鑑定師と眼鏡と魔法の透鏡(後)
翌朝。角膜透鏡を付けたまま寝てしまったがまったく問題ない。痛いとかいうこともなかった。私は鏡を見る。そこに映る自分の姿を見て思わず口が開く。
昨日と同じく、はっきりとした視界。しかし問題はその中に映る女の子。
「うわ……」
あまりの変わりぶりに驚愕する。昨日は夜だったので気づかなかったが……あれ?私がこんな美人だった?昨日の時点で充分美少女ではあったものの朝日に照らされてみると更に美しい気がする。昨日ヴェラがセットしてくれた髪型が多少崩れているものの十分許容範囲だ。どうしようか。みんな驚くだろうな。楽しみだな。
ギルドに行くと皆挨拶してくれる。同僚の受付嬢が目を丸くする。
「リサさん?」
「ああ……うん」
恥ずかしくなって顔をそらすとクスクス笑う声が聞こえた。うわ恥ずかしい。
「今日は眼鏡じゃないんですね」
「うん」
「新しい髪型も可愛いですよ」
「ありがと」
女性職員だけではない。男性職員まで口笛を吹いたりしている。冒険者たちも遠巻きに眺めている。なんか有名人にでもなった気分だ。こういうのもたまには悪くないよね。
私は普段通り挨拶してカウンターに入り座る。早速依頼が舞い込んできた。
「武器の鑑定をお願いします」
いつも通り受領書を書こうとするが……書類の内容がすぐに分かる。今までだったら顔を近づけて読んでいたけど今は目の前の紙がハッキリ見える。なんて素晴らしいんだ!今まで何に困っていたんだろうって思うほどだ。書類の確認が捗る捗る。
そして午後の業務が始まった。普段なら暇な時間帯なのだが……続々と人が来る。何故だ?
「リサさん」
「はい?」
「お願いできますか?」
「いいですよ」
鑑定依頼が次々と舞い込む。新人冒険者たちだ。以前は滅多に来なかったはずだ。しかも彼らはやたら緊張しているように見える。他にも鑑定師は居るのに私のところにわざわざ来ているような……。まさかね。偶然に決まってる。だけど彼らが用件を済ませてもなかなか帰らないのだ。一体なんだろうか?彼らは互いに視線を交わし合い、勇気を振り絞るようにして私に話しかけてくる。
「あのー……俺達って結構一緒に仕事をしてて親しいですよね?」
「ん?ああ……そうね」
確かに何度か同じパーティの仕事を受けたりしてるから面識はある。しかし突然何を言い出すんだろう。
「そしたら今度一緒にご飯行きませんか!?」
「はい?」
突然の誘いに驚く。え?どういうこと?食事?なぜ私?訳がわからないまま断り続ける。そこからは次々と誘いを受け続ける羽目になった。
「今度飲みに行きませんか?」
「いやだから……」
「次の休み空いてないですか?」
「そういうのはちょっと……」
困った。どうしてこうなったんだ?確かに少し外見が変わったと思うけど……。私は内心焦りを感じていた。
ーーー
三日後、私は再び『霧の魔女堂』を訪れていた。眼鏡を外して以来、周りの態度がおかしい。正直疲れる。原因は恐らくこの角膜透鏡だろう。これは素晴らしいものだと思うが副作用があまりにも大きすぎるのだ。
カランカランとドアベルが鳴る。店に入るとカウンターには大きな猫アルカポウネが寝ており、小さな女の子と子狐が遊んでいた。私が入ると三人はこちらを見る。
「いらっしゃいませ!」
甲高い声で挨拶してくれたのは五歳くらいの子供だった。亜麻色の髪に三つ編みを二つ結びの幼女だ。その後ろには銀色の毛並みの子狐が隠れている。可愛らしい姿につい微笑んでしまう。
「お姉ちゃん誰?」
「あ、私はリサよ。アリシアさんいる?」
「いるよ。ちょっと待ってね。アリシアお姉ちゃん〜お客さんだよ〜」
「はーい。いらっしゃいま……あら?リサさん」
カウンター奥の扉からアリシアが現れる。彼女はカウンターに座ると「どうぞ」と座るように促してきたので私も腰掛ける。
「リサさん。その様子ですとなにか問題でもありましたか?」
「その……まあ」
促され私はここ数日の経緯を話す。目が良くなるのは素晴らしい。でも周囲の態度が急に変わって疲れてしまったことを。
「この魔法のレンズのせいですよね?魔法の力は凄いのは分かりましたけど……副作用が強すぎます」
「副作用?」
「そうです。だって外見が変わったら皆おかしくなるじゃないですか」
「それはリサさんの本来の魅力が解放されただけでは?」
アリシアはさらりと言う。ん?なんだそれ。私は首を傾げる。どういう意味だろう?私の質問を察したアリシアは静かに答える。
「人は第一印象で判断する生き物ですから。リサさんの外見の変化によって評価が大きく変わるのは当然のことなのです」
「つまり?」
「今まで目立たないようにしていた姿が美しいものへと変貌を遂げたわけです。周囲の評価が変わるのも無理はありません。むしろ今まで損をしていただけだと思いますよ」
「えー、そうなんですか……」
うーん。この魔法のレンズのせいじゃないのか?でも今のままはちょっと困る。正直やりにくいし。
「でも今の状況は困るんです!どうすればいいと思います?」
アリシアは、ふむーと暫く考えてから言った。
「では、もう一度眼鏡をかけましょうか」
「は?いやいや待って下さい。そもそも眼鏡が高いからここに来たわけで」
「いえ、買う必要はありません。これを使えばよいのですよ」
アリシアはカウンターの引き出しから黒縁の眼鏡を出す。ってそれ私の……。
「ふふ、あなたが忘れていったものですよ」
「あ……」
角膜透鏡が凄すぎてうっかりしていた。10年も付き合ってくれた相棒なのに。
「これをこうしましょう」
「え?」
アリシアは眼鏡のレンズを外してしまった。それって眼鏡であって眼鏡じゃない。
「これをかけて髪型を戻してみては?」
なるほど、これなら魔法のレンズを使いつつ眼鏡っ子に戻れる。髪型も三つ編みに戻す。うん。慣れた髪型だ。
「眼鏡のおねえさんも素敵!」
女の子がそう言ってくれた。アルカポウネが同意するように尻尾を振っている。ちょっと嬉しくなるけど……まあ元の自分に戻るだけなんだけど。少し寂しい気もするがこれで平穏な日常に戻れるだろうか。
ーーー
そして翌日、ギルドに行く。早速、同僚の受付嬢に話しかけられた。
「えー、リサさん、戻しちゃったんですかー。残念です」
やはり外見が変わると色々影響があるようだ。業務に就くけど、他の冒険者もあまり来なくなった気がする。よかったーこれで落ち着くぞー。
と思っていたら……
「リサさん。おはようございます」
「おはようございます」
常連の男性冒険者レオンさんが挨拶してきた。この人は頻繁に顔を出す人だ。最初は怖い人かと思ったが話してみると物腰柔らかでおだやかな人だった。
彼はぼそぼそと言葉を続ける。
「……昨日見たときとは雰囲気が違いますね」
「そうですか?」
「はい。髪型とか。けど……」
レオンさんは頭をかきながら言いにくそうにしている。やがて意を決したように口を開く。
「……俺は今日の髪形のほうが……すきです」
「え?」
「あっいや違う。もとのほうが……いい意味でです。えっと……そのほうが集中できるというか」
レオンさんは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。この人も他の人たちのように何か勘違いしているんじゃないか?そう思った時だった。
「えっと……リサさんはそのままでいいですよ。変に飾らなくても十分魅力的ですし」
「え?」
彼の真っ直ぐな視線を受けて思わずドキッとする。嬉しいような恥ずかしいような気持ちになった。顔が赤くなるのがわかる。でも嫌じゃない。
外見が変わらなくても私のことを認めている人が居るんだ。そう思うと嬉しかった。今までやってきた自分を認めてもらえた気がして涙が出そうになる。
「ありがとうございます」
彼は照れながら去っていく。その後ろ姿を見送る私の胸は高鳴っていた。この新しい気持ち。いつまでも大切にしていきたいと思った。
ーーー
霧の魔女堂の昼下がり。陽射しが差し込み始めた店内は、春の湿気を含んだ空気が僅かに漂っていた。吾輩は店の窓辺に陣取って尻尾をパタつかせる。
「ふん、今日もやってるわい」
吾輩の視線の先では、ミーアが黒縁の眼鏡を自分の小さな耳に掛けようとしていた。しかしフレームが大きすぎて、両手で押さえないと落ちてしまう。その滑稽な様子を横目に見つつ、喉を鳴らす。
「ミーアよ。お主はまだ人間の器量には届かぬ。そんな大きい眼鏡など持つな」
「むう……クロちゃんのいけずー」
プンスカと怒るミーアだが、すぐに笑顔になり眼鏡を逆さまにして遊び始めた。魔法薬の匂いが微かに混じる調合室で、子狐のルナは床に落ちた羽根を追いかけて回っている。霧の魔女堂は今日も騒がしくも平和そのものだ。
結局、リサはレンズを抜いた眼鏡で仕事をしているらしい。必要ないものをわざわざ顔に着ける――人間の行為には理解できぬが、なんでも“お洒落”とやらで着ける人間がいるのだとか。アリシア曰く、「人は外面から入るからね」とのこと。レンズを抜いた眼鏡。魔法の角膜透鏡。両方を使うことで、外見は控えめに保ちつつ視力は極めて良好――人間社会の煩わしさを最小限に抑えているわけだ。
「まあ奴にとっては賢明な選択かもしれんな」
その後、リサは正式に角膜透鏡の購入を申し入れてきた。ただし「何回か分けて」とお願いされて。アリシアは難なく受け入れたが――吾輩には解せぬ。報酬とは即金だ。吾輩が悪魔だった時代なら考えられぬ風習である。そもそもあの魔道具を簡単に貸し出すなど。そのまま持ち逃げされたらどうする?疑問をぶつけると、アリシアは涼しい顔で言った。
「いいのよ。リサさんはきちんと働く人ですし」
「取りっぱぐれても知らんぞ」
「もしそうなったら、それはわたしの見る目がなかっただけよ」
「まったく……お人好しめ」
アリシアのその泰然とした態度には呆れる。まあこの変態エルフなら当然の選択か。
そんなことを考えておると、調合室からミーアが転がり出てきた。小さな掌には真新しい“伊達眼鏡”が載っている。枠が木製でレンズもなにも入っていない。いかにも玩具だ。
「アリシアお姉ちゃん!コレどう?」
ミーサが鼻息荒く尋ねると、アリシアはクスリと笑った。
「ちゃんと真ん中合わせて掛けないと似合わないわよ」
「えー、難しい~」
やれやれ。霧の魔女堂の騒がしさは止まらぬな。だがこの賑やかさこそが日常だ。人間の感情論に付き合うのは骨が折れるが――存外退屈せぬ。
最後に見送ったリサの後ろ姿を思い返す。あの娘もまた、平凡でありながら何かを変えようと藻掻いている。変化を望む者は得てして転びやすいが、それでも進む。それが人間の業というものであろう。まあ吾輩は猫である。その在り方は傍観するのが丁度良い。
窓の外の青空を見上げる。雲ひとつない。
「霧の魔女堂は今日も平和じゃ。さあ昼寝の時間じゃな」
尻尾をゆっくりと振り、吾輩は柔らかな陽だまりに身を預けた。




