけた男の巨体!
「「「「キャ――ッッ!!」」」」
「うわあぁぁっ!?」
双方が悲鳴を上げた。そしてやっぱり全員で腰を抜かして……。
「出た――っっ」
「お化け―――!!」
少女達は一目散に踵を返して走っていく。『お化け』という言葉に男はひどく動揺した。
「え!? お化けどこ!? うわあああああ〜!!」
「いやー! なんか追ってきてるわよー!?」
「怖いよーっ、お化けぇ――!!」
「お化けはどこにいるんだよぉ――――!!?」
必死に逃げる四人と、その後を泣きながら追う男。ところが、十メートルほど走ったところで百合恵達は右折し、剛山は角を左折していった。
しばらく泣き逃げた所で、剛山は先に人影を見つけた。ワラをもすがる想いで、男はその人物の腰に抱きつく。
「たた、助けてくれ〜!」
「えっ!?」
自分より半分もない小さなその人物を見上げると、なんと服を真っ赤に染めた白髪の子供!! 剛山は再び壮絶な悲鳴を上げ、幽霊(?)を突き飛ばして泣き去っていった……。
◆ ◆ ◆
純也は風に乗りながら、屋敷内を進んでいた。途中、変な悲鳴を聞いた気もするが……多分気のせいだろう。
「ロッキー、どこに行っちゃったのかなぁ」
ふと立ち尽くす純也。心配そうにリリアンが顔を見上げてくる。
「大丈夫だよ、必ず見つけるから……」
「「「「キャ――ッッ!!」」」」
「うわっ?」
近くで女性の悲鳴がした。そこへ行こうかどうか迷う。でも確実にロッキーとは関係無い気が……。
大勢の人間が駆けてくる音。そして、大柄の男がいきなり角から現れた!
「たた、助けてくれ〜!」
「えっ!?」
「……ぎゃああああああああ!!」
突如抱きつかれ、さらにその後乱暴に突き飛ばされて、純也は床に倒れこんだ。なんとか顔を上げると、何故か走り去っていく中年男が……。
「な、何だったのかな……?」
「ワウゥ?」
首を傾げる一人と一匹。また辺りを静寂が支配し始めた。
「……もしかして、ココの住人さん……かな? まいったな、ココにいることバレちゃった」
かぶってしまったホコリを払い、まだ濡れている前髪を鬱陶しそうにどける。抱きつかれたせいで、服のケチャップはかなり広がってしまっていた。
◆ ◆ ◆
「……で、貴様はここまで来たというわけか」
「そうなのよ。まったく、この私を手こずらせるなんてギッタギタにしてやるんだから!」
真の残した剣が突き刺さったままの十字路で、澪斗と希紗は互いの状況確認をしていた。
「ではノアはその為に使用されたのか?」
「あ、やっぱわかった? そういえば、ノア持ってないのになんでグラスかけてくれてるの?」
「何故だろうな。癖になってしまったのかもしれん」
「ふふ、そうなんだっ」
「……何が可笑しい?」
「べっつに〜」
嬉しそうな表情をする希紗に、澪斗は理解できない顔をする。元々この眼鏡はノア用の照準グラスだ。何故自分はかけ続けているのだろうか?
「「「「キャ――ッッ!!」」」」
二人揃って声のした方向を向く。バタバタと百合恵達が泣きながら駆けてきていた。
「あ、澪斗ー!」
「百合恵!? 貴様今まで何処に……」
「助けてーっ!!」
「何!?」
走ってきて、百合恵は急に澪斗に抱きついてきた。倒れそうな程の勢いだったので、バランスをとらなければならないほどだ。
「どうした、何があったんだ?」
「でで、出たのよ! 助けて!!」
「落ち着け。一体何が出たんだ?」
激しく狼狽えている百合恵に強く掴まれながら、澪斗はなんとか引き剥がそうと躍起になっていた。このままでは絞め殺されそうな勢いだ。
「何って、お化けに決まってるでしょっ!」
「はあ!?」
「ほ、本当に出たんですぅ〜」
「こんな大きいのが! こんなに!」
「眼鏡かけてて、超気持ち悪いのがっ!」
他の友人も同じような状況で、三人揃って喚きだす。混乱していて、何を言っているのかわからない。
「ちょっと、この子たち何なの?」
「澪斗、あの人誰?」
「あぁ、同僚だ。希紗、今回の俺の依頼人の……」
「恋人の!」
百合恵が澪斗の言葉に誤った訂正を入れる。希紗は一瞬目を見張り、澪斗と中学生程度のその少女を交互に見る。
「……コイビト?」
「そうよ、私の彼氏なの! あんた何なの!?」
「わ、私は……同僚……だけど。いつまで澪斗にくっついてるつもり?」
「何よ、『同僚』が文句あるの!?」
「文句じゃないけど、澪斗が嫌がってるでしょ!」
「嫌がってなんかないもん!」
「お、おい貴様ら何を勝手に……」
「「澪斗は黙ってて!!」」
「あ、あぁ……」
女二人の気迫に、澪斗が負けた! 裏社会で無敗の殺し屋と謳われた男が、平気で仲間の屍を跨いでいく人間が、だ。女性、恐るべし。
……しかし、そんな女性のさらに上をいく者が。静かな気配に希紗が反応する。今日何度も感じたこの気配! 敵のお出ましだ。
「澪斗、そこどいてっ」
「どうした?」
「私の敵のご登場よ!」
腰のポケットからノアを取り出して構える。澪斗達のすぐ後ろにあの気配を感じる!
「キャーッ」
「何あれ!?」
少女達が振り返ると、床一面に蠢く闇が近づいてきていた。希紗の調査通り、ここがゴキブリの巣らしい。
「とにかく全員そこどいて!」
澪斗は腰が抜けた百合恵らを押しやり、希紗の横で構える。
「何なんだあれはっ?」
「さっき言ったでしょ! ゴキブリ御一行様よ!!」
「相手できるのか?」
「そのつもりで来たんだけど……」
「……だけど?」
「やっぱ無理〜!!!」
ダッと希紗は背を向けて走り出す。要するに……逃げた。ちなみにだが、中野区支部の中で最も逃げ足が速いのが希紗だ。
「あっ、おい希紗っ!?」
少女四人を連れたまま、澪斗も希紗の後を追う。だがゴキブリ軍団は彼らを追ってきた。ガサガサガサ! と物凄い速度で六人は追われるっ!
「いや〜! 来ないで〜!!」
「希紗、逃げるなっ」
「だってぇ〜!」
「だってじゃない! 貴様の仕事だろう!」
「ゴキブリなんて気持ち悪くて相手できないじゃない!」
騒がしく走りながら口論する二人。百合恵達はまた違う意味で恐怖で泣き叫んでいた。
「なら、ノアを貸せ!」
「はいっ」
放り出されたノアを器用に受け取り、背後の蠢く闇に向かって一発引き金を引く!
吹き出されたのは霧状の白煙。シャワーのように拡散して虚空に広がっていくだけに終わる。
「希紗ー! 何だこれはっ!」
「だからゴキブリ駆除剤に決まってんでしょー!」
「全く効いていないではないかっ!」
「狙いが外れてるのよ! ちょっと上を狙うのがポイント!」
「知るか――!!」
澪斗の疲労に溢れた怒声が、木霊した。