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下町の魔法屋『霧の魔女堂』  作者: あどん


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灯台守と光の剣と空の不思議(前)

もう少しで夜の帳が下りる。

俺――ローレンは、重い腰を上げて岬へと続く一本道を歩いていた。


長年、荒波を相手に漁師として生きてきた。肌は潮風に焼かれ、手は網を引き絞ったタコで固くなっている。本音を言えば、俺は今だって揺れる船の上で舵を握っていたい。だが、四十を過ぎた俺に「灯台守」の仕事が回ってきた。


「いいから、そろそろおかに上がれ」

「あんたほど海を知る奴はいない。灯台を任せたいんだ」


などと、周りにおだてられ、言いくるめられ、なし崩し的に引き受けることになった。 まあ、仕方がないと言えば仕方がないのだが、灯台守の仕事は想像以上に骨が折れる。まず灯台へ至る道のりが険しい。海岸沿いの切り立った崖っぷちを通らねばならんし、あの巨大なレンズを磨き上げるのも一苦労だ。前任の爺さんが引退を申し出たのも、今なら納得がいく。


この街では、俺のように「爺に片足突っ込んでいるが、まだ元気。けれど、そろそろ漁師はきついんじゃないか」という微妙な年代に、この仕事が回ってくる。四十を過ぎた俺が、現場では「新人で一番の若手」だというのだから笑ってしまう。


徐々に夕闇が迫ってくる。 灯台へ向かう石畳の道には、わずかながら街灯が灯り始めた。最近改良されたという魔道具だ。魔力伝導率がなんちゃらかんちゃらで……と、難しい理屈はわからんが、随分と明るく光るようになったらしい。


王都に行けば、夜も昼のように輝く「宝石通り」なんてものがあるそうだが、俺にとっては、このぽつりぽつりと灯る魔道ランプの光の方が、よっぽど頼もしく感じる。


あと数歩で灯台、というところで――視界の端に異変が映った。


「……なんだ、ありゃあ」


夜空を貫くように、巨大な「光の剣」が垂直に立ち昇ったのだ。 一瞬の目の錯覚ではない。それは静かに、しかし威圧的に天高く伸びたまま停滞している。漁師として二十年以上、海の上であらゆる怪異を見てきた自負があったが、あんなものは一度も目にしたことがない。海鳥が騒ぐわけでも、風が変わるわけでもない。ただ、無機質な光が空に深く刺さっている。


翌朝、市場へ行くと街の連中はその話題で持ち切りだった。俺の見間違いなどではなかったのだ。不吉な災いの予兆か、あるいは強力な魔術の暴走か。


「灯台守のローレン、お前なら何か知ってるだろ?」

「知るかよ、あんなもん!」


ぶっきらぼうに返したが、答えられなかったのが何より悔しく、そして怖かった。長年培ってきた「海の常識」が、あの光一本に否定されたような気がしたのだ。


しかし、あんな不可解なものを誰に相談すればいい。騎士団に駆け込むか、あるいは王家に報告すべきか。そんな騒ぎの中、一人の老漁師が静かに呟いた。


「困ったことがあれば『霧の魔女堂』へ行け」


それは、この辺りの漁師に古くから伝わる知恵だ。霧の魔女堂。奇妙なものを扱う魔法屋。だがそこは同時に、「不思議な相談事」を解決してくれる場所だという。


「実際に見た奴が行くべきだ」

「海のことに詳しい灯台守が適任だ」

「こういう時に動くのが新人の役目だろ?」


……結局、お鉢が回ってくるのは一番の若手、つまり俺というわけだ。


ーーー


翌日の昼下がり。俺は王都の外れ、下町と呼ばれている地区の細い路地の先に立っていた。


「……ったく、しょうがねえ連中だ」


口ではそうぼやきながらも、俺の足取りはそれほど重くはなかった。海を知り尽くした男たちの代表として、この異変の正体を突き止める役割を任されたのだ。頼りにされるのは悪い気はしない。


ただ、一つだけ懸念があった。相談相手が「魔女」だということだ。 今の時代、世の中を動かしているのは魔道具だ。誰でも使える便利な道具が主流になり、古き良き「魔法使い」なんてのは、おとぎ話か詐欺師の代名詞になりつつある。


「どんな業突く張りな婆さんが出てくることやら……」


辿り着いたのは、古びた木造の一軒家だった。 壁には風雨に晒された跡があり、看板は少し傾いている。描かれているのは――猫、だろうか。妙にふてぶてしい目つきをしている。


『霧の魔女堂』。


名前からもっと禍々しい場所を想像していた俺は、拍子抜けした。どこにでもある、ただの家だ。 本当にここで合っているのか。そう思った時、扉の横に下げられた鈴が、風に揺れてチリンと鳴った。


覚悟を決め、ドアを押し開ける。


カラン――。


「いらっしゃいませー!」


返ってきたのは、予想外に明るい声だった。 カウンターの向こうから顔を出したのは、五つか六つほどの小さな女の子だ。亜麻色の髪をお下げにして、ぱちぱちと瞬きをしている。


「……店を、間違えたかな」


思わず後ろを振り返って看板を確かめた。


「ええと……ここは、霧の魔女堂……か?」

「うん! そうだよ!」


元気よく頷かれてしまった。


「アリシアお姉ちゃーん! お客さんだよー!」


女の子――ミーアは、そう言って奥へ駆けていった。 店内を見渡すと、不思議なほど商品が置かれていない。カウンターの奥に古書が並んでいる程度だ。だが、不思議と漁具屋や道具屋と同じような、地に足のついた生活の匂いがした。 そしてカウンターの上には、巨大な黒猫が丸くなっていた。


「……猫、か」


片耳だけをピクリと動かし、こちらを一瞥する。その据わった目つきに、思わず背筋が伸びた。


やがて奥から足音がして、一人の女性が現れた。 長い金髪に、翡翠色の瞳。 年は十五、六といったところか。しかし、俺よりも年上のような落ち着きも感じる。不思議な存在感だった。


「いらっしゃいませ。ご用件は?」


声は穏やかで、どこか楽しそうですらあった。


「……灯台守のローレンといいます」


名乗った瞬間、自分でも驚くほど緊張していた。漁師として、荒くれ者相手に交渉することには慣れている。それなのに、この娘の前では、自然と言葉を選んでしまう。


「灯台守、ですか」

「ええ。今年から任されまして。……それで、相談なのですが」

「はい」

「……空に、光の剣を見ました」


その一言で、店の空気が変わった――気がした。 重苦しくなったわけではない。むしろ、相手が「話の続きを待っている」という静かな熱を帯びたのだ。


「夜の灯台で。真っ直ぐ、空を突き刺すような光です」

「ほう」


彼女は興味深そうに頷いた。


「他にも見た者は?」

「街の連中も。俺一人の見間違いじゃありません」


少しの間を置いて、彼女は呟いた。


「へぇ……珍しいわね」


あまりに軽い反応に、肩透かしを食らった。


「……珍しい、で済む話ですか?」

「ええ。滅多に見られない、いいものよ」


まるで、珍しい魚が網にかかった話でもするかのような口調だった。


「不吉なものではないのですか?」

「せっかくですし、今夜もう一度見に行きましょうか。ローレンさん」

「……え?」

「灯台でしょう? ちょうどいいわ」


彼女は、まるで散歩に誘うような調子で言った。


「ちょ、ちょっと待ってください。あれは自然現象なのか、魔法なのか、それとも――」

「知らないから、怖いのよ」


その一言が、妙に胸に刺さった。


「だから、確かめに行きましょう。ね?」


気づけば、俺は頷いていた。 どうやら俺は、この「霧の魔女」という人に、完全に流されているらしい。


ふと見ると、カウンターの上で黒猫が小さく鼻を鳴らした。


「……やれやれ」


その声が、幻聴ではなく、本当に聞こえたような気がした。


ーーー


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