猫と魔法と指輪の行方(後)
市場からほど近い住宅街の一角に、ライラの住む質素な一軒家があった。部屋の中から微かなランプの灯りが漏れている。
「こんばんは」
アリシアが声をかけると、中から慌てたような物音が聞こえた。やがてドアが細く開き、憔悴した表情のライラが顔を覗かせた。アリシアの姿を認めると、彼女は唇を引き結び深々と頭を下げた。
「……来られると思いました」
その声は震えていたが、覚悟を決めた響きがあった。アリシアは静かに籠を差し出した。
「お土産。少しお話を聞かせてもらっていいかしら?」
ライラは困惑したように籠とアリシアの顔を見比べたが、小さく頷くと吾輩たちを招き入れた。室内は簡素だが清潔に整えられていた。書き物机が一つ。壁際には裁縫道具が収まった小さな棚がある。机の上には数冊の本と薬瓶が並んでいた。
「この指輪を古物商に売ったのはあなたね」
アリシアは指輪を見せた。ライラは目を伏せたまま静かに頷いた。
「はい……」
勢いよく頭を深く下げると同時に涙ぐみ声が震えている。
「もう二度とグレイン伯爵家には近づきません。罰は甘んじて受けます」
その言葉に込められた決意が重く伝わってくる。彼女は罪を償う覚悟ができているようだった。アリシアはしばし黙って彼女を見つめていたが、やがて口を開いた。
「そう急がなくてもいいわ。まず話を聞かせてちょうだい」
そしてゆっくりと続ける。
「伯爵家での給金で十分暮らせるはずなのに、なぜこんなことを?」
その質問に対してライラは少し躊躇したように見えた。
「確かに。贅沢せず慎ましく暮らせば十分です。でも……」
伯爵家の侍女と言えば、男爵の令嬢あたりが努めることが多い。しかし、ライラは貴族ではなく平民だ。それは今の住まいを見てもわかる。一軒家だが決して裕福そうには見えない。
「私は……私は」
ライラが何か言おうとしたところで、アリシアはいきなり立ち上がると、奥の部屋へとズカズカと歩いて行く。
「お待ちを!」
焦って立ち上がるライラを完全に無視して部屋に入った。すると奥のベッドには一人の女の子が眠っていた。いや眠っていると言うよりも体調が悪く寝込んでしまっているようだ。すぐにその子の傍に近寄り額に手を当てる。
「だ、誰?」
「ごめんなさい起こしちゃった?私はアリシア。ライラのお友達よ」
「お姉ちゃんがお友達を連れてくるなんて珍しいね」
そう言って可愛らしく笑う。まだ5、6歳くらいの子供だ。栄養状態があまり良くないのか痩せている。
「ごめんなさい。今日は体調が悪くて……」
「いいのよ。ちょっと触らせてもらうわね」
そう言って小さな手を握る。しばらくそのままにしていると淡い光が少女を包み込む。しばらくすると徐々にその光は収まっていった。
「アリシアお姉ちゃん。ありがとう。なんか少し楽になった」
「そう、それは良かったわ。こういうことは度々あるの?」
「うん。最近体調が悪いことが増えたの。熱っぽいし食欲もないし」
「そう……」
その後、少し話をしたのだが症状から察するに普通の病気とは思えなかった。アリシアは少女が眠ったのを見届けると静かにその場を後にした。
ーーー
少し前までは姉妹仲良く幸せに暮らしていたらしい。
しかし半年前から妹が原因不明の病気にかかり療養生活を余儀なくされているという。
「だから盗みを……」
「違います!」
ライラが叫んだ。その勢いで涙が零れ落ちた。
「盗みを働くつもりなどありませんでした!」
そう言って顔を覆ってしまった。その様子を見る限り嘘を言っているようには見えなかった。しばらくそのまま泣き崩れていたがやがて落ち着いてきたのか顔を上げた。そしてゆっくりと言葉を継いだ。それはまるで懺悔のように聞こえた。
「いつものように掃除をしていたんです。ちょうど部屋の片付けをしておりました。その時に……あの指輪が落ちてまして……」
アリシアは静かに耳を傾けた。ライラは一度呼吸を整えるように深く息を吸い込んだ。その吐息は小さく震えていた。
「拾った後すぐに誰かに渡していれば問題なかったんです。ですが渡し忘れてしまって……」
「そのまま持ち帰ってしまったと……」
「はい……」
恥ずかしさのあまり声が震えている。そんな彼女に優しく語りかけるように言った。
「なぜ指輪を売ろうと思ったの?」
「……急に妹の病状が……悪化してしまって……」
再び涙声になった。アリシアは彼女の肩にそっと手を置いた。ライラは堰を切ったように話し出した。
「診察代だけで高くついてしまって、そのうえ薬も買わないとならないと言われてしまい……」
「それで指輪を?」
「はい。お金が出来たら買い戻そうかと思っていました。でもその前に見つかってしまって……」
「言い出せなくなってしまったと」
話しているうちにどんどん感情的になってきたようで涙が止まらなくなってしまった。アリシアは立ち上がり彼女を抱きしめた。それから背中をポンポンと叩いてあげる。しばらくすると落ち着いてきたようだったので離れてあげた。
「辛かったわね」
「ごめんなさい。こんな話をしてもしょうがないですよね」
「いいえ。あなたの事情を知ることができて良かったわ」
そう言って微笑んだ。その笑顔を見ると心が温かくなったようだ。少しだけ安心することができたようだった。だがライラ自身はまだ後悔の念に苛まれているようだった。
「妹さん。お医者さんには見せてるのよね?」
「はい……お医者さまには原因不明と言われまして」
「それで高い薬を買わされていたのね」
どこの医者よと憤慨するアリシア。
「詐欺とまでは言わないけど不誠実な医者ね。おそらくあなたが伯爵家の侍女と知って、踏んだくれるだけ踏んだくろうとしてるわ」
「そ、そんな……では、ミーアは……」
ミーアと言うのがあの少女の名前だろう。ライラは真っ青になっている。最悪の想像が頭を過ったのだろう。しかしアリシアは不敵に微笑む。
「心配いらないわ。原因は分かった」
「ほんとですか!」
「おそらく魔力過剰症候群ね。人間では珍しいわ」
魔力過剰症候群とは生まれつき魔力が極端に多いことで起きる症状だ。魔力が多すぎることが原因で体が蝕まれていく病気なのだが、そもそも魔力過剰になるほどの魔力を人間が持つことは稀だ。
「ち、治療法はあるのですか?」
ライラは期待を込めた目で見てくる。しかし残念ながら治す方法はない。というか本来治療する必要はないのじゃ。
「魔力をコントロールできるようになれば問題ないのよ。良かったわね。私じゃなかったらミーアちゃんは死んでいたかもね」
「ど、どういうことです?」
「聞いてなかった?私は魔法使い。魔力の使い方を教えることはできるわ」
ただし、と続ける。
「まずは体力を回復させないと駄目ね。ひとまず魔力を抑える薬を作るけどいる?」
「も、もちろんです!!」
「代金はもらうけどね」
アリシアは妖艶に笑いながら言う。こうやって見るとアリシアが悪役のように見えるがのぉ。
「ありがとうございます!ありがとうございます!!」
「契約成立ね」
ライラは嬉しそうに何度もお礼を言ってきた。アリシアは満足気に頷く。
「それじゃあ明日薬を作って持ってくるわね。あぁそれと……」
アリシアはライラの目を見て言う。
「指輪は無事見つかった。それだけよ。これからも頑張りなさい」
ライラの顔には涙で濡れていたが晴れやかな笑顔に変わっていた。
ーーー
翌日、吾輩が魔法屋のカウンターで惰眠を貪っていると扉が開く音がした。
「ただいまぁ~♪」
魔法屋の扉が開き、アリシアがスキップしながら帰ってきた。両手には金貨が詰まった革袋を提げている。ずっしりとした重量感に笑みが止まらない様子じゃ。
「今回の収益は金貨30枚! 指輪の買い戻し代は別で貰ってるから大儲けよ!」
「そりゃ良かったのぉ。夫人はどういう反応じゃった?」
吾輩は上機嫌のアリシアが出してくれた焼き菓子をほおばりながら尋ねた。アリシアは椅子に腰掛けると、興奮冷めやらぬ様子で話し始めた。
「全部わかっていたみたいね」
「ん?何の話じゃ?」
「夫人は最初から全員知っていたわ。おそらく侍女が盗んだことも含めて」
「じゃあ吾輩たちは騙されてたということか!」
吾輩は尻尾をピンと立てて身構えた。だがアリシアは「ふふ」と笑うと首を横に振った。
「違うわよ。夫人は私たちに信頼を寄せてくれたの。盗みの犯人を突き止めてもらって、なおかつ穏便に済ませるためには誰に頼むのが一番良いか考えた結果が私たちだったのよ」
アリシアはそう言いながら袋の中から一枚ずつ金貨を取り出し始めた。机に敷かれた毛氈の上にコツンと硬い音が鳴る。一つ、二つ……と数を増やしていく。
「もし侍女が犯人だとして伯爵家内で公にすればどうなると思う?」
「まぁ即刻解雇じゃな。場合によっては犯罪奴隷落ちもあり得るぞ」
「そうよね」
アリシアは三枚目の金貨を置きながら頷く。
「夫人は侍女たちを信用しているみたい。その信用があるからこそ『穏便に』とお願いしてきたのよ」
「つまり夫人は侍女が何か理由があって盗んだと勘繰ったわけじゃな」
四枚目の金貨を手に取るとアリシアの目が輝いた。「そう!」と吾輩の言葉に嬉しそうに同意する。五枚目。
「侍女は何か事情があったんじゃないかと考えたのね。伯爵に報告してしまうと厳罰に処せられて娘は職を失ってしまうかもしれない。職どころか命さえも危ういわ。それを防ぐためにはどうすべきか悩んでいたんだと思うわ」
「で、そこで登場するのが『魔法屋』というわけじゃな」
「そういうこと」
六枚目を置き終わるとアリシアの表情が緩んだ。やっと一区切りついたようで安堵しているように見える。七枚目。さらに続けて八枚目まで置いたところで一度手を休めた。
「ミーアのことも知っていたと思うか?」
「そこまで知ってて私に依頼してきたなら凄いけどね」
「そうじゃな」
吾輩は最後の一欠片になった焼き菓子を食べ終えようと口を開ける。
「人間の貴族なんてプライドばかり高く自分勝手な奴だとばかり思っていたがな」
吾輩が最後の一欠片の焼き菓子を口に入れると同時にアリシアが答えた。彼女はすでに九枚目の金貨を置いていたところだった。
「ええ。少なくともグレイン伯爵夫人はそうじゃなかったという話だわ」
アリシアの声には珍しく温かみがあった。十枚目を置くと満足げに手を組んだ。
「いや!あらゆる可能性を考えるべきじゃ!」
吾輩は口の周りについたクッキーの粉を拭いながら言った。アリシアは怪訝な顔をする。
「どういうこと?」
吾輩は偉そうに胸を張った。
「ライラが伯爵の隠し子という可能性はどうじゃ?」
アリシアは「はぁ?」と呆れたように溜息をつく。
「それはないでしょ。ライラはどう見ても20代半ばよ」
「なら年齢的にライラが伯爵の愛人というのはどうじゃ?」
「論点ズレてるわね……」
アリシアの額に青筋が立っている。吾輩はひらめいたとばかりにしっぽを立てた。
「いや待て!ミーアが実は伯爵の血筋という可能性もある!」
「想像力豊かで羨ましいわ」
アリシアが腕を組むと、椅子がギシッと鳴った。十二枚目の金貨を置いたところだった。
「そんなことあるわけないでしょ。それならむしろ夫人は助けないでしょ」
「むぅ……」
吾輩は納得いかない。しかしアリシアは容赦なく話を切り替えた。
「単純に考えてみたらどう?」
「単純?」
吾輩が聞き返すと、アリシアは両手を広げた。
「夫人はライラを信頼していたのよ。それだけの理由じゃない?」
「それだけの理由?」
「そう。主従を超えた信頼関係があったのよ。そこに複雑な政治的理由なんて必要ないわ」
アリシアの理屈が正しいかもしれないが、悪魔歴が長い猫にとっては意外すぎる答えだ。
「そういうものか……」
「そういうものよ」
アリシアは十三枚目の金貨を数えようと、金貨を手に取った時、勢いよく扉が開く。
「アリシアお姉ちゃん!!遊びに来たよぉ!!」
元気な声が店内に響くと、扉が勢いよく開いた。そこには栗色の髪を揺らした少女が立っていた。ライラの妹――ミーアだ。頬は紅潮し、目の輝きは以前よりもずっと生き生きとしている。
「いらっしゃい、ミーアちゃん」
「クロちゃんもこんにちは!」
「吾輩はアルカポウネと言う立派な名前があると何度も言ってるじゃろが」
「アポ……アルア……アホカコウネ!!」
「せめてアルちゃんと呼べ……」
「クロちゃん!」
何度教えても吾輩のことをクロちゃんと呼ぶミーアは、吾輩に抱き着くとワシャワシャと撫でてくる。うむ。これは中々悪くないのぅ。
そんなミーアをアリシアは優しく微笑むと頭を撫でた。アリシアにとっても可愛い妹分のようである。
「あれから体調はどう?まだ熱っぽいとかない?」
「うん!平気だよ!アリシアお姉ちゃんのお薬飲んでからすっごく元気になったもん!」
「そう、それは良かったわ」
「じゃあ今日も私のために頑張ってくれるかな?」
「もちろん!早く一緒に遊ぼう!」
アリシアが提案するとミーアは笑顔で応えた。その笑顔を見ていると吾輩まで嬉しくなってしまう。やはり子供の笑顔は素晴らしいものじゃ。
「じゃあ魔石に魔力を込めるのしよっか」
「えー、あれ、つまらないよー。魔法!魔法教えて!!」
「あら?上手くできたら、おやつあげるわよ?」
「なに?今日のおやつ!」
「それは秘密よー」
嬉しそうに跳ねるミーアをあやすようにアリシアは微笑んでいる。
なんだかんだ言っても楽しそうだ。こうして魔法屋の一日は今日も緩やかに過ぎていくのだった。
ーーー
魔法使いが尊ばれる時代があった。人々の生活を豊かにする魔法使いは神に近しい存在であり憧れの的であった。しかし魔法を使うには膨大な魔力が必要だ。その為、実戦的な魔法を使える者は数が少ない。またその魔法を使いこなすためには厳しい訓練が必要だったのだ。
魔法を使える人はそれだけで高い社会的な地位を得られた。有名な魔法使いともなると、各国が勧誘したり引き抜きに来たりするのは当たり前のことだった。だが強力な魔法使いは少数派でかつ貴重な存在だ。戦争ともなれば最も活躍するのも魔法使い。それは多くの人々にとって脅威となる存在でもあった。魔法使いに対する妬みや僻みによる嫌がらせや陰謀なども横行していたようだ。
そんな歴史の流れの中で魔道具が発明される。これは誰でも簡単に魔法を使えるという画期的な発明であった。これにより魔法使いでなくとも魔法が使えるようになっていったのだ。
そして魔法使いの時代は終わった。
それが200年前ほどの話だ。今は魔道具全盛の時代。人々の生活は大きく変わった。火を起こすのも水を汲むのも光を灯すのも魔道具を使う時代となった。
現代において魔法使いなどほとんどいない。
そんな時代。
魔法屋『霧の魔女堂』は今日も下町でひっそりと開店している。




