戦士と魔剣と魔晶石(中)
次の日の朝。
約束通り時間通りより、少し早めに店に訪れると、まだ眠そうなアリシア出迎えてくれた。
「おはよう。今日はよろしく頼む」
「ふぁ~おーはーよーうー早かったわね」
「ああ、早い方がいいと思って来たんだが……眠そうだな」
「んーだいじょうぶー」
たしかに店を開ける時間よりはだいぶ早いだろう。アリシアは欠伸をしながら体を伸ばしている。まだまだ眠たそうだ。
「ドルトンさん。今日はよろしくね」
「ああ任せてくれ。で、どこに行くんだ?」
こっちと店の奥から裏庭へと移動する。裏庭は雑草もなくキレイに整備されていた。そこに扉だけがポツンとひとつ置かれている。壁もない場所に、扉だけ地面に直接置いてある。
「なんだこれは?」
「なにも無くてもいいんだけど、あるとイメージしやすいのよね」
見ればわかるでしょと言わんばかりの説明だが、それでは全然わからんぞ。
「アルお願いね」
「やれやれ……吾輩がやるのか」
「ね、猫がしゃべった!?」
「あ、アルカポウネを紹介してなかったわね」
俺たちの様子を見ていた猫が突然喋り始めたことに驚いた。アルカポウネと呼ばれた黒猫は、自慢げに胸を張って見せる。
「吾輩はアルカポウネ。魔界大公爵に数えられたこともある大悪魔じゃ」
「今はただの猫だけどね」
悪魔?なのに今は猫なのか?混乱している俺にアリシアに「使い魔よ」と追加の説明をしながら、アルカポウネと呼ばれた猫を撫でる。アルカポウネは、なんだか満更でもない感じで喉をゴロゴロと鳴らしていたが。
「む、もう少し封印を解放してくれ」
「これくらいで十分でしょ」
「やれやれ……まあ良いか」
アルカポウネはそう言うと扉の上に飛び乗る。すると淡い光が扉全体に広がっていく。さらに円状の模様が浮き出てきた。
「これは魔法陣か?」
俺の驚いた声に反応することもなくアリシアが呟く。
「……《記憶の道標》(メモリア・ポータル)」
扉は眩い光を発すると静かに開いていく。
「さあ行きましょう。ドルトンさん」
ーーー
扉を潜り抜けた先には、ゴツゴツとした岩山と荒野が広がっていた。乾燥した風が砂埃を巻き上げ、肌を刺す陽射しが照りつけている。遠くには鋭い牙のように突き出した巨大な岩柱群が見える。
あまりにも殺伐とした風景に眉をひそめながら振り返る。すると……そこにはさっきまでいた魔法屋の裏庭が変わらずに存在していた。荒野の真ん中にポツンと現れた人工的な空間。草花が育ち、掃除の行き届いた美しい裏庭だ。
「これは転送陣か?」
転送陣に入ると別の転送陣へと転送される魔道具があるのだが、かなり大型で設備の整った建物が必要だ。その設置費用と維持費はバカにならない。たしか一般の人でも利用可能だが、転送できる距離が短い割にとても高額な料金設定となっている。国や組織からの委託で物流を担っている運送業者なら別だろうが、普通の人は余程のことが無い限り利用しない。
「これは似てるけどちょっと違うわね。これは【思い出の場所に行く魔法】よ」
なんでも記憶に刻まれた『印象に残った場所』へと空間を繋げる魔法で、転送陣のように既存の目的地を選ぶわけではなく、持ち主の記憶から直接空間を歪める魔法だそうだ。
「だから行ったことがある場所にしか行けないわ」
「むしろこちらの方が凄いではないか……」
説明を聞かされても理解できない領域だった。自分が知る魔法は、せいぜい火を起こしたり風を起こしたりする程度だ。空間を操作するなんて規格外すぎる。これが本物の魔法使いなのだろうか。
「そう?昔はこれくらいできて普通だったのよ」
「昔というのは……」
彼女の年齢は若く見えるが、もしかしたら外見以上に老いているのかもしれない。尋ねようとして、思いとどまる。迂闊に触れられない領域があることを察したからだ。
「えっと、それでここは一体……」
「魔大陸よ」
「魔大陸!?人類が最後に訪れたのは200年以上も前だと聞いたことがあるが、その魔大陸か!?」
「そうよ」
魔大陸。遥か西に位置する大陸で人類圏からは非常に遠い。強力な魔物が住み、過酷な環境故に人類が未だに完全に制覇出来ていない場所だ。そんな土地にまさかこんな形で足を踏み入れる日が来るとは思わなかった。
「人も住んでるし交流もあるはずよ。魔物は強いけど。遠く離れた大陸の話だし認識はそんなもんよね」
そうなのか。知識としては知っているが実際に訪れたわけでは無いからな。
「で、ここで一体何を探すんだ?」
「『魔晶石』よ」
「魔晶石……?」
聞き覚えがない名前に首を傾げていると、アリシアが補足してくれる。
「魔力の塊のような石でね。エンチャントには魔晶石を使うわ。あなたの剣にも魔晶石が使われているのよ」
「そうなのか?」
「実戦で使う剣なら見えないように加工してるのよ。魔晶石は研磨すると透明の宝石のようになるわ。宝石が付いた剣ってどう思う?」
「ダサいな」
「あなたならそう言うと思ったわ」
アリシアが苦笑する。貴族の儀礼用などならともかく、俺のような冒険者が使うなら邪魔でしか無い。盗まれる心配も出てくる。
アリシアは「はい、これ」と、一本の剣を出してきた。俺が持っている剣と同じくらいの大きさの黒い両手剣だ。
「これは?」
「持ってみて」
「これは……重い!?」
恐る恐る持ち上げると、予想以上の重さに驚く。見た目に反して想像以上に重かった。
「あなたの剣はそれ以上使って折れちゃったら面倒だから、今日はそれ使って」
「わ、わかった」
「それも魔剣よ。【頑強】【修復】【重量増加】のエンチャントがかかっているのよ」
「【重量増加】……そう言われてみると異常な重さではないな」
よく触ってみると鉄にしてはやたら重い。しかし鉄より重い金属になるとさらに価値が上がる。そのような素材が剣になる事はまずない。
「その剣は【重量増加】のエンチャントによって重さが増しているの。重くて頑丈だから簡単には壊れることがない剣よ」
「ほう」
そう言われると途端に面白くなる。剣にも色々種類がある。いつもと違う剣を使うのも意外と楽しいと思った。その時だった。
背後の空気が震えた。
「っ!」
土煙を上げながら、巨岩のような物体が地面から盛り上がってくる。乾いた大地を掘削するように這い出すその姿は、まさに岩そのものが意思を持ったかのようだった。巨大な二本の脚。丸太のような腕。頭部らしき部位はつるりとして表情がない。全身を覆う岩石は磨き上げられたように艶めいており、重量感が半端ではない。
「ゴーレムか!」
「さっそく出てくれたわ。今回の攻撃目標よ」
「攻撃目標だって!?」
予想外の宣言に目を疑うが、アリシアは落ち着いた表情でゴーレムの頭の方を指さした。
「こいつの頭の部分見て、赤くなっているでしょ?あれが高品質の魔晶石なの」
「なるほど……」
俺は黒い魔剣を構え直した。借り物とはいえ手に馴染んできた重さが心地よい。ゴーレムは腕を振り上げると、轟音とともに振り下ろしてきた!
「ッ!」
咄嗟に横に跳ぶ。地面に亀裂が走り砂塵が舞い上がる。速さはないが破壊力は絶大だ。
「動きは遅いわ。足を狙ってちょうだい」
「了解!」
アリシアの指示に従い駆け出す。重い魔剣を振り下ろすとゴーレムの足首が火花を散らして抉られた。鉄より硬い岩肌だが【重量増加】の効果は確実に作用している。
「ヒビが入ったぞ!」
「いいわ!もう一度!」
しかしゴーレムは残った足で蹴り飛ばしてくる。とっさに剣を盾にして受け止めたが、凄まじい衝撃で弾き飛ばされた。
「ぐっ……!」
「大丈夫よね?」
「もちろんだ!!」
この程度で怯むわけにはいかない。素早く体勢を立て直し再度突進する。今度は防御を捨てて全力で攻撃に注力する。重い魔剣が風を切り裂きゴーレムの膝関節を粉砕した!
「ガァァァアア!」
悲鳴のような音が響く。バランスを崩した巨体が斜めに傾いた瞬間――アリシアがゴーレムの巨体を軽やかに駆け上がる。そして、ゴーレムの額に手を添えるとと澄んだ歌声のような詠唱が始まった。
「古き岩の魂よ、星々の歌に耳を傾けよ」
アリシアの詠唱に合わせて、彼女の掌から銀色の光の粒子が溢れ出す。まるで宇宙そのものが凝縮されたように煌めく光がゴーレムの額を包み込み、
「……《原初の律動》(プリム・オシレーション)」
静寂が支配した。ゴーレムの巨体が微細な振動に包まれ、岩の隙間から砂塵が零れ落ちる。その瞳のような空洞から紅い光が消えゆく瞬間──アリシアは宙を舞い降りる。
「討伐完了。素材確保よ」
アリシアの手には、石の塊のようなものが握られていた。
「それが?」
「ええ、魔晶石よ」
「もっと綺麗なものかと思っていた」
「これを研磨すると宝石みたいになるのよ。だから晶石って言われてるの」
アリシアは大事そうに懐から取り出した袋に石をしまった。
「それにしても凄かったな。あのゴーレムがすぐに動かなくなるなんて、あれが魔法か」
ドルトンが感嘆の声を漏らす。目の前には完全に活動を停止したゴーレムの巨体が横たわっている。ついさっきまで暴れ回っていた存在が、今はただの岩石の塊のように静まり返っていた。
「【ゴーレムの動きを止める魔法】ね。実はそんなに凄いものじゃないんだけどね」
「む?」
アリシアは周辺を気にしながら話し続ける。
「まず、あの魔法を使うためにはゴーレムの体に直接触れて詠唱する必要があるの」
彼女はゴーレムの額辺りを指さした。
「そして触れた場所を中心に振動波を発生させて結合組織を破壊する。つまり、ある程度安全に接近できる場所……特に『核』がある頭部や胸部に触れる必要があるのよ」
「……つまり接近戦が必須ということか」
アリシアがうんうんと頷く。
「ゴーレムが動けなくするほどの攻撃ができるならそのまま討伐しちゃえばいい。つまり……」
「なるほど、だから『そんなに凄い魔法じゃない』のか」
「しかもゴーレム系にしか使えない魔法なのよね。ま、素材採取するのには便利なんだけどねー」
そんなことを言いながらアリシアはきょろきょろと視線を巡らせた。
「せっかくだからもうちょっと採取して帰りたいのだけど……」
「構わんぞ。まだ午前中だしな」
「この辺りには昔はたくさんいたんだけどね。魔晶石の質もいいし」
アリシアがそんなことをを口にしたその時だった。
――ガガガガガ……
アリシアの背後から、重たい金属が擦れるような音。同時に地面が微かに揺れる感覚。
「おい……まさか……!」
そこには先程の個体とは比較にならないほど多くのゴーレムが出現していた。数十体はいるだろうか。各々が風化した岩石のような外殻を纏い、赤く点灯する魔晶石を目のように輝かせている。
「あ、やっぱいるじゃん」
「いやいやいや!こんなには想定外だろ!」
冷静に呟くアリシアに慌てて叫ぶ。しかも一体一体がさっきのより大きい。しかも、ゴーレムの中には魔法使いタイプなのか杖を持っている個体までいる。
「アリシア……どうするんだ!?」
「大丈夫大丈夫。行くわよ」
「おぃ!」
俺の静止を聞かず、突っ込んでいくアリシアを追いかけるように、俺も剣を握り直して駆け出した。こうしてゴーレムの大軍との激しい戦いの火蓋が切って落とされたのだ。
ーーー
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「お疲れさま」
「……疲れた」
それから2時間ほど。俺たちは、十数体のゴーレムを討伐していた。最後の一体を倒し終える頃にはアリシアの労いの言葉に返事をするので精一杯だった。ゴーレムとの戦闘は非常に骨が折れた。最初に戦ったゴーレムはまだ小柄な方だったようで、次々と大型の個体が現れ、一体一体が強大な攻撃力を持っていたのだ。
幸いアリシアの実力は段違いで、ゴーレムの攻撃を軽々回避しながら、こちらをフォローしてくれた。おかげで致命傷を受けずに済んだものの、全身汗だくで肩で息をしている始末だ。
俺が疲れ果てて荒れた地面にへたり込む傍ら、アリシアは戦場を軽やかに歩き回っている。倒れたゴーレムの巨体を片足で蹴り転がすと、その腹部に埋もれていた石の塊のようなものを丁寧に摘み出す。
「おお〜!これ最高品質よ!密度が濃厚……純度も良さそう!」
アリシアの声は弾むように高く、戦闘中とは打って変わって子供のようにはしゃいでいる。額に滲む汗も拭わず、両手いっぱいに掴んだ石の塊を次々と革袋へ放り込む。その表情は完全に緩みきっていた。目尻が下がり、小さな唇がニッと弧を描いている。頬は健康的に紅潮し、まるで宝物を見つけた幼子のようだ。
「よし!じゃあ帰ろうか♪」
アリシアは上機嫌にそう言うと、パンパンに膨らんだ革袋を愛おしそうに抱きしめる。対照的に俺は、疲労困憊で足が鉛のように重い。何体のゴーレムを相手にしたか途中から数えるのをやめたが、少なくとも三十体近くは倒したはずだ。
「……ああ」
やっとのことで立ち上がり、ポータルへと続く道を辿る。乾いた風が汗ばんだ身体を冷やすが、それも束の間。魔法屋の裏庭に置かれた扉――ポータルの前に着くと、黒猫のアルカポウネが退屈そうに待っていた。
「やれやれようやく帰ってきたか」
アルカポウネは大きなあくびを一つすると、ゆっくりと伸びをする。その視線が俺の姿を捉えると、僅かに同情するような色を浮かべた。
「ずいぶんと頑張ったようじゃな」
「……おかげさまでな」
苦笑いしか出てこない。そんな俺の横で、アリシアは鼻歌でも歌い出しそうな勢いで扉を開く。
「アルカポウネ!見て見て!すごいでしょう!」
「む?」
扉をくぐって裏庭に戻ると、アリシアはアルカポウネの目の前に座り込み、得意げに革袋を開けた。中からはゴロゴロと大小様々な石の塊が転がり出てくる。その数と大きさに、さすがのアルカポウネも目を丸くした。
「ほう……これは確かに立派な……いや、多すぎないか?」
アルカポウネは呆れたように頭を振る。
「お主、どれだけ採集したのだ。この量……使い切るのに二百年はかかるじゃないか」
「ま、せっかくの機会だったしねー」
アリシアは嬉しそうに胸を張る。その様子を見て、俺の中でふと疑問が湧いた。
(これだけの量を採集するために……俺は駆り出されたのか?)
最初は俺の剣の修理代として依頼を引き受けたはずだ。しかし蓋を開けてみれば、予想以上に過酷なゴーレム狩りに明け暮れることになった。結果としてこの満足げなアリシアの顔と、アルカポウネの呆れ顔。
「……」
なんだか猛烈に損をしたような気がしてきた。俺の苦労に見合う報酬は本当にあったのだろうか。金貨100枚と言っていたが、この量の魔晶石を換算すればそれどころではない価値がありそうにも思えるが。
「ねえドルトンさん!これでしっかりあなたの剣を直してあげるからね!期待してて!」
「あ、ああ……ありがとう」
屈託のない笑顔でそう言われると、何も言えなくなってしまう。まあいいか。俺は溜息をつきつつ、この魔法屋の日常の一コマに飲み込まれていくのだった。




