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下町の魔法屋『霧の魔女堂』  作者: あどん


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猫と魔法と指輪の行方(中)

三日後、捜索のためにグレイン伯爵邸へと向かった。


そこは郊外にある豪奢な屋敷だった。門を潜ると見事な庭園が広がり、美しい花々が咲き乱れている。噴水もあり、手入れも行き届いている。庭師の腕が窺えるな。


「こちらです」


マッケンジーが厚い樫の扉の前で立ち止まり、丁寧にノックした。


「アリシア様を連れてまいりました」


内側から「お入りなさい」という声が返ってきた。鈴を転がすような澄んだ声が聞こえてきた。


扉が開くと、そこは壮麗な部屋だった。天井までの大きな窓からは午後の陽光が射し込み、壁一面を覆うタペストリーは緻密な刺繍で四季の情景を描いている。床には深紅の絨毯が敷かれ、アンティーク家具がバランスよく配置されていた。中央には豪奢なソファセットがあり、その一角に一人の女性が腰掛けていた。


「ようこそ、アリシアさん」


立ち上がった女性は四十代半ばほどに見えたが、その佇まいは熟練の淑女というより、永遠の若さを保つ泉に浸かった妖精のようだった。プラチナブロンド長い髪は背中に豊かに流れ、紫色のドレスは複雑なレースで彩られている。何より目を引くのは、その瞳の異様な輝きだった。青とも紫ともつかない深い色合いに、黄金の粒子が散っているように見える。


「グレイン伯爵の妻アナスタシアよ。はじめまして」

「失礼します。『霧の魔女堂』の店主アリシアです」


アリシアは礼儀正しく一礼しながらも、鋭い目つきで部屋の隅々まで観察していた。壁際には四人の侍女が控えている。メイドが数人。扉側には騎士らしき男性が二人立っていた。警戒の色が濃い。


「どうぞお掛けになって」

「はい」


勧められるまま向かいのソファに腰かける。


「あらあら、そちらの猫ちゃんは?」


目ざとく吾輩を見つけたアナスタシアが尋ねた。


「おやつ係です」

「ちがうわい!吾輩はアルカポウネ。こやつの使い魔じゃ」


まさか猫が返事をするとは思わなかったようじゃな。夫人は少し驚いたようであったがすぐに笑顔に戻る。


「まあ可愛い。触ってもいいかしら?」


アリシアが止める間もなく抱き上げられてしまったのだった。


「ふふっ本当に可愛らしいわねぇ〜」


そう言いながら頬擦りされる始末である。やめんか。ぐりぐりとするんじゃない!


「ふふふ、うちの子になる?」

「ならんわ!」


吾輩は慌てて逃げ出すと、アリシアの頭の上へと避難した。


「この子は、こう見えて悪魔ですので、止めた方がいいかと」

「ふふふっ冗談よ。さぁ話を聞いてくださる?」

「はい、魔法屋にご用命があるとお伺いいました」

「ええ、あなたなら私の悩みを解決してくれると聞いてね」

「恐縮です」


アリシアが答えると同時に、侍女たちの間に緊張が走った。彼女たちの視線が鋭くなる。吾輩の猫耳がピクリと動いた。


「……」


室内に重い沈黙が流れた。アナスタシアはほんの一瞬、言葉に詰まったような表情を見せた。


「指輪を無くされたとお聞きしておりますが……アナスタシアさま?」


アリシアが静かに問いかけた。夫人は慌てて笑顔を作り直した。


「ええ、そうなの。あまり頻繁には使わないけど大切な物なのよ」


ふむ?お気に入りなのにあまり付けないのか。まあ伯爵夫人ともなれば指輪なんかたくさん持っておるじゃろうしな。


「そうですか。では失くされたのは最近のことなのですね?」

「ええ、先週ぐらいから見当たらなくなって……」

「部屋付きのメイドや使用人がこの部屋に入ることはありませんか?」

「もちろん入れ替わり立ち代わり入ってくるわ」

「それでは誰にでも触れられる可能性がありますね」


アリシアはさらりと言う。夫人は少し困った様子だった。それを見たアリシアは別な質問をした。


「では、その指輪の特徴を詳しく教えてもらえますか?」

「ええ。青い石が埋め込まれたシンプルな銀の指輪よ」


アナスタシアはポケットからハンカチを取り出すと広げた。中には赤い宝石付いた指輪が一つあった。宝石の色以外は完全に同じだそうだ。確かに普通の指輪で特別なデザインをしているわけでもない。宝石だってそれほど大きくはない。


「普通の指輪ですよね」

「ええ、それほど高価なものではないわ」


アリシアは夫人の話を聞いて少し考え込む。アナスタシアは不安そうに微笑んだ。


「でも本当に大事な思い出の品なの」


アリシアは静かに頷くと、ゆっくりと立ち上がった。


「少し探ってみましょう。お手を拝借できますか?」


夫人は戸惑いながらも左手を差し出した。アリシアはその手をそっと両手で包み込むように握った。


「目を閉じて、無くした指輪を強くイメージして」

「はい……」


アナスタシアが瞼を閉じた瞬間、アリシアの掌から柔らかな光が漏れ始めた。淡い翡翠色の光が二人の手を包み込む。アリシアの足元に魔法陣が現れる。そして魔法陣が光を放ち始める。


「……《魂の紡ぐ道標》(スピーリトゥス・コンパス)」


アリシアの静かな詠唱とともに、魔法陣が紫水晶のごとき淡い輝きを放つ。虚空へ溶けかけた記憶の欠片を掬い上げるかのように、魔法は光の粒子となって夫人の周囲を舞い踊る。その様子を見守ること数秒後、ぱっと魔法陣の光が消えた。


大層な呪文だが、【探し物を見つける魔法】じゃ。便利な魔法だが、条件が色々とある『本人に強い思い入れがある』『術者が見たことがある』『似たようなものがある』などなど。今回は同じような指輪がある上に、夫人に思い入れがあるようだから大丈夫じゃろ。


「もう結構ですよ」


アリシアがそう告げると夫人は不思議そうに首を傾げた。確かにこの一連の行動からはなにをしているのかわからないだろうな。


「今のは魔法かしら?」

「はい、ご存じで?」

「知識だけは。魔法を見るのは初めてよ」

「今は魔道具が主流ですからね」


魔法は使う人の力量によって左右されてしまう。魔法の才能があってもそれを使いこなすためには多大な努力が必要だ。それに比べて魔道具は決められた魔法しか使えないものの、誰でも使えるというメリットがある。結果として魔法は衰退し魔道具は普及していったのだ。


「見つけました。ただ……」


アリシアはそう言うと、ゆっくりと遠くに目を向けた。そして静かに周りを確認するように首を動かす。周りにいるのは、執事、侍女、騎士、メイドたち。その動きを見た夫人が声をかけてきた。


「できるだけ穏便に済ませたいと考えているの。お願いできるかしら?」

「ご依頼は、『アナスタシアさまの悩みを解決する』でしたね」

「そう!そうよ!サマンサ様にお聞きした通りの方だわ」

「なるほどサマンサ様からのご紹介でしたか」


アリシアは納得したようだった。ふむ、以前に依頼を受けた人からの紹介だったのか。


「よかったわ。私の依頼を分かってくださる方で」


夫人は嬉しそうに拍手をしている。ん?どういうことだろうか?何のことかわからんが。


「では、ご報告は後日いたしますね」


アリシアはそう言うと執事の方を向き、「少しお話を」と言うと、なにやら小声で話し出したのだった。



ーーー




「さて、お宝探しといきますか」


伯爵邸を後にしたアリシアは踵を返し、賑やかな市場を横切ると脇道に逸れた。石畳の隙間から雑草が顔を出し、古い建物が不規則に立ち並ぶ路地をしばらく歩いていく。やがて小さな看板がかろうじて読み取れる古物商の前にたどり着いた。


『ヘプトン古物商』


文字は錆び付き、看板全体が煤煙で黒ずんでいる。扉は軋みながら開き、埃っぽい空気が流れ出した。店内は夕暮れのような薄闇に包まれ、天井近くの窓から差し込む弱い光が幾筋かの通路を照らしている。所狭しと並べられた陶器の壺や銀食器、書物の山が迷宮のように立ち塞がっていた。


「こんにちはー!」


アリシアが声をかけると、奥から咳払いが返ってきた。カウンターの陰から現れたのは七十歳はゆうに超えていると思われる老人だ。痩せ細った体躯に粗末な麻布の服を纏い、背を丸めている。白髪と区別のつかない灰褐色の髭が顎を覆い、皺に埋もれた目だけが爛々と光っていた。


「なんだい嬢ちゃん。骨董遊びならよそに行きな」


老人は枯れ枝のような指で埃の積もった帳簿をめくりながら唸った。しかしアリシアは臆することなく進み出た。


「ちょっと訊きたいことがあってね。最近青い宝石の付いた指輪を持ってきた人いなかった?」


店主の手が止まった。皺の影から現れた瞳が一瞬だけ鋭く光る。


「こんな感じのものなんだけど」


アリシアが懐から出した赤い宝石が付いた指輪。夫人から借り受けたものだ。それをしばらくじっくりと眺めたあと顔を上げた。そして品定めでもするようにこちらを上から下へと眺める。値踏みするような視線に辟易したが我慢だ。


「誰に聞いた?」

「さあ?どこで噂を聴いたのか忘れちゃったわ」

「盗品だったとしてもオレには関係ねぇからな」


店主は悪態をついてから小箱を引っ張り出して中を覗き込む。箱のなかにいくつかの指輪が入っているが目的のものは見当たらないらしい。店主はひとつひとつ指輪を外に出して確認していく。やがて青い宝石がついた指輪を発見した。


「……これか?」

「おそらくそうね」


アリシアは冷静に答える。店主はニヤリと笑ってその指輪をカウンターに置いた。


「あんた本当に運が良いねぇ~」

「いくら?」

「んー、そうだな……金貨30枚といったところか」

「さすがに高すぎ」


それほど特別なものではない指輪だ。そこまで高いモノじゃないだろう。


「金貨2枚で買ったんでしょ?」

「おいおい、さすがにそこまで安くは仕入れちゃいないよ」

「金貨8枚でも元が取れるでしょうに」

「そこまでの安物じゃないだろ。それに……」


商人らしい抜け目のない視線を向けてくる。


「なにか訳ありなんだろ?」


アリシアは少し困ったように頬を掻く。それだと相手にバレバレだ足元みられるぞ。まあアリシアは交渉事はあまり得意ではないし。ここは吾輩がーっと言っても猫ではなにもできないのじゃがな。


「金貨10枚ね。その代わりこれを売りに来た人を教えて」

「おいおい、客の情報は話せないぜ」

「話さなくていいわ」


アリシアは静かに手をかざした。その瞬間、掌から魔法陣が浮かび上がると金色の光が糸のように伸び、古物商の額に触れた。


「……《記憶を編む運命の糸》(メモリア・ウィーバー)」


呪文と共に光の糸が絡み合い、老人の意識の奥深くへと沈んでいく。アリシアの目に映るのは、古物商の記憶そのもの──市場の喧騒、積まれた骨董品の山、そして客人の姿が浮かび上がる。【記憶を見る魔法】か。それだけ聞くと恐ろしそうだが、実際は直前に思い描いていた記憶を見る程度のもの。抵抗しようと思えば簡単に出来てしまう。


「もういいわ。ありがとう」

「な、な、なにを……」


それには答えず、金貨が入った革袋を置く。


「これは頂いていくわ」

「え?あっ!いつの間に!!」


アリシアの手には、青い宝石の指輪が握られていた。アリシアは軽く手を振ると店を後にした。


「よかったのか?あんなに払って」

「こんなこともあろうかと必要経費として請求できるように頼んでおいたから大丈夫よ」

「だったら値切らなくてもよかったんじゃないのか?」


アリシアは不満そうに唇を尖らせる。


「ボッタくりにもほどがあるわ。金貨10枚でも多すぎるくらいよ。十分に儲けさせたし文句ないでしょ」

「ふーん。なんにせよ。これで依頼完了じゃな。伯爵夫人も喜ぶじゃろう」

「そうかしら?」


アリシアは振り返り、吾輩を見下ろした。その翡翠の瞳が夜露に濡れたように輝いている。


「依頼内容よ。私が『アナスタシアさまの悩みを解決すること』と確認したらその通りと言っていたわ。気が付いていた?夫人本人からは『無くした指輪を探してほしい』とは一言も言われていないの」

「ぬ……?」


吾輩は呆気に取られた。そうだったかのぉ。そこまで気にして聞いてなかったが……。


「つまりどういうことじゃ……?」

「夫人の本当の悩みは指輪とは関係ないものだわ」


アリシアは懐から古物商から買い取った指輪を取り出した。指輪を光に透かす。特別何もない。青い宝石が付いているだけの普通の指輪だ。


「指輪自体は重要ではなかったのじゃな?」

「ま、そういうことね。伯爵夫人が持つにしては安い部類のものだわ。だからこそ……かしらね」

「むむ……?」


アリシアは指輪を再びしまうと歩き出した。吾輩は慌てて後を追う。


「侍女のライラよ」

「む?そやつが犯人か?」

「ええ。古物商の記憶ではこの指輪を持ってきたのが彼女だった。まあ侍女の中の誰かだろうと思ってアタリはつけてたんだけどね」


アリシアは足早に市場へ向かった。黄昏時の市場は活気に溢れ、肉屋から漂う香辛料の匂いや八百屋の呼び込みの声が入り混じっている。人々の笑い声や呼び込みの声が交錯する中を縫うように進む。


「ならば彼女を突き出せばいいのでは?」

「それが依頼ならね」


アリシアは首を振った。


「夫人は『穏便に』と言っていたわ。つまり夫人は侍女を処罰したいわけではないのよ」

「やれやれ人間は難しいのぉ」


市場で果実を売る女性の前で足を止めると、果実の詰め合わせを購入した。籠いっぱいの瑞々しい赤い実が揺れる。


「さて、直接会いに行ってみましょうか」

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