鑑定師と眼鏡と魔法の透鏡(前)
眼鏡のレンズが汚れているのかと思った。指で拭いても視界は霞んだまま。そういえば最近数字を記載する書類が読みづらい。細かい文字が滲んでしまう。やっぱり……度が合わなくなってきたのかしら。
私はリサ。王都冒険者ギルドの鑑定窓口担当。仕事柄精密な鑑定が必要なのに視力が弱っては困る。困るのだが……。
「買わなきゃなぁ」
金額を考えると溜息が零れる。眼鏡は高価。安物を買うと却って見えずに苦労してしまう。
「おっ。なんだいしけた面して」
「しけた面で悪かったわね」
ヴェラが顔を覗き込んでくる。彼女はダンジョン専門の盗賊。低階層を徘徊して宝箱を漁る通称『ゴミ拾い』をしている冒険者だ。『ゴミ拾い』などと揶揄されているが、堅実に稼げる方法ではある。危険も少ない。しかし迷宮探索をする冒険者は一獲千金を狙いがちだ。
「それで何か持ってきたの?」
「ああこれさ」
彼女が取り出したのは短剣と宝石。どっちも低階層で出るものだから大したものじゃないと思うけど、一応、ちゃんと鑑定しないとね。古代遺物かも知れないし。
「短剣は鉄製、宝石はガーネットの安物ね。どっちも特に価値があるわけではないわね」
そう伝えるとヴェラが肩を竦める。私は鑑定結果を記録しようと書類を取り出したのだが……うーん。やっぱり字が滲む。
「どうしたの? 最近ずっと苦い顔してるじゃない」
「眼鏡が合わなくて仕事に支障が出そうなのよ」
「へぇ。じゃあ買い替えたらいいじゃん」
「簡単に言うけど高いのよ。それに度が強いから調整も大変だし」
一度眼鏡を外し、レンズを見る。分厚いレンズだ。よく見ると細かい傷もたくさんついている。それもそうだ。もう10年は使っている。私自身は生まれつき近眼で眼鏡なしではろくに見えない。
視界がボヤける原因は明白だけど、買い換える決断ができない。経済的な負担も大きいし……。
「困ったわ……」
「一度魔女に見てもらう?」
「へ?」
「ほら『霧の魔女堂』一度行ってみたいと言ってたじゃない」
『霧の魔女堂』……名前だけは聞いたことがある。本物の魔法使いがやっているという噂のお店。ヴェラはうちでゴミと言われた変な出土品を持ち込んで鑑定してもらってるらしいけど、別に鑑定を生業にしているわけではなく、便利屋みたいになんでも相談に乗ってくれるらしい。
「魔女に見てもらえば治るのじゃない?」
「そんなに簡単に治るなら医者がいらなくなるでしょ」
呆れながら言い返す。まあ、目が悪いのが医者に行って治ったというのを聞いたことはないけども。でもヴェラは「あそこなら違うかもしれないよ」と言ってくる。興味がないといえば嘘になるけれど……。
考え込んでいると、ふと彼女の目が輝く。
「ねえちょっとお茶でも飲みに行かない?」
普段そんなこと言い出さないのに珍しいわね。
「お茶ぐらいならいいけど」
「やった!」
彼女は嬉しそうに手を打つ。仕事終わると共に私たちは外に出た。夕暮れ時の王都は既に多くの店が閉まっている。人通りもまばらだ。
「こっちこっち」
ヴェラが駆け足で路地裏に入っていく。こんな場所にお茶屋さんなんてあったかしら。そう思いながらついていくと……路地裏を抜けた先に、古びた一軒家があった。どうみても民家にしか見えないが……。
「ここだよ」
おそるおそる扉を開けると鈴の音が響く。薄暗い室内にカウンターには大きな黒猫が我が物顔で寝ている。そしてカウンターの奥には美しい金髪の少女が立っていた。15歳位だろうか。それにしては落ち着いていて大人びた雰囲気がある。翡翠色の瞳が印象的だ。
「いらっしゃいま……あら?ヴェラさん。今日は何のご用ですか?」
「こんばんわアリシア。遅くにごめんね。ちょっとお茶でもご馳走になろうと思ってね」
ヴェラがそう言うと、アリシアと呼ばれた女性はふふっと微笑む。そして彼女が天井を見つめて、パッと手を振ると、店内が明るく灯った。暖かなオレンジ色の光が部屋を照らす。え?なに?ランプなんかないけど。今のが魔法……なのかしら。そして彼女は私の方に視線を向けた。
「そちらの方は?」
「私はリサ。冒険者ギルドで鑑定士をしています」
「リサさんですね。どうぞ、おかけになって下さい」
アリシアさんは私たちをテーブルに案内してくれた。黒猫が気だるそうに伸びをしてカウンターに座りなおした。あれ?なんか今「やれやれ」と喋ったような気がしたけど……気のせいよね。
「ヴェラさん。最近はどうですか?」
「なーんにも、残念ながら面白そうなものは出ないね」
「それは残念ですね」
ヴェラとアリシアは楽しそうに会話を続けている。そう言えば前にヴェラが言ってたな。霧の魔女堂で不思議な円盤を買ってもらった話。安かったけど、冒険者ギルドよりも高く買ってくれたって。
彼女は奥のキッチンに向かった。しばらくすると紅茶と焼き菓子を持って戻ってくる。カップからは湯気が立ち上っていてとても良い香りが漂ってくる。一口飲むと体の芯から温まるような心地よさに包まれた。
「美味しい……」
思わず声が出てしまうほどだった。私が感嘆していると、アリシアさんがクスクス笑う。
「それで、まさかこんな時間に本当にお茶を飲みに来ただけじゃないでしょ?」
「ああそうそう。リサを連れてきたのはちょっと相談があってね」
「相談?」
「リサったら最近視力が衰えてきたっていうのに眼鏡が壊れてるみたいなのよ」
「えーっと」
「いやいやいや、眼鏡が壊れたんじゃないんだけど……」
ヴェラに言われるとなんだか恥ずかしい。私は曖昧に笑うしかない。
「視力が落ちてるんですか?」
「ええ、眼鏡変えなきゃと思っているんですけど」
私がそう言うと「失礼」と言ってアリシアは私の眼鏡を外すと、私の目の中を覗くように見てきた。彼女の翡翠色の瞳がすぐ近くにある。すごく綺麗な瞳だ。思わず見惚れていると、「ふむ……」と一言呟いた後、
「近眼に乱視も混ざってますね。しかもかなり重度の」
「近眼?乱視?」
「ええ、遠くのものがぼやけて見えるんです」
「ふーん、アリシア。これって治せる?」
ヴェラが尋ねる。私は正直言うと半信半疑だったが内心期待していた。
「いえ、さすがに……リサさんは子供のころから目が悪かったでしょ?」
「ええ、そうなんです」
「長い時間をかけて悪くなったものって魔法じゃ治せないことが多いんですよ。何か事故とかで悪くなったとかなら、治ることもあるんですけど」
「目っていつの間にか悪くなってるんですよね」
やっぱりダメか。そうだよね。目が悪くなる原因はいろいろあって簡単に治るものじゃないし。
「私は、度がキツいせいで、眼鏡を作ってもらうにしても高いんですよねー」
そう言うと、アリシアは何故か私の手を握る。暖かい感触が伝わってくる。
「リサさん。魔力が高いですね」
「へ?」
「え!?なになにリサは魔法使いになれるってこと?」
「いえ、そこまでは……人間多かれ少なかれ魔力を持っているんですよ。リサさんは他の人より高めですね」
そう言うと席を立つ。奥へと下がっていった。途中で黒猫に「アル手伝って」と声をかけると「やれやれ猫使いが荒いのぉ」と言ってカウンターから降りてくる。黒猫……アル……?いやいや待て待て……今やっぱり喋ったよね!?猫が人間の言葉をしゃべった?
混乱しているとヴェラが小声で言う。
「あの黒猫はアルカポウネ。彼女の使い魔だよ」
使い魔って……本当に魔法使いにみたいだ。いや、みたいじゃなくて本当に魔法使いなんだー。物語の中にしか出てこないような存在が目の前にいるということに改めて驚く。私は呆然とその後ろ姿を見送った。
しばらくするとアリシアは何か平たい円盤のようなものを持って戻ってきた。
「これを使ってみて下さい」
「これは……レンズ?」
レンズは、レンズだと思うのだが、ちょっと大きい。今の眼鏡のレンズより大きいものだ。これをどうしろと?
「これを目に当ててください」
「はい?」
「押し当てるようにするんです」
はい?今度こそ聞き間違いかと思った。目に?レンズを?無理やり?
「あの……冗談ですよね?こんな大きなレンズ押し当てても……」
「大丈夫ですよ」
アリシアは、さあさあと強引に進めてくる。綺麗な顔をして意外と押しが強い人だな。私は渋々、レンズを目に近づけると、不思議とすっと小さくなり、そのまま眼球に吸い付くように張り付いた。何これ!?気持ち悪い!!いや待て……見え方がおかしい。今まで滲んでいたものが澄んで見える。こ、これは!?
信じられないほどの鮮明さだ。今まで眼鏡で矯正してきたものが消えて視界が広がったような感覚さえある。
「すごい!」
「でしょう?」
アリシアは得意げに微笑む。一方で黒猫は呆れた顔をしている。なんでだよ。
「それは角膜透鏡と言う魔道具なんです」
なるほど。これなら眼鏡と違って落下の心配もないし重さもゼロだし素晴らしいじゃないか!
「リサさんは、魔力が普通の人よりは高めなんで、今後目が悪くなっても自然に矯正してくれるでしょう。なのでずっと使えますよ」
未来永劫!?そんな夢みたいなことができるんだ!?魔法使いってすごい!私が歓喜していると……。
「まぁその分、お高いですけどね」
「へ?」
アリシアがさらりと衝撃的な事実を告げる。ヴェラの笑い声が聞こえたが私はそれどころじゃない。
「えーっといくらですか?」
アリシアは笑って、私の耳に口を近づけると、小さな声で金額を告げられた。
「むりぃー!」
思わず叫んでしまった。予想を遥かに超える価格だ。眼鏡2つ分としても高いんだけど。いや、今後眼鏡の心配をしなくていいと考えると安いのか?ムムムと悩む私を見てアリシアは提案してくる。
「ひとまずお試しでしばらく使ってみてください」
お試しでと言われたが、こんなの使ったら絶対欲しくなるに決まってるじゃないか!とはいえ、ここまで来て何もしないというのもなんか悪い気がしたので私はその提案を受け入れた。
するとヴェラが私の顔をずっと見ている。
「ん?どうしたの?」
「リサって前から素材がいいと思ってたけど、眼鏡外すと意外と可愛らしい顔してるのね。せっかくだし髪型も変えようよ」
ヴェラはそう言うと、私は椅子に座らされ……髪を梳かれ……。あれよあれよという間に髪型が整えられていく。アリシアは苦笑いしながらも鏡を持ってきてくれた。さらに化粧箱まで持ってきてくれる。
「アリシアって化粧なんてするんだ」
「ほとんどしないですけどね」
「アリシアは元がいいから徳だよねー」
「リサさんも、ほとんど弄らなくて良さそうですけどね」
「少し化粧するだけで変わるから、さぁリサ。こっち向いて」
そういわれて顔を向けると二人でなにやら私の顔を触っている。人に化粧を施してもらうのは、あまり好きではないのだが……。しばらくして出来上がった姿を鏡越しに見る。
「いいですね」
「似合うわねぇ」
二人とも満足げに見つめている。私はというと信じられない位可憐な顔の女の子が写っている。これが私!?素直に驚いた。私は普段あまり鏡を見ないので自信がなかったけど……なんかいいかも!?
「リサさんの眼鏡はかなりレンズが厚かったですし、外すだけでも印象がかなり変わりますね」
「いいじゃんいいじゃん!」
アリシアの一言にヴェラが反応する。なんか褒められるとむず痒い。恥ずかしくなって目を伏せてしまうとヴェラが背中をバシっと叩いてきた。
「ほら胸を張りなさいって」
「あぅ……」
私は立ち上がるとアリシアに見送られ店を出た。夕闇迫る王都の街並みがいつもより輝いて見える。レンズ越しにしか見てこなかった世界。こんなにも美しいものだったとは思わなかった。私はしばらく余韻に浸っていた。
「せっかくだし飯食って帰ろうや」
「明日早いから私……」
「たまには付き合いなさいよ」
ヴェラに引っ張られていく。何か道行く人がチラチラこっちを見るのが気になる。やっぱり変?いや褒められたばっかりだから堂々としてればいいのか?まぁ気にせず楽しもうかなと開き直ることにした。
食事処に行き食事を摂る。美味しい料理に舌鼓を打ちながら酒も入ってどんどん盛り上がる。久々のお酒。仕事帰りにこんな風に過ごすなんて久しぶりだった。それにしても周囲からの視線を感じるな……気のせいかな?




