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下町の魔法屋『霧の魔女堂』  作者: あどん


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屋台と幟と魔法の言葉

午後の陽射しが屋台を照らす。王都中央広場の噴水を囲むように並ぶ屋台群の一角で、双牙猪ヴァイデンボアの串焼きを焼く煙が細く立ち昇っている。炭火の上で脂が弾けるジュウという音とともに、香ばしい匂いが漂うが──。

私は鉄板の前に立ちながら深い溜息をついた。


「あぁ……また閑古鳥か。これじゃあ在庫を抱えたまま夏を迎えちまうよ」


手元の肉塊は冷たい。冬場はこの油の乗った肉が飛ぶように売れたものだが、暖かくなるにつれ客足は遠のき、今や昼飯時でさえ半分近くの串が売れ残ってしまう。工夫した味付けも材料費がかさむばかりで儲けにならない。肉が古くなる前に捌き切りたいと焦る気持ちばかりが募っていた。本来なら精力回復に最適とされるボア肉は、これからの季節こそいいはずなのに。


理由はわかっている。旬の時期が過ぎたことで独特の臭みが強まる。それを熟知した常連たちは次第に足を運ばなくなるのだ。もちろん処理に工夫し対策はしている。だから臭みも消しているし味が落ちたなんてことは絶対にない。だが「なんとなく」「微妙に」という曖昧な理由が人々の足を止める壁になる。

そして人の来なくなると、さらに人が来なくなる。悪循環の渦に飲み込まれつつあった。夕暮れを迎える今時分になると、残った肉を自宅の夕餉に回すのが常態化していた。


「おい婆さん!二本くれ!」


威勢の良い声に我に返った。いつも常連の若い衛兵だ。にっこり笑って返事をする。


「はいよ! ちょっと待ってな!」


ささやかな客足でも十分に嬉しいのだ。脂身の多い部位を選り分け鉄網に並べる。ジュウッという音とともに甘辛いタレの香りが辺りに広がる。

串をくるりと回して火の通りを確かめると湯気立つ一本を手渡した。


「お待たせ!」

「待ってました!うーんいい匂い!」


熱々の串を受け取ると豪快にひと噛み。たちまち顔中に幸福が満ちる。その屈託のない笑顔は心の陰りを少しだけ拭い去ってくれた。


「やっぱりここのは最高だ!こんな美味い肉が毎日食えるなんて幸せもんだ!」


褒め言葉が痛いほど胸に沁みる。確かに自分は幸せ者だと改めて思う。愛する肉を扱いそれを喜んでくれる客がいる。それでもこのままでは先細りしてしまうのは明白だった。


「喜んでくれるのは嬉しいけど、ボア肉はそろそろ終わりだねー」

「何故だい?こんなに美味いのに」

「今時分はもう旬が過ぎたからね……味が落ちると感じる人が多くて……」

「全然そんな感じはしないけどな」

「うちはしっかり下ごしらえしてるからね。それでも、やっぱり気分の問題なんだろうね……」


若い衛兵は残念そうに眉を寄せると串を平らげ残りの一本を咥えると礼を言って踵を返した。その後ろ姿を目で追いながら再び溜息をつく。このままでは肉を腐らせてしまう。せめて在庫だけは売り切ってしまいたい。何か良い手はないものか──。


そんなことを考えていると頭の上に大きな黒猫を乗せた女性がゆっくりと近づいてくる。私は反射的に振り向いた。


「あらアリシアさん!こんな時間に珍しいね」

「アルがどうしても肉が食べたいと言い出してね」

「お主も今日は肉の気分とか言ってたろうが!」

「ふふっ」


頭上から声がした。黒猫アルカポウネだ。最初は喋る猫に驚いたが、今ではすっかり慣れてしまった。大概お昼に来ることが多いのだが、今日は夕方である。


「何本いるんだい?」

「一本。アルも一本でいいよね?」

「二本じゃ」

「また太るよ」

「誰がデブ猫じゃ!!」

「ふふっ」


アリシアが笑いながら懐から巾着袋を取り出す。銅貨数枚が音を立てて入れられた。


「それにジェシカさん今日はどうかしら?ご機嫌斜めのようだけれど」

「いやぁ……実はねぇ……」


苦笑いで頭を掻いた。事情を話し始めるとアリシアの緑の瞳が瞬きもせずじっとこちらを見つめる。


「うーん、それは大変ですね」

「せめて在庫だけでも売り切れたらと思ってるんだけどさぁ……」

「やれやれ、これはまた……」


アルカポウネが何か呟くとアリシアはにっこり微笑むと一言だけ告げた。


「ジェシカさん、お店にいらしてください。良いものがあります」



ーーー



夕暮れが迫る頃店じまいを終えるとすぐさま『霧の魔女堂』へと足を運んだ。チリンチリンと澄んだ鈴の音が響き渡る中で出迎えてくれたアリシアは、得意げに奥から長細い旗のようなものを持ち出した。


「なんだいこれは?」

のぼりよ」

「のぼり?」


私は腰に両手を当てて幟を見上げた。一メートルほどもある長い布地に淡い青で波打つ雲紋が描かれている。端には銀糸の縁取りがあり風に揺れるたびに微かに輝いた。


「東方の国々で軍隊が旗印として掲げていたものね。いまは商業用に使われる機会が増えているのよ」

「なるほど……看板代わりか。うちみたいな屋台だとこういう方が目立つかもね」


納得顔で頷いたがすぐに眉を寄せる。


「だけどこれだけで客が増えるって保証はないだろう?」

「まぁまぁ。試しに立ててみてください」


アリシアは、少し考える素振りをすると筆を取り、幟の中心部に力強く書いた。


焔星曜日えんせいようびボア曜日』


「これは?」

「兵士たちの間で密かに広まっている習わしよ。炎の力が最も強いこの曜日には活力を養う意味で肉を食べる文化があるの。特に猪の肉は筋力を回復させ体を温めるのに最適とされているわ」

「ほーう?」

「むむ、本当なのかそれは?」


黒猫アルカポウネが首を傾げた。


「実際の効能はさておきね」


アリシアは肩をすくめた。


「重要なのは焔星曜日と肉とボアを連想させること。人の意識を上手く誘導すれば集客に繋がるわ」

「でもねぇ……」


ジェシカは半信半疑のまま幟を眺めた。確かに幟は美しく目を引くが看板だけで状況が変わるとは考えにくい。


「ま、試しにやってみてよ」

「そうね。タダなら……あっ!謝礼……」


そう言うとアリシアはにっこり微笑む。


「儲かったらでいいわよ。串焼き奢って頂戴」

「そんなことでいいのかい?」

「勿論よ」


黒猫アルカポウネが欠伸交じりに「また始まった」と呟いた。まあ、立てるだけならタダだ。こんなんで売れるならありがたい話。私は幟を受け取ると軽く礼を言い店を後にした。期待よりも困惑の方が大きかったが。



ーーー



翌週の焔星曜日。朝露を含んだ空気が肌にまとわりつく爽やかな一日の始まりだった。前夜のうちに仕込んだ肉はすでに整い、炭火も赤々と熾っている。準備万端の中、例の幟を思い切って突き立てた。


『焔星曜日は猪曜日』


筆文字が朝日を浴びて金色に輝く。通行人が幾人か足を止めて見上げていったが――結局それだけで終わった。その日も昼飯時は閑散としたまま。一応幟のおかげか普段より二本ほど多めに売れたくらいで「ふうむ……こんなものか」と肩を落とす。

まあ、売上が下がるこの時期に上がるなら良い方かと気を取り直す。


さらに翌週。不思議なことに客足は確実に増えつつあった。何より兵士達の来店が目に見えて増えている。話を聞くと兵士たちの間でこの店の肉が美味かったと評判になっているのだとか。食べてさえ貰えれば味には自信がある。そして次の週。以前よりずっと多い肉の在庫が見る見るうちに減っていく。暖かさを増した気候はむしろ食欲を減退させる時期のはずだ。それなのにだ。


「おーい!二本追加!」

「こっちも四本頼む!」


午後のピーク時には列が出来るほどに。普段の三倍以上のペースで捌けていく。もともと在庫を処分することが目的だったがこの調子ならあっという間に消化できそうだった。


「ふう……助かった」


汗を拭いながら安堵の息を漏らす。おかげで在庫は順調に消化されていった。これまでの低迷期が嘘のようにスイスイと売れていく。これは助かる。しかし……さすがにここまで売り上げが伸びれば補充しないわけにはいかない。ここで仕入れを控えれば次の商機を逃しかねない。別な肉に切り替えるべきか?いやこの調子ならボア肉を続行すべきだろう。


だが悩ましい点もある。旬の時期を過ぎているので仕入れ値は普段の半分近くまで落ちている。これはいい。つまり今は買い時なのだが――。売れるならばどんどん買っておくべきだ。だがもし売れ行きが落ちた時が怖い。帳簿を眺めながら溜息をつく。


「どうしたものか……」


そのとき、脳裏に浮かんだのは若い兵士の姿だった。初めて幟を立てた日に買ってくれたあの青年だ。あの屈託のない笑顔で「この肉があれば頑張れる」などと無邪気に言ってくれた。それを見た時の小さな安堵と喜びの感情が甦ってくる。そうだ、この街の人々の笑顔を作るのが自分の仕事だ。在庫を抱える恐怖よりも彼らの腹を満たすことの方が大事ではなかろうか。

悩みに悩んだ末に意を決する。


「よし決めた! 買うしかない!」


帳簿を閉じると肉屋へ向かった。ちょうど大ぶりの肉塊が安く投げ売りされていた。これだけあれば半月は持つだろう。これを機に味のバリエーションも増やしてみようか。そんなことを考えながら。


そして次の週、意気込んで店を開けると幟を掲げ直した。果たしてこの選択が吉と出るか凶と出るか。未来はまだ見えない。


「さあて今日も張り切るかね」


両手を打ち鳴らすと威勢の良い掛け声と共に肉を鉄板に乗せた。脂が弾ける音と匂いが朝の市場に広がっていく。それが今日の始まりを告げる鐘の音だった。



ーーー



霧の魔女堂の昼下がりは穏やかだった。窓辺から差し込む光が店内の棚を柔らかく照らし出し、埃の粒が空中で踊っている。吾輩は定位置であるカウンターの上ではなくソファの肘掛けに陣取り毛繕いをしていた。


チリンチリンと入口のベルが鳴る。慌ただしい足音に振り向くと小さな影が飛び込んできた。


「ただいまー!」


ミーアだ。亜麻色のお下げ髪を揺らしながら店内を駆け回る。


「おかえりなさいミーア。お使い大丈夫だった?」

「うん!ちゃんと届けたよー!」


少女は両手いっぱいに包みを抱えていた。どうやら荷物配達の報酬らしい。アリシアは微笑んで近づくとそのうちの一つを取り上げる。


「あら?これは……」

「お肉!お肉のおばちゃんから貰ったの!たくさんあるから持って行ってって」


吾輩は耳をピクリと動かした。肉?ボアだろうか。そういえば確か二月ほど前だったか。ジェシカから相談を受けたアリシアが幟を手渡した時ことがあったな。


「あの幟は確か魔道具だったのぉ」


吾輩の独り言にアリシアが反応する。


「何が?」

「ほれ、ジェシカに渡したのぼりじゃよ。【ちょっとだけ注目を集める魔法】がかかっておったではないか」

「あぁあれね」

「あの魔法。そこまで効果がないはずじゃが……あの幟を見た客が屋台に吸い寄せられるように入っていきおった。結果的に肉が売れて一件落着……そこまでは理解できる」


そこまで言って一度間を置く。


「だが肝心なのはその後じゃ。なんでもあの幟の『焔星曜日えんせいようびは猪曜日』という文句が流行しおって、他店も真似をして幟を立て始めたそうな。するとそちらも売れるようになりおった」


吾輩は尻尾をパタパタ振った。


「ジェシカの屋台の幟は魔法がかかっている。しかし他の店の幟には魔法がかかっていない。それでも同じくらい売れているのはなぜか?吾輩にはさっぱりわからん」

「ふふっ。魔法は魔法だけど……言葉の魔法もかけているからね」

「言葉の魔法?どういうことじゃ?」


アリシアはそれ以上答えずキッチンへ向かった。


ふむ、『焔星曜日は猪曜日』はしっかり市民に浸透してしまっているそうじゃ。巷では「肉欲求が高まる曜日」などという根拠のない迷信まで囁かれるようになってしまったそうじゃ。

まあ良いか。おかげでボアの肉がいつでも食べられるようになったしな。


アリシアがお茶のカップを置く音で我に返る。いつの間にかテーブルに敷かれた布の上に厚切りのボア肉が並べられていく。薄ピンク色の断面からは芳醇な匂いが立ち上る。


「アルにもあげるわね」

「当然じゃ!」


吾輩は得意げに応えた。やれやれ悪魔を堕落させるのは容易いということか。吾輩は毛皮を整えるふりをしながら内心苦笑する。

ミーアとルナが小躍りしながら椅子によじ登りテーブルのボア肉を眺めている。


……まあよい。吾輩は丸くなった背中の毛を舐めつつ舌を出した。何よりこうして旨い肉にありつけるのならば細かいことはどうでもよいではないか。

人間どもは愚かじゃが時々面白いことをしてくれる。それに巻き込まれるのは悪くない気分じゃ。


窓の外では夕焼けが濃い橙色に染まっていた。明日は焔星曜日えんせいようび。街角ではきっとまた幟が翻る。言葉に魔法があろうとなかろうと、人は集い腹を満たす。結局は単純な話なのかもしれんな。

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