戦士と魔剣と魔晶石(後)
あれから数日後。俺が再び訪れると店の奥にある工房へと通された。
「さあ、どうぞ」
アリシアが差し出したのは、以前よりも明らかに風格を増した俺の剣だった。鞘は磨き上げられ鈍い銀色の光を放ち、柄に施された装飾は複雑でありながら洗練されている。
「これが……俺の剣か?」
「ええ。新しいエンチャントした魔晶石に入れ替えたのと剣自体の研磨。あと鞘も柄もボロボロだったから新調しておいたわ。以前よりも頑強で、扱いやすくなっているはずよ」
受け取ると、その感触に息をのんだ。ずっしりとした重みは健在だが、以前のような押さえつけるような頑なさがない。手に吸い付くようなフィット感と、滑らかな重心移動。まるで剣自身が呼吸をしているかのようだ。
「試してみるといいわ」
アリシアに促され裏庭へ向かう。軽く素振りをすると、風を切る音が鋭く響き渡る。以前は多少の無理を感じていた型も、今は淀みなく流れるように繰り出せた。
「これは……凄いな」
思わず声が漏れる。以前よりも遥かに自在に操れるようになった我が剣に、驚きを隠せない。
「私も専門じゃないから色々工夫したけど、気に入ってもらえたならよかったわ」
満足そうに微笑むアリシア。たしかエンチャントは専門じゃないと言っていたが、これで専門じゃないのか。改めて彼女の技量を思い知った。この剣があれば、俺は更なる高みを目指せるだろう。そんな確信があった。
ーーー
それから一週間後。俺は、山岳地帯でのワイバーン討伐任務を受けていた。ワイバーンは中堅冒険者にとっても油断できない強敵だ。
今日は三人パーティを組んで現場へ向かう。斥候兼弓兵のリナと回復役のエドガー。二人ともB級冒険者だが、ワイバーンは侮れない。
「そろそろ目撃情報があった地点ね。注意しましょう」
リナが木陰から周囲を伺いながら警告する。エドガーが杖を握りしめる。俺は静かに新しい魔剣を抜き放った。青白い光が刀身を一瞬だけ走る。
「来るぞ!」
鬱蒼とした森の中から甲高い咆哮と共に巨大な影が躍り出た。ワイバーンだ。俺たちは即座に臨戦態勢に入る。
「任せろ!」
俺は先陣を切って飛び出した。以前ならまずは距離を取り、仲間の支援を待ちながら慎重に攻め込むのが常だった。だが今は違う。新たな魔剣に導かれるように体が軽い。行ける……確かな感覚が俺を突き動かした。
「ドルトン!?」
驚くリナの声を背にワイバーンの側面へ回り込む。翼を広げて威嚇する巨体へ向けて魔剣を一閃。
「ハァッ!」
青白い魔力の刃が拡散し、ワイバーンの鱗を焼き裂いた。剣撃に乗せて放たれた衝撃波が岩をも砕く。ワイバーンが怒りの雄叫びを上げて尾を振るってくるが、その動きが妙に遅く感じる。最小限の動きで回避し、逆にその巨体へと斬り込んだ。
「グォォォ!」
決定的な一撃。ワイバーンは地響きを立てて倒れ伏した。今までなら数人がかりで苦戦していた相手を、たった一人で沈めたのだ。
「……え?」
「嘘……でしょ?」
後方にいたリナとエドガーが呆然と呟くのが聞こえた。彼らもまたワイバーン討伐の経験は豊富だが、ここまで一方的に叩き潰したことはなかっただろう。俺自身も信じられない思いで剣を見つめた。確かにこれは俺の力だ。だがそれ以上に、この剣が俺に力を与えてくれている。そう強く感じた。
ーーー
吾輩は、定位置であるカウンター上で昼寝から目を覚ました。魔法屋の工房に漂う匂いが鼻につく。埃と香草と古い羊皮紙の混ざった独特の臭いだ。
「うぅん……クロちゃん!クロちゃんこれ見て!」
突然聞こえた甲高い声にびくりとする。振り返ると、亜麻色の髪をふわりとさせた小柄な少女――ミーアがぴょんぴょんと跳ねていた。右手にはキラキラと輝く石を大事そうに握りしめている。
「アルちゃんと呼べとあれほど……なんじゃこれは」
「えへへ。これ見てこれ!」
彼女は私の目の前にぺたりと座り込み、その石を差し出してきた。透き通るような透明の石が朝日に照らされて七色に輝く。ん?これは魔晶石か。ただの石の塊だったが今は見事に研磨されている。
「ほう。こりゃまた……随分と美しい魔晶石だな。大したもんだ」
「でしょー?お仕事ずーっとやってたんだから!」
「遊んでおるだけのくせに……」
「お仕事!!遊んでなんかないもん!ミーアが一生懸命磨いたんだよ!」
「はいはい、わかっとるよ」
ぷっくりと頬を膨らませたミーアを適当にあしらいながら視線を逸らす。この娘の気まぐれさには慣れたものだ。やることがあると徹底的に集中するくせに飽きるとポイだ。
その時、工房の奥から焼き菓子を載せた皿を持ったアリシアが現れた。
「ミーアどう?ちゃんとできた?」
「アリシアお姉ちゃん!見てみて!すごくきれいになったでしょ!」
ミーアはぱっとアリシアのもとへ駆け寄り、誇らしげに研磨した魔晶石を掲げる。アリシアはふわりと微笑みながら受け取った。
「うん、素敵ね。ミーアちゃんの才能には脱帽だわ」
「えへへー!もう一つ頑張る!」
焼き菓子を一つ咥えるとミーアはそのまま軽やかに裏庭へと走り去っていく。その背中を見送りながら、吾輩は改めてアリシアに向き直った。
「おいアリシア」
「なあに?」
「お前さん、ドルトンの件はちとやり過ぎたのではないか?」
「ドルトンさんの件?」
「あの魔晶石だ。あの仕事。本当に依頼したらいくらになるんじゃ?」
「えーと……質と量を考えると、金貨……ざっと700枚くらいかしら」
「700枚!?」
思わず大声が出てしまった。アリシアは悪びれもせず肩をすくめる。
「依頼するならね。あの質と量を取りに行くなら魔大陸まで行かなきゃいけないし」
「無償で剣を直してやったとはいえ随分な仕打ちじゃな。ドルトンも気の毒な……」
「そんなことないわよ。そもそも魔晶石なんて今の時代じゃ使い道ないし」
むう……確かにそうだ。魔晶石は、魔道具や武器のエンチャントに使われる貴重品だが、現在では用途が極端に限られている。それも代替品が開発されている部類だ。つまり魔晶石が使われていた昔の魔道具を修復するような……今回のような特殊なケースにしか使い道がないということか。
「それじゃあ残っているあれは売れないのか?」
「そうねぇ。どっかの研究機関とかが買うかしら?それとも宝石として売る?」
「宝石が欲しいなら宝石を買うんじゃないか?」
「でしょ?だから売れないと思うわ」
「じゃあ、あれはミーアの遊び道具か?随分高価な遊び道具じゃのう」
裏庭を見るとミーアが新しい石を探しているのかキョロキョロしている。遠目に見る少女の笑顔にアリシアも柔らかい表情を浮かべた。
「ま、ミーアが喜んでくれたならよかったんじゃない?」
「ふん。ドルトンにはあとでちゃんと礼をしておくんじゃぞ」
「はいはい。クロちゃんも素直じゃないわね」
「わしはアルちゃんじゃ!名前くらいちゃんと言え!」
アリシアは「それを言うならアルカポウネでしょ」と笑いながら厨房へと歩いて行った。やれやれと思いながら毛づくろいを始めた私は、遠くで楽しそうに石を捏ね繰り回しているミーアの影を眺めていた。この平和な時間がいつまでも続けばいいがな……そんな思いを抱きながら、再び丸くなって瞼を閉じたのだった。




