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下町の魔法屋『霧の魔女堂』  作者: あどん


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博打打ちと幸運のコインと女神の微笑

「……なんとかならねぇか」


掠れた声で、俺はカウンターに突っ伏した。ランプの温かな光が照らす『霧の魔女堂』は、俺の人生とは対極にある穏やかさを保っている。香炉から漂う甘い香りが、やけに鼻腔をくすぐった。


「ならないわねー」


アリシアの声は軽やかすぎて、むしろ傷口に塩を塗られるようだ。カウンターの上では、巨大な黒猫のアルカポウネが、俺の情けない姿に興味を失ったのか、欠伸をしながら尻尾をパタパタと振っていた。


「最初はすげぇツキだったんだよ!手札がバッチリ揃ってな、ディーラーのクソ野郎の顔も歪ませてやったぜ!」


拳を握って振りかざす俺に、アリシアは紅茶を啜りながら冷静に切り返す。


「でも最後にはスッカラカンになったんでしょ?」

「ぐっ……!」


反論できねぇ。

最近、この街の裏路地で流行りだした『ブラックジャック』というカードゲームに、俺はドップリと嵌まっていた。あと一枚、カードを引くか引かないか。そのヒリつくような駆け引きに魅了され、夜な夜な賭場に通い詰めていたのだが。


初めはちょっとした遊びのつもりだった。だが次第にエスカレートし、いつしか全財産を積み上げていた。


「いつも、最初は勝つんだって!本当なんだ!」

「でも、最後は全部失うまで負けるんでしょ?」

「……ぐふっ」


核心を突かれ、俺は言葉に詰まる。


「だいたいね、その手のギャンブルは胴元が必ず儲かるように作られているの。そうでなきゃ、誰も手間暇かけて胴元なんてしないでしょ?」


言われてみればその通りだ。奴らだって儲かっているからこそ、わざわざ場所を用意して客を呼ぶ。場代やら、俺たちから巻き上げた負け分やらを懐に入れて笑っているに違いない。


「でもよぉ!勝ってる奴だって山ほど……」

「負けてる奴は、その何十倍もいるのよ」


「じゃなきゃ採算が取れないでしょ」と諭すように言うアリシアは、いつも通り優しげでありながら、徹底して容赦がない。


「勝ってる人は勝ってる時しか声を大きくして言わない。負けてる人は黙るか、こっそり身を隠すわ。だいたい『私は毎日勝っています』なんて、嘘くさすぎでしょ?」


心当たりしかなかった。俺だって、仲間に自慢するのは金貨袋を重そうに揺らして店を出る時だけだ。


「ご飯が食べたいなら、孤児院にでも行ってシスター・クレアに泣きつくことね。あそこのスープは温かいわよ」

「こ、この歳になって、そんな恥ずかしいことできるかよ!」

「あら?私に泣きつくのはいいのね」


アリシアはいたずらっぽく笑う。その微笑みに、俺はさらに肩を落とした。


「なあ、アリシアさん。なんかこう……ギャンブルに絶対に勝てるような、すげー魔道具とか無いのか?魔法使いなんだろ?」


藁にも縋る想いで尋ねると、アリシアは少しだけ眉を上げた。


「あるにはあるけど……」

「あるのか!!」


俺は食い気味に身を乗り出した。


「『幸運のコイン』といってね。持っている間だけ、驚くほどの幸運が舞い込むっていう……」

「く、くれ!それだ!そういうのを待ってたんだ!」

「金貨百枚ね」

「……へ?」


アリシアは平然とした顔で手を差し出した。


「そりゃあそうでしょ。人生を変えるような魔道具が安いわけないじゃない。金貨百枚。……払えるの?」

「……っ、そんな金があったら、最初からここへは来ねえよ」


「でしょうね。しかもこの魔道具、運を『前借り』するタイプだから、一度でも負けると、その後の人生は相当辛いわよ。それでも欲しい?」

「……ちっ、やっぱり美味い話はねえな」


俺は大きく溜息を吐き、頭を掻いた。人生の前借りは、さすがの俺でも高くつきすぎる。


「美味い話じゃないけれど、冒険者ギルドで薬草採取の依頼が出ていたわよ」

「やれやれ。この歳で、新人に混ざって地味な薬草採取かよ……」

「あら、あなたの採取は丁寧で評判が良いのよ?みんな『ジャックさんが取ってきた薬草は品質が良い』って感謝してるわ」

「……調子いいこと言いやがって」


俺は頭をボリボリ掻きながら立ち上がった。おだてに乗ったわけじゃない。だが、今夜の飯代すら怪しいのは事実だ。


「……わかったよ。行ってくる」


俺は席を立つと、空っぽの財布を握りしめ、渋々ながら冒険者ギルドへと向かった。


ーーー


ジャックが扉を閉めて出ていくのを見計らい、吾輩――アルカポウネは頭を上げてアリシアを睨んだ。


「……そんなもの、ないじゃろ?」

「なにが?」

「『幸運のコイン』じゃよ。運を前借りする魔道具なんぞ、本当にあったら金貨百枚でも足りんわい」


もし本当にそんなものがあったら、吾輩ならタダで貸し出してギャンブルをさせるじゃろうな。そして大勝ちした瞬間に全財産を没収してやる。そいつには「運を前借りしたツケ」だけが残るという寸法じゃ。悪魔の所業?吾輩は悪魔じゃから当然の振る舞いよ。そんな悪い使い道なら、山ほど思いつく。


「ふふ……バレちゃったわね」


アリシアは肩を竦めながら、カップを置いて悪戯っぽく笑った。


「あれで凝りて、やめてくれればいいけどねー」


そうは言うが、一度脳が焼けた博打打ちが、あの程度の脅しで簡単に足を洗えるものか。


「まあ、これ以上はジャックくんの気持ち次第かしらね。さすがに私も、そこまで他人の人生に踏み込まないわよ」


そう言いながら、アリシアは皿に残ったクッキーを一つ手に取り、かじった。それならそれで構わぬ。もういい歳をした大人が、自分の責任で遊ぶんじゃからな。

だが……。


「そもそも、最初は勝たせておいて、その後一気に巻き上げるなんぞ、完全に『詐欺』の手口じゃ。つまり……」

「『イカサマ』ね」


アリシアはこともなげに言った。


「カードゲームなんて、イカサマテクニックの宝庫だもの」


そうじゃな。山の並べ替えなど基礎中の基礎。巧みなハンドリングで特定のカードを配ったり、捨て札を操作したり……。あの手この手で場を支配するなど、ありふれた話じゃ。


アリシアは窓の外、男が歩いていった方向へ視線を向けた。


「おそらく盗賊ギルドあたりの仕切りね。あんまりおいたが過ぎるようなら、口出しするけれど。しばらくは様子を見ましょうか。庶民にも娯楽は必要でしょうし」


やれやれ、この世界の「道理」を少しでも知れば、あの手の博打に魂まで売り渡すような真似はせんじゃろうに。


吾輩はもう一度欠伸をすると、カウンターの上で再び丸くなった。


――賭け事とは、勝った話だけが街を歩き、負けた人生は、静かに沈むものなのじゃから。

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