第三章『あらゆる災難を呼び起こし』(1)
第三章『あらゆる災難を呼び起こし』
《PM,1:00》
「今度は何を造ってるんですか?」
奥さんが、希紗におずおずと話しかける。希紗の手元には手のひらに収まるほど程の鉄の箱が完成間近だった。
「あぁ、コレはですね、この銃のカートリッジです。『カートリッジ』っていうのはその銃専用の弾丸が組み込まれたモノで、私が作っていたこの箱がこの銃のカートリッジなんですよー」
得意気に希紗はカートリッジ式銃『ノア』を取り出してまだ完成はしていないカートリッジを差し込む。すると、緑色のランプが点灯し、小さく起動音が鳴る。
「ほ、本物ですよね!?」
「心配いらないですよ、カートリッジに実弾入れてませんから。これは害虫駆除の最終兵器です! 普段は違う人が使ってるんですけど……」
「警備会社に害虫駆除専門の方がいらっしゃるんですか!?」
「いや違いますよ〜、あははっ」
一瞬、ゴキブリ相手に奮闘する澪斗の図が浮かび、希紗は笑いを堪える事ができなくなった。本来ノアは澪斗の為に作られた銃で、カートリッジの弾もその都度違う。今回は駆除用の液体だ。
「あのぉ、私何か可笑しい事言いました?」
「すいませんっ、ちょっと変な想像しちゃって。コレをいつも使ってる人の事を」
「その人はどうして今日はソレを持っていないんですか?」
「それが……なんか機嫌でも悪かったみたいで、むすっとした顔で突っ返されちゃったんです。『貴様が持ってろ』って……」
少し哀しそうな表情で希紗は微笑む。必要無いと言われたも同然だ、メカニッカーの希紗としては辛い。しかも澪斗に。
「でっ、でもその人は他にも武器持ってますから心配はいらないんですけどねっ! 今回はいらなかったのかも……」
自分でフォローするように希紗はパタパタと顔の前で手を振る。左手に収まっているノアが、何故か、重い。
「……心配だったんじゃないですか? あなたの事を心配して、その人はソレをあなたに持たせたんじゃないでしょうか」
「え、まっさかぁ〜。そんな他人の事を考える人間じゃないんですって! いつも無口で何考えてるかわからないし、冷酷だし協調性の欠片も無いし……でもただ馬鹿みたいに真っ直ぐで……その……たまに優しさっぽいトコロもあって……」
段々言葉が小さくなって、それに従って俯いていく希紗を温かな笑顔で奥さんはじっと見ている。
「大切な人なんですね」
「えっ!? い、いやそ、そんな……ただの同僚ですよっ」
頬を赤らめて言う希紗に信憑性はあまり無かった。恥かしげに俯く希紗と、微笑む奥さんの間に少しだけ沈黙が流れる。人生の先輩である奥さんは、希紗の僅かな言葉から色々と察したようだった。
『ピヨピヨ〜、ピヨピヨ〜!』
突如奇怪なアラーム音が希紗のポケットから鳴る。希紗がゴソゴソとポケットを漁って出した『ぜんまいアヒル』が、この変テコな音楽の元凶らしい。
「よし、もう時間ね。私が部屋を開けますから、奥さんは隅でしゃがんで息を大きく吸って止めていてください」
「そんなに危険なんですか?」
「念の為、ですよ。さぁ、開けますよーっ!」
自信の笑みで障子に手をかけ、希紗は……!
隅で息を止めていた奥さんは見ていた、勢いよく障子を開けた希紗が猛烈な息吹に襲われる、その瞬間を。ポニーテールにされた茶髪はゴムが吹き飛んでなびき、白煙の中の希紗のシルエットは動けぬまま必死に障子にしがみ付いていた。その間はたった数秒程度だったが、あまりにも長く感じられる衝撃映像だった。
……やっと吹き出す煙は収まり、視界に白以外の色が戻ってくる。今度奥さんが目撃したのは、服どころか顔や頭髪まで真っ白な警備員。それでもなんとか立ち上がって問題の部屋に入ろうとするその姿は、まさに夜叉!
「ごほっ、げほっ! ちょっとタイミング外しちゃったわね〜、でもコレで任務完了よ!」
勇んで一歩踏み込んだ希紗の眼前に広がっていたのは、まさに虫達の地獄絵図であった。部屋の四隅で巣ごと落とされた蜘蛛が仰向けにとっくに息を引きとり、もがいて畳の表面に出てきたのであろうノミやダニの死骸で床は埋め尽くされ、見事に死滅されていた。だが。
「ここまでパーフェクトに出来たのは感激なんだけどー、我ながらコレはちょっと勘弁だわ……」
悦に浸るべきなのかどうか微妙な表情だった希紗の横で、カサカサ、と身の毛のよだつあの音が。
まさか……まさか、そんな。あれだけの駆除剤を撒いたのに!?
そんな驚愕の顔さえできない希紗の斜め前方に、まるで嘲るようにソレは現れた。しかも、今度は数匹のお供連れだ。
「あんた、どうして!?」
ゴキブリに問い掛けても、触覚が気持ち悪くうねるだけ。希紗は瞬時にノアの銃口を向け、発砲する!
だが、カチンッと空振りに終わる。そうだ、このカートリッジはまだ未完成。
「あ、もうっ」
そして生き残ったゴキブリ達は悠々とタンスの陰に逃げていった。昆虫に挫折の苦汁を舐めさせられ、希紗は力無く膝を落とす。負けた……完璧だったはずの自分のメカがっ!
「あの、ご無事ですかっ?」
「この私の本気に火を点けたわね……」
「あ、安藤さん?」
「いい度胸じゃない! 私は天才メカニッカー安藤希紗っ、今ココに、ゴキブリの撲滅を宣言する――!!」
ノアを掲げ、希紗は天井に向って大きく宣戦布告をする。そんな警備員より、奥さんは地獄絵図と化した部屋の片付けをひどく心配していた。