三階の奥さん
あら、おたくも今、買い物帰り? ほんとに主婦って大変よね。
そうそう、あなたの三階のとこの奥さん、変な人だからあんまり近づかないほうがいいわよ。あら、知らないの? そうよね、去年、越してきたばかりだし、仕方ないわよね。
あの人、おかしいのよ。
わたしたちがこうして昼間だか、夕方に買い物に行ったりするじゃない? でもあそこの奥さんはそういうのしないのよ。
どうやって生活しているかですって? そりゃ、旦那さんが甲斐甲斐しく仕事帰りにスーパーに寄っているのをしょっちゅう見かけるわ。しょっちゅうよ。
それで聞いたのよ。「奥さんはご病気?」って。そしたら「ええ、まあ」なんて言い淀んでいたわ。ほんとに変な人よね。
あそこの奥さん、ずっと家に引きこもってらしててね。町内会の集まりも、重要じゃないものは欠席しているわ。ね、変な人よね。それでね、わたし、その旦那さんに色々お話を聞いたの。
「お仕事も家事もしてらして、すごいですね」って。
わたしは心配しているのよ? なのに、旦那さんったら「俺は苦ではありませんから」って。なんだか、うちのと交換してほしくなっちゃったわ。
「それに俺のためにしてくれることもありますよ」なんて言うもんだから、わたしも気になって聞いたの。
「俺のために小説を書いてくれるんです」
もう、わたし、笑っちゃって。あ、失礼なのは承知してたからすぐに謝ったわよ? 当たり前じゃない。わたし、あの奥さんみたく、変な人じゃないもの。
旦那さん、さすがに眉間に皺を寄せていたけど、わたしが謝ったらすぐに笑ってくれたわ。
でも、小説ですって、小説。そんなの本屋に行けば売るほどあるのにね。やっぱり、あの旦那さんも変わった人なのかしら?
それで、町内会の清掃活動の時に、わたし、奥さんに突撃しちゃったの。「あなた、小説家なんですって? お名前はなにで活動しているの」って。そしたらあの奥さん、目をきょろきょろさせて小さい声でこう言ったの。「私はただの素人で、インターネット上で無料公開しているんです」って。
ほら見たことかって思っちゃったわ。ただの趣味じゃない。でも、わたしも話題になった本――東野圭吾の『容疑者Xの献身』とかね――は読むからペンネームを聞き出して――すごく嫌がってたけど、ネットで検索したの。
小説家になろうとカクヨムっていうサイトがヒットしたから、先に表示された小説家に――の方を読んでみたんだけどさあ……ほんとに素人の作品って感じね。書き出しはともかく、中盤が長ったらしくて、同じ事を何度も繰り返して文字にしているだけよ。しかも、最後のオチ、あれは『逃げ』ね。きっと、書くのに疲れちゃったんだわ。
でも見たら、短編が四十超えてて、連載中もあるみたい。全部は読まなかったけどね。
それにしても、主婦業をおろそかにしてまでやることかしら。わたしには理解できないわ。それにわたしならあの人よりすごい作品を書ける自信があるの。だってあの奥さん、高卒でしょ? なら大卒のわたしならもっと上手く書けるに決まっているわ。
だから、わたしもふたつのサイトで書いてみることにしたんだけど、意外と読まれないのよねえ。
異世界? とか追放? っていうのじゃないからかもしれないけど。それでもあの人よりは作品の質ではマシね。そんなの読み比べなくてもわかるもの。
でも、解せないのは、あの人のは感想がポツポツついているのよ。ほんとにわからないわ。
あ、もしかしたらあの人より遅く登録したからかしら。ネットの人って、わかってくれないものね。
わたし、公募しようかしら。だってネットだとあの人の工作で感想を送らないように仕向けられてるかもしれないじゃない。公募だとプロの編集者が読んでわたしを正当に評価してくれるに違いないわ。
え? 公募も下読みの段階で落とされることもあるですって? ……なんで今井さん、お詳しいのかしら。ネットの記事で読んだ? ――ああ、そうなの。最近はそんなのもあるのねえ。
でも、わたし、あの奥さんに勝ちたいのよ。評価されて賞でもとったら、「私は主婦業もちゃんとした上で、あなたのフィールドでも勝ったのよ」ってね。高らかに自慢してやるの。悔しそうな顔を見るのが楽しみだわあ。
どうしてあの奥さんにこだわるのか、ですって? だって旦那さんがあんなに優しくて気持ちの良い人なのに、わたしの旦那はやれ飯がまずいだの、子どもの教育をちゃんとしろだの、うるさいのよ? ならわたしも社会人時代のようにちゃんと評価されたいじゃない。
自分なりに改善したOJT資料を褒められたり、会議資料も読みやすいって言われたこともあったかしら。そうよ、あの頃から文才はあったのね。
結婚して、主婦がこんなに報われないものだなんて思わなかったわ。ほんとはあの旦那さんみたいに優しくて思いやりのある人と、親譲りの賢い子に囲まれて暮らしたかったわ。でも、現実はぐうたらで口だけ出す旦那に、万年赤点の子ども。わたしの血が濃かったら子どもも賢かったのに、きっとうちの旦那の血が濃いせいね。顔だってあの人に似ているし、口の聞き方だって似てきたのよ? 信じられないわ。わたしはこんなに頑張っているのに、全然上手くいかないの。ああ、やだやだ。愚痴ばかりでごめんなさいね。
私は伊藤さんの話を切り上げ、そそくさと帰った。
どうもあの人は苦手だ。話は一方的だし、他人の愚痴ばかり。もうこの時間に買い物に行くのはやめておこう。
そう思いながら、三階の奥さん――江藤さんとのお茶会の約束を取り付けたのだった。




