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下町の魔法屋『霧の魔女堂』  作者: あどん


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回復術師と教導員と恋のお薬(前)

その日。冒険者ギルドの診療室には朝一番から慌ただしい空気が流れていた。昨日の夜遅くに発生した緊急討伐依頼の負傷者が運ばれてきたのだ。救護施設ではなく、こちらに運ばれてくるということは重症ではないが、きちんと手当てが必要な人達だ。


「治癒の光よ――」


掌から淡い光が溢れだし、傷口を覆う。淡黄色の光が患者の肌へ浸透していくにつれ血の滲みは止まり肉が徐々に再生されていく。治癒の呪文の詠唱は体力と集中力を大きく消耗させる。


最後の一人を治し終えた頃には既にお昼時になっていた。疲労で指先が震えるのを感じながら私は椅子に崩れ落ちた。窓越しの陽光が優しく降り注ぐ。ようやく一息つけたことに安堵する。


やれやれ、ギルドの救護室がこんなに賑わうことは稀だ。いつもは訓練などで負った擦り傷や捻挫といった軽傷の冒険者しか来ないというのに。もっとも今回のように複数人が同時に搬送されるような事件が日常的に起きてはギルドも機能しなくなってしまうだろうけど。


机上のコップに手を伸ばすと、中がすでに空に気が付く。水差しから新しく注いで一気に呷る。清涼な液体が乾いた喉を潤していく。


ふと視線を診療室内に向けると数名の職員たちが忙しなく動き回っている。薬草の整理やカルテの確認に追われているようだ。皆慣れた手つきで各々の仕事をこなしている。


こんな騒がしい朝も終わればきっと普段通りの穏やかな午後が訪れるはずだ。私は再び水を一口含み静かに微笑んだ。



ーーー



窓の外では雲が悠々と漂い青空を彩っていた。空気は澄み渡り遠くに鳥たちの囀りが聞こえる。診療室の喧騒も収まり、ようやく落ち着きを取り戻したギルド内には平和な時間が流れていた。


「失礼。邪魔するぞ」

「あ、グランさん……お疲れ様です」


扉の影から現れたのは教導員のグランさんだった。彼の顔を見ると思わず鼓動が早くなる。鍛え抜かれた筋肉質な体躯と強面の表情は初対面の者を怯えさせるが、接してみると意外に面倒見が良く優しい人なのだ。


「今日も精が出るな。怪我人も多かったんだろう?」

「ええ、昨晩の緊急依頼で結構な人数が運ばれてきました」

「そうか……苦労するな。だがそのおかげでみんな命拾いしたわけだ」

「そう言ってもらえると救われる思いです」


彼は救護室の常連であった。その彼が、一時期ぱったりと来なくなった時期があったのだ。救護室に来ないということは怪我をしないということで良いことなのだけど、少し寂しかったことを覚えている。


そして久しぶりに会った時に、そのことを指摘したら酒場に誘われたのだ。


珍しい。女性を誘うタイプではない。はっきり言えば朴念仁で恋愛とかは眼中にない性格だと思っていた。


そして私も奥手の方だ。だがその私が誘われて少し舞い上がってしまったのだ。グランさんとは同僚と思っていたのだが、この時、私自身気づいていなかったグランさんへの気持ちに気がついてしまったのだ。


そうしてちょっと浮ついた気持ちで連れていかれた酒場は、冒険者たちが頻繁に利用する酒場だった……。

そしてそこで聞かされたのは、『魔法のミサンガ』と『霧の魔女堂』の話だったのだ……。


いきなり男女の甘い雰囲気を求めていたわけじゃないけど、ちょっと拍子抜けをしてしまった。その反面、彼らしいなとも思った。そのことを思い出すと苦笑してしまう。なぜなら当の彼はそんな私にまったく気がついていないのだから。


「ところで、最近どうだ?」


彼が言いにくそうに頭を掻いた。質問の意図が分からず小首を傾げる。


「いや、なにか困ったことはないかと思ってな」

「大丈夫ですよ。救護室のみんなも協力してくれていますし」

「そうか……実は少し心配してたんだ。お前さんの頑張りすぎなところをな」

「そんな……わたしは普通にやっているだけですよ」

「無理するなよ。なにかあったら俺に相談してくれ」


彼の言葉に胸が温かくなる。こんな朴念仁でも私のことを見てくれているのかと思うと嬉しいものである。


「ありがとうございます」

「いいんだ。それじゃあ俺は訓練に戻る」

「行ってらっしゃい」


彼の大きな背中を見送ると同時にため息が漏れた。グランさんとの関係はこれ以上進展することはないのだろうか。救護室と訓練所の境界線を超えられない私たち。仕事仲間という域から出ることが出来ない歯痒さを感じていた。

救護室で過ごす日々の中で芽生えた淡い感情。これは本物なのだろうか。そして彼は私をどう思っているのだろう。そんな思いが去来する度に心がざわめく。


そんな時ふと思い出したのは彼の口から聞いた『霧の魔女堂』の話であった。


あの時グランさんは悩みを解決するためにそこを訪れたと言っていた。


なんでも色んな相談事を聞いてくれるらしい。こんなことを他の同僚に相談するのはちょっと恥ずかしいし。それに今まで聞いたこともないお店。ちょっと気になる……。


私はその日のうちに調べてお店の場所を確認しておいた。


霧の魔女堂という名前に惹かれるものがあった。魔女と呼ばれる店の主人がどのような人物なのか興味が湧いたのだ。そしてなにより自分の気持ちを整理するための手助けとなればと思った。



ーーー



翌日――


診療室での業務を終えるとすぐに準備をして向かった。王都の北東部、下町と呼ばれている地区の一角にその店はあった。古い煉瓦造りの建物に蔦が絡まり神秘的な雰囲気を醸し出している。


扉の前で深呼吸する。これから自分がどんな答えを得られるのか分からないけれども一歩踏み出す勇気はある。意を決してノブに手をかけた。


軋む音と共に扉が開く。チリンチリンと澄んだ音色が鳴り響き来客を告げる。中に入ると少し薄暗い店内。棚には品物など置いておらず、カウンターには大きな黒猫が丸まっている。そしてその奥には一人の女性が座っていた。長い金髪が肩から滑り落ち翡翠色の瞳がこちらを見据えていた。彼女こそが噂の『霧の魔女』なのであろう。纏っているオーラはどこか人間離れしていて思わず息を呑むほど美しい容姿であった。


「いらっしゃいませ」


柔らかな声色に迎えられて少し緊張が解けていく気がした。カウンターに近づくと彼女は微笑んで言った。


「どうぞ座ってください」


言われるままに椅子へ腰掛けると目の前の女性は改めて挨拶をした。


「はじめまして。私はアリシアといいます」

「私はエクレアといいます。あの……相談をさせていただきたいのですが」

「どのようなお話でしょうか?」

「えっと……あの……」


私が言い淀んでいると、いつの間にか小さな銀の砂時計が置かれた。中の砂が不思議な虹色に輝き落ちていく。


「ここは魔法屋。見えないものが見えたり。失われたものが見つかったり。普通では解決できない問題が解決します」


アリシアさんの表情がさらに和らいだように見える。その微笑みを見ているだけで心が軽くなっていくような気がした。


「実は……ある人に恋をしているのですが……なかなか振り向いてもらえなくて」


彼女は小さく首肯する。言葉を選ぶように慎重に答えた。


「その方はどういう方ですか?」

「とても誠実で優しい人なんです。ただちょっと堅物というか……女性に対して疎いところがあって」

「なるほど……」


アリシアさんはカップにお茶を注ぎながら話を続ける。


「あなたのご職業をお伺いしても?」

「回復術師です。冒険者ギルドで救護班として働いています」

「素敵なお仕事ですね。彼とも同じ職場の方なのですね」

「はい……ですが部署が違うのであまり会う機会がなくて」

「ふむ、お相手の方を教えていただいても?」

「冒険者ギルドで新人の指導をしているグランさんという方です」

「グランさん……あれ?もしかしてうちのお店でミサンガを買っていかれたグランさんですか?」

「あ、そうです。このお店のことも彼から聞いたんです。色々相談事に乗ってくれると」


なるほど……とアリシアさんは呟いた。そのまま虚空に目を向け考え込む素振りを見せた。


「うーん。そうですね。三日後にまたいらしていただけますか?」

「えっと、三日後ですか?わ、分かりました」


素直に頭を下げるしかなかった。三日後何があるんだろうか?わからないけれども彼女の言う通りにしてみようと思う。帰路につく私の足取りは不思議と軽やかになっていた。



ーーー



三日後――


店の扉を開けると今日も変わらず澄んだ鈴の音色が響き渡った。相変わらず閑散とした店内では黒猫が暇そうに欠伸をしている。しかし今日はその奥の空間が違ったように思えた。


「こんにちはエクレアさん」

「こんにちは。何かいい香りがしますね」

「お茶をお出ししました。どうぞ召し上がってください」


勧められるままにカップを持ち上げると芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。一口啜ると暖かい液体が身体に沁み渡っていくような感覚に包まれた。何やら特別な薬草でも使われているのだろうか?不思議な魅力のある飲み物であった。


「お待ちしておりました。実は素敵な品をご用意しました」


そう言うとカウンターの引き出しから小さなガラス瓶を取り出して見せてくれた。中には白い小さな結晶が詰まっている。月光を浴びているかのような幻想的な輝きを放つそれに目を奪われてしまった。


「これは『恋が成熟する薬』です」

「こいがせいじゅつ……すか?」

「そうです。この薬を飲んだ相手は徐々に恋愛感情を強く持っていきます」

「す、凄い……!そんな魔法の薬があるんですか!?」


信じられない思いで瓶を凝視する。これが本当に効果を発揮するものであれば願ってもないものであった。


「ただし一度にすべて飲ませても効果はありません。少しずつ少量を。小さじ一杯程度で十分です。それを飲ませ続けてください。例えば食事に混ぜるといいでしょう。定期的に摂取することで効果が蓄積されていきます」

「なるほど。食事ですか……」

「聞くところによると、グランさんはお昼を屋台で済ませているそうです」

「え?はい。そのようですが……」

「でしたら貴方からお弁当を差し入れるのはいかがでしょう?」


私は少し驚いた。確かに差し入れることは出来るかもしれない。そして、ごく自然に受け取ってもらえる可能性もある。しかし勇気がいる行為でもあった。


「わ、私でも作れますかね……?」

「もちろん作れますとも!愛情さえ込めればどんなお弁当でも受け取ってもらえますよ。大事なのは気持ちですから」

「気持ち……そうですよね。わかりました!やってみます!」


アリシアさんに励まされながら決意する。確かに今までは行動に移すことさえ躊躇していた。しかし今は違う。この薬があれば……。しかし、良いのだろうか。彼の気持ちを薬なんかで変えてしまっても?ちょっと後ろめたい気持ちもある。


「何度も繰り返しますが、一度に大量に飲ませても効果はありません。焦らないことです。この薬は魔法的なものですので副作用等はありません。そこは安心してください」

「わかりました。ありがとうございます」


私は深々と頭を下げて感謝を述べた。すると彼女は優しく微笑んでこう付け加えた。


「エクレアさん。あなたの真摯な姿勢はきっと彼にも伝わりますよ」


こうして私はその日『恋が成熟する薬』を受け取り帰路についたのだった。

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