前衛戦士と幻の紙片と色褪せた熱狂
ここは王都の第一地下迷宮――通称「古龍の足音」。
十八階層の湿った通路は、油断すれば足元をすくわれる危険に満ちている。苔むした石壁からは微弱な瘴気が滲み出し、空気は常に淀んでいた。 十階層を超えた先は「中層」と呼ばれ、初心者卒業を自認する冒険者たちが挑む領域だ。
中層といえど、俺――レオンの役割は単純だった。前に立って盾を構え、荷物を持ち、雑用をこなす。パーティーの中で「一番替えが利く」のが、俺のような下っ端の前衛戦士というものだ。
今日も俺は重い荷物を背負い、パーティーの最前列を務めていた。 メンバーは、ベテラン魔術師のカイル、罠解除に長けた盗賊のメイ、回復術師のロック。この三人と組むようになってから、ようやく俺も中層まで進めるようになったのだ。
「レオン、さっさと周囲を索敵しろ! 次の群れが来るぞ」
カイルの鋭い声が飛ぶ。
「わかってますよ!」
返事をしながら、俺は直前の戦闘で飛び散った魔物の返り血を盾で拭った。 ふと、崩れた石壁の隙間に目が留まる。 死と砂埃の色しかないこの陰鬱な迷宮の中で、そこだけが、場違いな「光」を放っていた。
「……なんだ、これ?」
最初は、強力な魔導具の破片かと思った。 瓦礫の奥に手を伸ばし、指先でそれを引き抜く。 指に触れたのは、驚くほど薄く、しなやかな質感。
俺は無意識に、汚れた袖でその表面を覆う煤を拭った。 すると、淀んだ空気さえ撥ね退けるような、眩いばかりの輝きが露わになった。 現れたのは、手に収まるほどの薄い紙片だ。
だが、ただの紙じゃない。 表面には真珠の裏側のような不思議な光沢があり、傾けるたびに虹を切り刻んだような極彩色の光が走る。 迷宮の魔石灯の鈍い明かりを吸い込んでは、見たこともない鮮やかな色彩へ変換し、俺の網膜を強く刺激した。
この地獄の底のような場所に、誰がこんな「美しすぎるもの」を残したのか。 その異質さに、俺の心臓はドクンと大きく跳ねた。
「魔法の効果でもあるのか……?」
手の中で回転させてみる。角度を変えると模様が微妙に動き、まるで銀色の龍が紙面から浮き出しているかのような立体感を呈した。
「おい、リーダー! これを見てくれ。凄いお宝かもしれないぞ」
「わ~きれい。でもこれって……」
仲間のメイが興味を示したが、すぐに肩をすくめた。
「ダンジョンで時々見つかる『謎のカード』ってヤツだよ。綺麗だけど値打ちなんて無いから」
「ああ、それか」
リーダーのカイルも一瞥して鼻で笑った。
「綺麗だが価値のない『ただの紙』だ。俺も駆け出しの頃は喜んで拾ったもんだけどな。そんなガラクタより、今は薬草や予備の武器の方が助かるよ」
ロックも興味がなさそうだ。仲間たちの判断は「価値なし」。
彼らは探索に戻っていくが、俺はどうしても諦めきれなかった。
「でもよ、角度を変えると絵が変わるんだぞ! こんな高度な加工技術、ただの紙なわけが……」
必死の訴えも虚しく、皆は苦笑いで「欲しいならやるよ」と言い残して先に進んでしまった。俺はそれを有難く頂戴したが、胸のうちは複雑だった。これほどの芸術品がゴミ同然に扱われることが、どうしても信じられなかった。
ーーー
宿に戻った後、俺は意を決して冒険者ギルドの鑑定窓口へ向かった。 鑑定士リサさん。彼女の前に立つと不思議と胸が熱くなる。そんな俺をよそに、リサさんは差し出したカードを見て目を細めた。
「あら……これは珍しい。立体視効果のあるタイプまであったのですね」
「やはり、価値があるんですか!?」
期待して身を乗り出すと、彼女は申し訳なさそうに首を振った。
「残念ながら、魔力反応はありません。耐久性も普通の紙と変わりません。ただし……」
そこまで言って、リサさんは少し声を潜める。
「こういうものを集める『収集家』の間なら、高値がつくかもしれません。もっとも、ギルドにはその手の伝手はありませんし、オークションも鑑定済みの品でなければ取り合ってくれないでしょうが」
「……そうですか」
肩を落とす俺に、リサさんは同情したような顔で付け加えた。
「どうしても納得いかないなら、下町の『霧の魔女堂』へ行ってみてはいかがです? ギルドで価値なしと言われた『ガラクタ』でも、あそこの主なら面白い答えをくれるかもしれませんよ」
ーーー
下町の路地裏に、その店はあった。古びた一軒家。猫の絵が描かれた錆びた看板がなければ、ただの民家にしか見えない。
「ここが、『霧の魔女堂』……」
恐る恐るドアを開けると、鈴の音が小さく鳴った。
奥に座っていたのは、十五歳ほどに見える少女だった。長い金髪が煤けた壁に映え、翡翠色の瞳は神秘的な光を宿している。十五歳……いや、二十歳にも見えるし、もっと年上にも見える。とにかく、現実離れした美しさを放つ人だった。
「いらっしゃい。冒険者の方?」
「はい、レオンといいます。実は、鑑定をお願いしたくて……」
俺がおずおずとカードを差し出すと、彼女の足元から、丸々と太った黒猫が歩み寄ってきた。金色の瞳をしたその猫は、なぜか偉そうな態度でカードを覗き込む。 店主のアリシアは細い指先でカードを摘まみ、角度を変えて光らせた。
「あら、懐かしいわね。保存状態もいいわ」
「価値、ありますか!?」
「私は興味がないのよね。魔術的な意味もないもの。残念だけど」
アリシアはあっさりと、だが残酷に告げた。
「こういうものは趣味が合う人に任せるのが一番よ。私なら、観賞用に飾るくらいかしら」
「そうですか……。収集家の伝手があればと思ったのですが」
「ごめんなさい。そういう伝手もないわ」
落胆する俺を、アリシアは静かに見つめ、微笑んだ。
「たしかに、昔はこのカード一枚で家が買えるほどの値段を付ける人もいたけれどね」
「家ですか!?」
「ええ。でも、今はその値段を付けてくれる人はいないわ。流行なんて、そんなものよ」
俺は言葉を失った。それでも、手にした時のあの感動が消えたわけではない。
「……物の価値はその人が決めるものよ。あなたはこれに魅力を感じた。だったら、持っておくのが一番じゃない?」
「でも、売れないんですよね……」
「お金で計れない価値もある、ってこと。あなたがどれだけ愛せるかが、その物の本当の価値なのよ」
不思議な余韻を残して、アリシアは微笑んだ。 俺はカードを眺めながら考えた。確かに皆が言うように、これはただの紙なのかもしれない。だが俺にとっては、暗いダンジョンで見つけた、間違いなく特別な光だった。
「……お守りとして、持っていようと思います」
そう呟くと、重かった荷物が少しだけ軽くなったような気がした。
ーーー
レオンが去った後、吾輩――アルカポウネは大きな欠伸をしてから口を開いた。
「……フン。あんな紙切れ如きで一喜一憂しおって。人間とは滑稽なものじゃな」
「そう言わないの、アル。あなただって昔は見ていたでしょう?」
アリシアは剥げかけた壁の向こうを見るように、遠い目をした。
昔はこれ一枚で城が建つと言われた時代もあったのじゃ。カードを求めて国を跨ぐコレクターが溢れ、血で血を洗う奪い合いさえ起きた。狂ったような熱狂だった……。だが、流行が終わればこの様じゃ。今はただの、捨てられた記憶の残骸に過ぎん。
「かつて世界を狂わせた『価値』も、今やただの紙片、か」
アリシアが少し楽しそうに言う。
「わからないわよー。集めている人からすれば、この一枚のために全財産投げ出しても惜しくないかもしれないわよ?」
「ふん。お主こそ知っておるじゃろう。そんな価値があるのは何万枚もある種類のうちのごくごく一部じゃ」
「あら?あの一枚がごくごく1部の一枚かもしれないわよ」
アリシアの呆れるほどに楽観的な物言いにため息を吐く。 あんな紙切れ一枚でそこまで悩み、一喜一憂するとは……。
やはり人間とは、見ていて飽きぬ、愚かな生き物である。
追加分はここまでです。また何か思いついたら更新したいと思います。
異界物語編纂録
https://ncode.syosetu.com/n8111lp/
同じような短編連載形式です。興味があればどうぞ。




