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下町の魔法屋『霧の魔女堂』  作者: あどん


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司書と禁書と魔法の扉(前)

朝靄が王立図書館の大庭園を薄く覆う頃、私は書架の整理を終えて一息ついていた。王立図書館勤務23年目。私の名はエレナ。司書長として働く日々は単調ではあるが充実している。窓から射し込む陽光の中、埃が舞うのが見える。本棚の合間を縫うように歩くと古い紙の匂いが鼻腔を擽った。王城の一部であるこの建物は築300年の歴史を持つ。蔵書数は30万冊を超え、国の知識が集積している場所だ。


机に戻るとすぐに司書の一人がお茶を運んで来てくれた。彼女はまだ若いが熱心な新米司書だ。


「エレナ司書長、お疲れ様です」

「ありがとう。どう司書の仕事はなれた?」

「はい!毎日新しい知識に触れられて楽しいです!」


その純粋な答えに微笑む。この職場を去る時が来ても次の世代は育っている。それが私の一番の喜びだ。


シューーーーーーッ


空気が吹き抜けるような不思議な音が聞こえてきた。


「ん?何の音かしら?」

「ああ、『魔道清浄具』ですよ。埃を吸い込む魔道具です」

「『魔道清浄具』?」


新米司書が持ってきたのは筒状の金属製の道具だった。吸引口から細かな埃が吸い込まれていく。


「最近導入されたんですよ。見てください!」


彼女が書棚の下部を掃除すると、蓄積していた埃がすーっと吸い込まれていく。なるほど便利な魔道具だ。


「これを使ったらお掃除が格段に早くなりましたよ!」

「便利な世の中になったものね」


魔道具の進歩は目を見張るものがある。最近は日常生活で使われる魔道具が増えてきた。使い勝手も良くなっているが一方で高価であり、庶民にはまだまだ浸透していないようだが……。


「まあ図書館が綺麗になるのは良いことよね。うまく使ってちょうだい」

「はい!」


笑顔で新米司書は戻っていった。新しい技術が入ってくることは良いことだ。伝統を守りつつも革新を受け入れることは重要だと自負している。



ーーー



「さて、残っている仕事は禁書庫の確認だけね」


禁書庫とは重要文化財や危険な魔法に関する書物を保管する特別エリアだ。書物の内容によっては国家機密に関わるものも多い。入口には特殊な魔法の鍵がかかっている。この鍵は私が一本。もう一本は王家の宝物庫に保管されている。通常であれば許可を得なければ入れない。入室者は厳格に管理されているのだ。司書長である私は特別に入室権限を与えられているのだ。


「では行ってくるわね」


同僚の司書に告げると私は地下への階段を下りた。一段ごとに足音が響く。この図書館の地下一階に禁書庫がある。一般の利用者が立ち入ることはできない最重要エリアだ。古びた扉の前に立つと呪文を唱える。


「『我が声によりて開かれよ』」


呪文……という名の合言葉だ。この言葉を知らないと扉が開くことはない。鍵穴に差し込まれた鍵の魔力を感知した扉が重々しい音を立てて開いた。中は独特の古書の香りで満ちている。この部屋自体が強力な魔法がかけられているそうだ。部屋全体に封印の魔法陣が描かれている。


「さて……始めましょうか」


中央の机に置かれた禁書目録を見ながら書物を確認していく。『禁忌の変質術』『封印された竜族の言語』『闇の盟約』などなど。どれも魔法全盛期から伝わる危険な内容だ。不意に『召喚』と題された分厚い本が目に留まった。表紙には複雑な紋章が描かれている。これを読むには相応の魔法知識が必要だ。好奇心からぱらぱらとページを捲る。羊皮紙に綴られた古いインクの字。これは伝説の魔女パンドラの弟子が書いたとされる召喚術の指南書だ。書庫内で読み進めることは可能だが……おっと、今は仕事を片付けなければいけない。


書物を元の位置に戻す。その時――シュゥゥゥと軽快な音が遠くから聞こえてきた。新米司書が『魔道清浄具』を使っているのだろう。しばらくすると扉がノックされた。


「失礼します。えっと、この中はお掃除しますか?」

「いいえ。ここは禁書庫なの。特定の人しか入室できない場所だから他の場所をお願いね」

「はーい!分かりました!」


まだ配属されたばかりの司書は、ここが禁書庫だと知らなかったのだろう。軽い返事と共に足音が遠ざかる。さて、もう少しだ。頑張ろう。私は棚に戻ると確認作業を続けたのだが……。


「あら?」


古代魔法が整理されている棚を確認している時だった。棚に並んでいるはずの『古代魔法の秘伝書《星霊の交信》』がない。


「確か先週確認した時はあったのに……」


先週確認したのも私だ。入室できる者は限られている。禁書庫は外から持ち出すことは禁止されている。扉の鍵は魔法全盛時代に作られた魔法の鍵だ。今の時代に解析できる者など今の王国内にはいないだろう。誰も入れないはずなのに、本だけが消えた……。これは一大事だ。


「まさか……誰かが盗んだのかしら」


不安が胸をよぎる。禁書は貴重な資料だ。物によっては危険なものもあるという。もし外部に流出しているとすればどんな災厄を招くか分からない。冷や汗が背筋を伝う。迷っている暇はない。私は急いで上司である館長に報告したのだった。



ーーー



私は『霧の魔女堂』の扉を押し開けた。カランカランカランとドアに付けられた鈴が乾いた音を立てる。外の喧騒が遮断され、古い木の匂いと薬品の甘酸っぱい香りが混ざり合う空間だ。


「アリシア!いる?」


呼びかけると、店の奥から足音が近づいてきた。現れたのは子供の頃と変わらぬ金髪と緑色の瞳を持つ美女——いや美少女と言ったほうが正しいかもしれない。エルフの血を引く彼女は、私の子供時代から寸分違わず同じ姿だった。長い金髪。薄紫色のローブをまとった姿はまるで妖精のよう。彼女の美貌は時の流れを超越しており、憎らしいほどに美しい。


「あらあら。エレナじゃないの」

「ひさしぶりね。アリシア」


魔女は相変わらずだった。彼女にとって時間は流れの意味を持たないのだろう。私だけが老いの道を歩んでいる。


「あんたは相変わらず若々しいわね。私なんて皺が増えるばっかりよ」

「そんなことないわよ。大人の魅力ってやつでしょ?」

「どうだか……」


アリシアは揶揄うように笑った。子供の頃から変わらない悪戯っぽい笑顔。この店『霧の魔女堂』もまた昔からここにある。外見こそボロっちいものの内部は定期的に補修されているのだろう。店自体が年季が入った木造建築なのに中身はいつも小綺麗にされている。


「それで今日はどうしたの?」

「聞いてよ!!アリシア!!」


私は禁書盗難の件を話し始めた。


「実はね……禁書庫の書物が一冊なくなってしまったの」

「あらまあ」


アリシアは興味深そうに眉を上げた。


「禁書庫ってどこにあるの?」

「王立図書館の地下にあるわ。扉には魔法全盛時代に作られた魔法の鍵がかけられているのよ」


この説明で彼女が理解したかどうか怪しいがとりあえず続きを話すことにした。彼女は頷きながら聞いてくれているので悪い反応ではなさそうだ。


「点検をしていたら本の一冊が消えていたのよ。鍵は私が持っていて、鍵の開け方を知る者は少ないわ。禁書庫に入るには館長の許可が必要だし」


禁書庫は一般の入場制限がある区域よりもさらに奥。関係者以外は近寄ることはない。


「でもそれって……」

「そう。館長か私しか入れないのよ。だから私が疑われる羽目になったってわけ!」


アリシアは一瞬考えてから私に問いかけた。


「鍵はいつもどこに保管してるの?」

「鍵用の保管庫の中」

「保管庫の鍵は?」

「私が持っていて、鍵が必要な場合は私が出して渡してる」

「あなたが居ないときは?」

「館長が出して、必要な人に渡している」


うーんと考え込むアリシア。


「つまり鍵保管庫の鍵を盗んで、さらに禁書庫の鍵を盗まないといけないのね」

「さらに合言葉が必要なのよ。だから合言葉を聞き出さないと開かないわ」


「そのタイプの魔法の鍵か」とアリシアは呟く。詳しいことは分からないが、魔法の鍵には種類があるのだろう。


「でもそもそも禁書庫って警備が厳しいんでしょ?」

「もちろんよ。だから誰も近づかないわ」

「じゃあ、どうして禁書がなくなってるって気づいたの?」

「禁書庫は週に一度、確認作業があるの。私が担当者よ」


私はため息をついた。


「じゃあ、あなたの前に入ったのは?」

「私なの!!今週も、先週も、先々週も!禁書庫の管理は私の仕事なの!!ここ最近で入ったのは私だけなの!!」


黒猫のアルカポウネが横から割り込んできた。


「吾輩に言わせれば……エレナが怪しまれるのは当然じゃろが」


黒猫の言葉に私は言い返す気力さえ失いかけた。この使い魔とも付き合いは長い。子供のころは追いかけて怒られたものだが。


「予備の鍵とかないの?」

「王家の宝物庫に保管されている……」

「じゃああなたが犯人ね」

「私が盗むわけないじゃない!」


思わず声を荒げてしまった。アリシアの軽口に腹が立ったのだ。私にとって図書館は人生そのものなのだ。その宝である書物を盗むなどあり得ない。


「まあまあ、落ち着けエレナ。お前さんが盗んだとしたら、自分で報告するのはおかしいじゃろ」

「そうでしょ!?」

「普通ならバレないように工作するとか、盗んだあと遠くに逃げるとか色々考えるわよね」

「そうそう!私が盗んだんだったら報告なんかしないわよ!」

「でも鍵を持ってるのはあなただけなんでしょう?」

「ぐぬぬぬぬー!!!」


そうなのだ。禁書庫は二重の意味で秘匿されている。魔力の鍵と合言葉の両方が必要だ。合言葉を盗み聞いても鍵がなきゃ開かないし、鍵を盗んでも合言葉を知らなきゃ開かない。それを知っているのは図書館内では私と館長だけなのだから。


必然的に私か館長のどちらかが犯人となってしまう。そして館長は禁書庫には近づいてもいない。


「うーん。そもそも扉にかけられている鍵は魔法全盛時代の魔法なのよね。今の時代にその鍵を解析して開けられる人はいないと思うわ」

「そうなのよ。だから鍵を持っている私が疑われるのはもっともだけど……もっともだけど!納得いかないわ!!」


アリシアは腕を組んで考え込んでいる。


「お願いアリシア!私を信じて!」


彼女はにっこりと笑った。その笑顔は昔と全く変わらない。


「もちろんよ。私は友達を信じるわ」


胸の奥が温かくなった。やはり彼女は変わらない。子供のころからずっと同じ優しさを持ち続けてくれている。


「ありがとう……」


涙が出そうになるのを堪えた。あんなに些細なことで怒っていた自分が馬鹿みたいだ。


「それにしても本当に不思議じゃのぉ。鍵が閉まってて誰も入れないのに本だけ消えるなどと」


アルカポウネが渋い顔でそんなことを言う。


「そうなのよ。完全な密室状態のはずなのに本だけ消えちゃうなんて……」


アリシアが突然立ち上がった。


「ねえ。ちょっと行ってもいい?」

「どこに?」

「王立図書館よ」

「え?でもあなたが行ったところで門前払いされると思うわよ?」

「そこをうまくやってちょうだい。司書長の権限でお願い」


軽い口調での要求に苦笑いするしかない。昔からこうだ。自由奔放で思いついたらすぐ行動。人付き合いも基本が軽いからか簡単に頼み事を聞いてしまうのだ。


「しょうがないわねぇ。とりあえず頼んでみるわ」

「やったぁ!」


アリシアは小さなガッツポーズを見せた。その仕草も変わっていない。


「それにしてもなんでそんなに楽しそうなの?」

「だって謎解きってワクワクするじゃない?」


アリシアは目を輝かせていた。そうだ。彼女はこういう時の表情が特に美しい。好奇心旺盛なところも変わらない。昔からそういう人なのだ。私はため息をつきながらも自然と笑みがこぼれていた。

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