狩人と魔矢と幻獣の加護
深い森の静寂を破り、私は思わず舌打ちをした。
もう三日だ。罠も、待ち伏せも、誘いも――すべて読まれている。
私はリナ。B級冒険者として名の通った弓使いだ。
これまで数え切れない依頼をこなしてきたが、ここまで“姿すら見せない獲物”に翻弄されたことはない。
相手は大鴉。
本来なら単体でCランク相当。臆病で慎重、こちらが武器を構えていれば近寄りもしない魔物のはずだ。
――だが、今回の個体は明らかにおかしかった。
体躯は通常より三割ほど大きく、夜行性のはずが昼夜逆転して活動している。
何より厄介なのは、その異常なまでの警戒心と狡猾さだ。
武器を持つ大人の前には決して姿を現さない。
だが女子供や無防備な旅人だけを狙い、街道沿いで被害を出す。
まるで「安全圏」だけを正確に見抜いているかのようだった。
「痕跡はあるのに……姿が見えない。完全に遊ばれてるわね」
だからこそ依頼料が高い。
ギルドで依頼票を見つけたときは、掘り出し物だと思ったのだが――どうやらこちらが掘り出された側だったらしい。
仕掛けた罠は見破られ、待ち伏せも徒労に終わっている。別の作戦が必要だ。せめて標的を捕捉できれば。頭を掻きながら歩いていると、不意に野太い声が掛かった。
「やあリナ。久しぶりだな」
振り返ると、大剣を背負ったいかつい体格の男が立っていた。ドルトン。何度かパーティーを組んだことがある有能な戦士だ。
「ドルトン! 久しぶりね。調子はどう?」
「まあ、ぼちぼちだ。そっちは……どうやら厄介な相手を引き受けたみたいだな」
「そうなのよ。いい手が思いつかなくて困ってるの」
よっぽど深刻な顔をしていたのだろう。ドルトンは少し考える素振りを見せ、思い出したように言った。
「そういう時は……あれだ。『霧の魔女堂』に行ってみるといい。妙案をもらえるかもしれんぞ」
「えっと……魔法屋さんだっけ?」
「ああ、だがやってることは何でも屋だ。色んな相談に乗ってくれる」
「そう言えば、あなたもそこで剣を直したんだったわね」
ドルトンが自慢げに見せた剣は、見事な業物だった。 どのみち、今のままでは膠着状態だ。私は、藁にも縋る思いで行ってみることにした。
ーーー
「……ここ?」
街の喧騒から離れた場所に佇む、古びた一軒家。錆びた小さな看板には、猫らしき絵が描かれている。ドアを開けると、乾いた鈴の音が店内に響いた。
「いらっしゃいませー!」
甲高い声に出迎えられた。奥から出てきたのは、亜麻色の髪を可愛らしいお下げにした五歳くらいの女の子だった。
「えっと……魔女さんはいますか?」
「アリシアおねえちゃーん! お客さまだよー!」
女の子――ミーアが奥へ駆けていく。カウンターの上には大きな黒猫が座っていた。こちらをチラリと一瞥したものの、興味なさそうに欠伸を一つして、太い尻尾を揺らしている。
しばらくすると、奥から翡翠色の瞳をした美女が現れた。長い金髪が肩にかかり、その瞳の輝きにはどこか神秘的な深みがあった。
「いらっしゃいませ。どんな御用ですか?」
「あ、ええと……B級冒険者のリナと言います。依頼を受けたのですが、どうしても上手くいかなくて……」
私はこれまでの事情を話した。魔物が異常に賢く近づけないこと、あらゆる手を尽くしたが徒労に終わったこと。
「なるほど。それで当店に来てくださったのですね」
「ええ。以前こちらでお世話になったドルトンさんに教えてもらいました」
「あら? ドルトンさんのご紹介でしたか」
「剣の修理をしてもらったとか」
「あのお仕事も、なかなか楽しかったですね」
アリシアと呼ばれる女性は、カウンター越しに訊ねてきた。
「ところでリナさん。弓の腕には自信がありますか?」
「もちろん。これでもB級ですから」
「弓を見せていただいても?」
差し出した弓を、彼女は慈しむように眺めた。それから私の右手を取り、指先のタコや筋肉のつき方を確かめるように見て、満足げに微笑んだ。
「うーん……そうですね。ルナに聞いてみましょうか。ルナ?」
彼女が呼ぶと、銀色の毛並みをもつ美しい子狐がやってきた。
――いや、子狐かと思ったが。
「シルバーテイル!? 幻獣がこんなところに……」
「ルナ、話は聞いていたかしら? この人と一緒に行ったら、見つけられる?」
「キュン!」
ルナは自信満々に一声鳴いた。
「ルナを連れて行ってください。きっと見つけられます」
「そ、そうですか……」
たしかに見つけられればチャンスはある。
だが、あの賢い大鴉を仕留められるだろうか。もし外したらさらに難易度が上がってしまうだろう。そんな不安が顔に出ていたのだろうか。アリシアさんは微笑みながら、店の奥から一本の矢を取り出してきた。
「これを使えば、上手くいくかもしれません。魔法の矢です。あなたの想像以上に、飛距離も精度も伸びるでしょう」
赤と白の羽根飾りが施された、工芸品のように美しい矢。
「えっと……これ一本だけですか?」
「ええ。あなたの腕なら、その一本で十分ですよ」
アリシアさんの翡翠色の瞳に射抜かれ、私は圧倒された。この人は、私の実力を私以上に信じている。その確信に満ちた眼差しに、不思議な安心感を覚えた。
「大丈夫です。あなたならできます」
私はその言葉に何か確信めいたものを感じた。彼女の瞳を見ていると、なぜか「必ずできる」と思わせてしまう魅力があった。
「……わかりました。その一本とルナをお借りします」
アリシアさんは丁寧にお辞儀をした。
「どうかご武運を」
ーーー
私は森に入った。ルナは銀色の尻尾を振りながら先を歩いている。いつものように緊張感に包まれる森だったが不思議と恐怖は感じなかった。
しばらく進むと突然ルナが立ち止まった。そして茂みの中に飛び込んでいった。
「ルナ!?」
慌てて追いかけるとルナは上を見上げて小さく鳴いた。私も見上げると少し遠くの枝に漆黒の魔物がいるのが分かった。間違いない。狙っていた大鴉だ。
距離はだいぶある。目測で80メートル……いや90メートル近くある。この距離で動いている目標を当てるとなると命中率は3割もない。だがこの魔法の矢なら……いや、でも一発だけ。外せばチャンスはなくなる。しかも奴は我々に気づいていない。このまま隠れているべきか?そう思っている間に大鴉は動き出した。ゆっくりと移動を始めている。
「迷ってる暇はないわね」
私は弓を構えた。イメージを集中する。アリシアさんの言葉を思い出す。
(あなたならできる)
そうだ。ここで躊躇っていても仕方がない。
「来い」
私は息を吐き意識を一点に集中させた。次の瞬間私の全身に電流が走ったような感覚が起きた。これは魔力?不思議な感覚だ。そして弓を引き絞った。
弓弦が張り裂けそうなほどの反動を感じたがそのまま力を込め続ける。手が震える。ここまで引き絞るのは初めてだ。私の全力。間違いなく人生で一番の射撃だ。しかし不思議と落ち着いている。まるで時間の流れが遅くなったように感じた。
風を読み……僅かな風速も計算に入れる。飛翔する弾道を考える。枝や障害物による角度の変化も含め……。この時の私の集中力はおそらく誰よりも高かった。
「ここだ!」
限界まで引き絞った弓矢を放った。放たれた矢はまるで意思を持っているかのように空気を切り裂き一直線に標的へ向かっていく。そして大鴉の頭部に突き刺さった。
「ギャアァァァ!」
大鴉は断末魔の叫びを上げて落下していく。私は呆然とその光景を見ていた。本当に当たった。あんな距離から命中させたんだ。
私は小さく拳を握った。ルナがパタパタと駆け寄ってくる。私はしゃがみ込み震える手で優しく撫でた。
「ありがとう。助かったわ」
ーーー
「無事に終わったようじゃな」
吾輩、アルカポウネは窓の外を眺めながら鼻を鳴らした。 先ほど戻ってきたリナは、憑き物が落ちたような清々しい顔をしておった。今頃、ギルドは大騒ぎじゃろう。変異種の素材は高く売れるし、森の安全も保たれた。
「森も静かになるわね」
店主のアリシアが、茶を淹れながら穏やかに言う。あそこはミーアも遊びに行くからな。 肝心のミーアは、店内でおもちゃの弓を構えてルナと遊び回っておるが。
「えいっ! まほうのやー! ルナ、まってー!」
「キュン、キュン!」
平和な光景じゃ。だが吾輩は、一点だけ気になっていたことを尋ねた。
「しかしアリシアよ。あんな魔法の矢くらい、いくらでも作れたじゃろう? 何故、あんなに勿体ぶって一本しか渡さなかったのじゃ?」
アリシアは悪戯っぽく微笑んだ。
「一本しかないと思えば、あの子は自分の全技術をその一射に込めるでしょう? それに……あの子なら本来の実力があれば、魔法の矢なんてなくても倒せていたはずだもの」
「くくく、相変わらず食えない女よ」
吾輩は丸い腹をさすりながら、心の中で独り言ちた。
やれやれ。人間という生き物は、道具を与えると甘えるが、希望を与えると強くなるのじゃな。
「あ、当たったー!クロちゃんに当たった!」
ミーアの放ったおもちゃの矢が、吾輩の尻尾にポスリと当たった。
やれやれ。この店に漂う『希望』とやらは、少々賑やかすぎるのが玉に瑕じゃな。




