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下町の魔法屋『霧の魔女堂』  作者: あどん


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旅商人と雨宿りと不思議な箱

雨粒が荒縄のような強さで身体を打ち付けた。空は鉛色に塗り込められ、風が耳元で唸る。まさかここまで降られるとは。突然の大雨に逃げ込むように軒先に飛び込んだのだが――目の前に現れたのは苔むした古い民家だった。


「廃屋……?いや――」


煤けた窓の内側には確かに灯りが揺れている。猫と思われる動物の絵柄が歪んだ錆び看板がかろうじて読み取れた。店の類か?


「霧の魔女堂……?」


口の中で呟いた刹那、遠雷が鼓膜を劈いた。お店なら少しばかり雨宿りをさせてもらえないだろうか。扉を開けばカランと涼やかな鈴が響いた。


「いらっしゃいませー」


静かな声に出迎えられた。椅子に腰掛けた少女の肩からさらさらと流れ落ちる金髪。翡翠色の瞳がまっすぐに僕を見つめる。透けるように白い肌に鮮烈な紅唇が咲いていた。


「こんな日に来てくださるのは珍しい」


彼女が穏やかに微笑む。見惚れる暇もなく室内を巡るが古びた棚には何も商品などはなく――それでもなぜか不思議と惹かれる魅力がある。天井から吊るされた枯れた草花。仄かな薬草と蜜蝋の香り。


「あの……雨宿りをしても?」


おそるおそる尋ねると、彼女は「もちろん」と二度頷いた。


「私はアリシア。あなたは?」

「ハルトです。行商をしています」

「行商人さん……どんな品物を扱っているの?」

「今は宝石や布を取り扱っています」


会話しながら窓枠に凭れかかる。屋根を叩く雨音が次第に遠ざかる感覚。こんな嵐の日なのに心地よい静寂だった。どうぞと席に通されると、カウンターの隅で黒猫が金色の瞳を光らせている。尻尾がゆったり揺れた。


「ここはどんなお店なんですか?」

「ここは魔法屋。見えないものが見えたり。失われたものが見つかったり。普通では解決できない問題が解けたりするのです」

「ま、魔法ですか?」

「ええ。私は魔女ですから」


冗談とも本気ともつかない口調。けれど嘘偽りのない真っ直ぐな声音だった。視線が泳ぐ僕を見て彼女はくすりと笑った。


「珍しいですよね。魔法使い」

「私は初めて会いました」

「今は、魔道具が主流ですものね。特別な人でなくても魔法が使える時代。ただ魔法ではないと出来ないこともありますよ」


ルナと呼ばれた銀色の子狐が膝に擦り寄ってきた。柔らかい毛並み。触れた瞬間ほのかな温もりが掌に伝う。子供の頃読んだお伽噺が走馬灯のように蘇る。


「……そうだ。魔女さんならわかるかも」


鞄から取り出したのは古びた小さな木箱だった。両手で握れるほどの小箱。どこか異国情緒を帯びた不規則な切り込みが彫られており、何やら幾何学模様が施されている。

先週の商談相手に押し付けられたものだ。曰く“魔法が込められた神秘の箱”だが――


「どうやら曰くつきものらしく、持っている者に不幸が訪れるらしいのです。私はそんなものは信じませんが……ならばと押しつけられてしまいまして」

「なるほど。見てみましょうか」


アリシアが差し出した手のひらへ箱を載せると、楽しげに目を細めた。箱を手に取り慎重に揺らす。重量は重くもなく軽くもない。内部から奇妙な音もしない。匂いも特になし。木材は堅牢ながら滑らかで加工性が高い材質。職人の技巧を感じさせる一方で……彼女はしばらくじっと凝視したあと軽く首を振った。


「魔法も呪いも感じないですね。これは魔法よりずっと面白いものですね」

「面白い?」

「からくり箱ですね。複数の手順を踏まないと開かないようになっている」

「……からくり?」

「秘密を隠すために作られた箱です。複数の手順を踏まないと開かないようですね」


興味津々に顔を寄せると彼女は親指と人差し指で箱の一箇所を摘まみ滑らせた。カチリ。軋む音とともに箱が少し反転する。続けて別の凹凸を押すと今度は別の板がスライドした。


「な……っ」

「魔女でなくても作れますよ。魔法よりずっと難しいかもしれないですね」


次々と解錠の操作を繰り返していくアリシアさん。三度目の動作で完全に蓋が開いた。薄く埃の舞う中から現れたのは一枚の羊皮紙だった。


「あっ」


僕は恐る恐る中を覗き込んだ。そこにあったのは薄汚れた羊皮紙。焦げ茶色のインクで文字が並ぶ。震える手で取り出し広げると──



愛しき君へ――


今日も無事に帰れました。

君が待っていると思うだけで、足取りが軽くなる。


この箱は、君が笑う顔を思い浮かべながら作った。

もし、言葉が足りなくなったら、これを開けてほしい。


変わらず、君を愛している。


君がこれを読むとき、私は隣にいるだろうか。



雨音が激しく響く中、胸の奥に火が灯るような錯覚を覚えた。筆致は乱れ、感情が迸っているのが伝わってくる。


「……恋文ですね」

「みたいです」

「素敵な言葉。誰かから贈られたのでしょう」


彼女の声は穏やかだが少し弾んでいる。僕は目を伏せた。手紙を持つ指が緊張で僅かに震えている。


「でも……僕には関係ないです。これをくれた人だって他人から譲り受けたもので」

「その割には随分と気にされているようですけど?」

「そりゃ……こんな深い想いを簡単に捨てるわけにはいきません」

「ならば探してみればいいじゃない」

「え?」

「あなたの心を打ったのなら、その手紙を書いた相手を」


アリシアが立ち上がる。窓の外を眺めると灰色の雲が裂け始めた。青空の切れ端がちらりと顔を出す。もうすぐ雨があがるらしい。


「これは魔法の箱ではなく愛情を込めた箱。それに、あなたもすでに恋に囚われてしまった」

「僕はただ……」

「いいえ。その恋文があなたの心を掴んで離さない。違いますか?」

「……」

「手掛かりは少ないけれど。もし心当たりがあれば探すべきですよ」


彼女はまるで自分のことのように楽しげだ。僕は苦笑混じりに問うた。


「見つかったらどうすればいいのですか?」

「話を聞いてみてはいかがでしょうか。きっと彼らが伝えきれなかったことが眠っているはずですもの」

「そうですね。それがいいかもしれません」


頭を下げると懐へ箱をしまう。革袋の中の貴金属よりもずっと大切に感じられた。


「ところでこの箱は、僕のものでいいですよね?」

「もちろんです。そもそも譲られた物なのでしょ?」

「じゃあ貰います。大事にします」

「売らなくてよいのですか?」

「これは売れないな」

「そういう気持ちになるのも商人として正しいと思いますよ」


くすくすと笑う彼女の背後で黒猫が悠然と伸びをしている。窓からの微かな陽が銀の狐の毛を淡く染めた。僕は胸ポケットにしまった手紙を握りしめる。


「本当にありがとうございました」

「またいらしてくださいね」


扉を開けると冷たい風が吹き抜ける。雨上がりの湿った香りと蒼穹が同居する世界。歩き出した背中を呼び止める声はないが──なぜかまた来ようと思った。



ーーー



「まったく物好きなことよ」


吾輩──魔界大公爵アルカポウネはカウンターの上で丸くなりながらぼやいた。外は雨上がりの夕陽が虹の裾を照らしており、ルナは暇そうに欠伸をしている。大雨でミーアが遊びに来なかったからな。


「あのハルトとかいう行商人が探したいのは悲劇の遺物じゃな」

「どういうこと?」

「考えてもみろ。秘密裡に手紙を遣り取りしなければならない間柄は限られておる。互いの身分に隔たりがあり社会的に許されない恋。あるいは……片方がすでに世を去っている場合じゃな」

「つまり誰かの死別を引きずったまま書かれた未練の残滓?」

「大体の筋書きは想像できるじゃろ。男は想い人に手紙を遺して亡くなった。女はそれを誰にも言えずに死ぬまで守っていた。……手紙には決まって最後に“早く会いに来て”とか書いてある」

「ずいぶん悪い妄想をするのね」

「現実というのは残酷じゃからな」


窓から夕焼けの光が差し込む中で吾輩は前脚を舐める。しかしアリシアは澄ました顔でティーカップを持ち上げた。


「でも私は違うと思うわ」

「ほう?」

「逆よ。この手紙を受け取った人はとても幸せだったのではない?」

「幸せ?」

「そう。だからこそ相手が亡くなってもなおこの箱を捨てなかった。愛された記憶が幸福のまま終わるから残したのよ」

「……理解しがたい理屈じゃ」

「ふふ。だってそうでなければあんな美しい恋文を誰かに託したりしないでしょう。それに相手を探すって言ったハルトさんの目は希望に満ちていたわよ」


吾輩は眉根を寄せた。そんなロマンチックな見方があるとは考えたこともなかった。


「結局手紙の主は死んでおるじゃろ」

「だけど形見は生きている。そして今日読んだ彼は未来に向けて行動しようとした。それこそが愛の証なのよ」


微笑むアリシアの横顔に吾輩は嘆息した。やはりこの女は夢想家だ。だが嫌いではない。


「まあよい。好きに考えるがよい」

「あなたも素敵だと思う?」

「馬鹿め。吾輩は悪魔じゃぞ」


尻尾をぴしゃりと床に打ちつけると彼女は愉快そうにくすくすと笑った。


「魔女ってロマンチストなのよ」


その言葉に吾輩は目を細めた。悪魔の耳には痛いほどの甘やかな響きであった。

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