農夫と薬草と土の力(後)
それから数日後の夕暮れ。片付け物をしていると突然身体が重くなった。
「うっ……」
頭がズキズキと痛み出し、視界がぼやける。手足が震える。喉の奥に違和感があって咳が出てきた。寒いのに背中には汗が滲んでいる。
「おかしいな……ちょっと疲れたかな」
立ち上がろうとした瞬間膝が折れた。床に手をついてしまう。これはただの疲れではないと悟ったときにはもう遅かった。
「メリッサ! どうしたの!?」
母の声が遠くから聞こえる。意識が朦朧としてきた。頭の中で警鐘が鳴り響く。これはただの風邪じゃない――
翌朝目覚めると熱はさらに上がっていました。全身が火照って痛みで満たされている。喉は砂漠のように乾き声が出ない。意識もふわふわしていて現実と夢の境目が曖昧だった。医者は「体力をつけて休養するしかない」と言い残していきました。
夕方。家族が看病してくれている最中にドアをノックする音が聞こえました。
「こんにちは。具合はどうかしら?」
聞き覚えのある声に朦朧とする意識の中で反応した。どこからか私が倒れた話を聞いてアリシアさんが来てくれたらしい。
「あらまあ……思った以上に酷い状態ね」
ベッドの横に来て診察する彼女の表情は真剣そのもの。肩にかけた鞄から小瓶を取り出しました。
「特別製の魔法薬よ。今すぐ飲ませてあげるわ」
薄緑色の液体が口の中に流れ込んでくる。途端に身体が熱くなった。まるで体内に小さな太陽が生まれたみたいに熱を持つ。でも不思議と苦しさはない。むしろ心地よい温もりが広がっていく。
「あ……」
「効いてきたみたいね」
少しずつ身体の重さが抜けていきます。呼吸が楽になり痛みが引いていく。目を見開いてアリシアさんを見つめました。
「え?なにこれ。すごい……」
「これで大丈夫ね。でもしばらくは安静にすること」
アリシアさんは安心したように微笑むと去ってきました。本当に助かったと胸を撫で下ろしました。その夜から驚くほど早く回復し始めると、翌朝にはほぼ正常に戻っていました。
後日、お爺ちゃんから驚くべき話を聞きました。王都では疫病が蔓延していたのだという。咳と高熱が続き重症化すれば命を落とすケースもあったらしい。感染力が強く医療体制は破綻寸前だったとか。
特効薬に必要な薬草が今年不作で流通が滞っていた。絶望的な状況だった矢先――必要な薬草が大量に手に入ったことで窮地を脱したとのことだった。大量の薬草……。あの日私たちが育てたものじゃないか?
思わず両手を胸元で組んで天を仰いだ。自分が関わった畑で育てた薬草が誰かの命を救った。そして自分の命も救われた。偶然とはいえとても嬉しい気持ちになる。
「アリシアさんにお礼言わなきゃ」
私が元気になった頃には、流行り病は完全に鎮静化したと聞きました。本当に良かったと思う。
ーーー
まったく人間というのは愚かよのう。たかが植物が育つか育たないかで一喜一憂するとは。吾輩が寝転がる窓辺から見える夕日を眺めつつ感慨に耽る。
あれは数週間前のこと。
王都では騒ぎが続いておった。流行り病の猛威によって街は半分機能停止。薬草不足が深刻化し、病院や教会からは悲鳴のような報告が相次いでおったのじゃ。
「まったく時機が悪いわねぇ。ライラに言ってミーアをこっちで預かった方がいいかもしれないわ」
アリシアが苛立たしげに呟いておった。まったく王都全体で薬草が枯渇するなど異常事態よ。原因は単純に長雨による不作だったらしい。自然の気まぐれに振り回されるとは弱き生き物よのう。
まあそれも仕方がないのかもしれぬな。本来、そこまで需要のある薬草ではない。普段は在庫が潤沢にあるために余裕がある。それが今回の流行り病の薬に必要だったことで一気に品薄となったのじゃ。
ちょうどその時だ。豪華な蝋封が押された手紙が魔女堂に舞い込んだ。送り主――はわからんが、その風格から貴族か王宮関係者であろうな。
「私のところに話が来るなんてよっぽど困っているのね」
アリシアはその手紙を眺めながら眉をひそめている。大方金銭ではなく名誉的な報酬なのだろう。魔女にとってそのような無償の仕事を受ける義理はないはずだが。
「まあいいわ。魔石も十分だし。それにミーアの勉強になるしね」
そう言うとミーアを連れて部屋の奥へ向かった。ミーアは嬉しそうに後をついていく。まったくあの娘は何やら楽しくて仕方がないようじゃ。その後ろを子狐のルナが追っかけているが、まあ大丈夫だろう。ルナは子狐に見えて幻獣じゃ相当賢い。むしろ今ミーアが持ってる小瓶には毒性のある液体が入っておるのじゃが……大丈夫じゃろか。
「『植物育成促進液』の準備を手伝ってね」
「うん!ミーア頑張るよ!」
この小娘。錬金術師の才能があるようじゃ。アリシアもそれを認めておる。アリシアが指示を出しているが、実際作っているのはミーアじゃ。ミーアが小さな釜に材料を投入していきながら釜をかき回している。琥珀色の液体が次第に透明度を増していった。
「アリシアお姉ちゃん!これでどう?」
「うん、いい感じよ」
「やったー!」
胸を張るミーアが可愛らしいのう。その隣で自分の手柄のように胸を張ってるルナはなにもしてないからな。
ミーアが魔法薬を作っている一方アリシアは大量の魔石を並べ始めた。魔力を蓄えた赤黒い結晶が机の上に山となっていく。
「あ、これミーアが作ったの!」
「そうね。いつもありがとう」
と言ってるがどれを作ったのかは覚えてないじゃろ。まあそのうちのいくつかはミーアが魔力を込めたものかもしれんが。
「よしよし。これだけあればなんとかなるかしらね」
ふむ、そこまで念入りに準備するとは珍しいな。つまり大規模魔法を展開するつもりか。では【植物の成長を早める魔法】あたりかのぉ。あれは大量の魔力を消費するからのぉ。
「あとは土地ね」
「あそこか?」
「そう。何年ぶりかしらね。ちゃんと管理してくれていればいいけど」
土地の所有者を名乗るなら、ちゃんと管理されてるか確認せんとあかんじゃろ。まあ大丈夫じゃろ。人の良さそうな爺じゃったからな。勝手に使ったりするような感じには見えなかったわい。まだ生きていればじゃが……。
あそこに植えてある草は一見雑草に見えるが、土壌回復作用がある特殊な植物なのじゃ。それが長期にわたって生育することで大地の魔力が活性化される。
「売らなくてよかったな」
「まあ、こんなこともあるからね」
農地としては一等地に当たる。実際、売ってくれという話は何度かあったのじゃ。売りに出せばそこそこの収益になったじゃろうに。
さて準備も整った。あとは実行あるのみじゃ。まあアリシアがやるんじゃ成功するじゃろ。吾輩はのんびり毛繕いをしておるわい。
とまあそんな考えておったのじゃが、しっかり吾輩も手伝わされた。まったく猫の手を借りるとは、主としての自覚がないのぉ。
そうやって納品したのが1週間ほど前かのぉ。流行り病は一気に収束したらしい。まあ相当数の数を納品してやったからな。あれで足りんということはないじゃろが。
そういえば農家の娘も倒れたそうじゃが、大丈夫だったろうかのぉ。
随分な働き者で真面目そうじゃったから、彼女がいればあの土地を守ってくれるじゃろと思っておった。まあアリシアが薬を持って行ったから問題なかろう。しかも特別製の魔法薬だったらしいしなぁ。
「ふむ、話せば招かれ影は寄るじゃな」
呟きながら窓辺から外を眺める。夕闇が迫る中、見覚えのある人影。農家の娘が魔女堂の扉を叩くのが見えたのじゃった。




