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下町の魔法屋『霧の魔女堂』  作者: あどん


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司書と禁書と魔法の扉(後)

翌日。私は館長に強く訴えてアリシアとアルカポウネの入室を認めさせた。渋々許可が出たのは私の必死の説得と、「犯人扱いされるのは我慢できない」という悲痛な叫びがあったからだと思う。特に「犯人ならわざわざ報告する?」という正論が効いたようだ。


「……非常時ゆえの特別措置だ。くれぐれも問題は起こさんように」


釘を刺す館長に何度も頭を下げ、ついに私たちは禁書庫の扉の前に立った。アルカポウネは得意げに鼻を鳴らした。


「ほほう。この扉、確かに魔法全盛時代の遺構じゃな」


彼が言うには、この扉に刻まれた魔法陣は数百年前の技術体系に基づいているそうだ。現代では失われた手法の一つで、見た目は単なる鉄製扉だがその内部には強固な結界が幾重にも張り巡らされているのだとか。


「ちょっと失礼」


アリシアがそっと扉に触れた。魔力を感じ取るように指先を滑らせると、翡翠色の瞳が微かに輝いた。


「うーん。魔法が破られた形跡はないわね」


「開けてみて」とアリシアが言うので、私は鍵を取り出すといつものと同じように鍵を開ける呪文を唱えた。扉が重々しく開くと、内部の空気が流れ出す。独特の古書の香りが私たちを包み込んだ。


「消えた本があった場所を見たいわね。どこ?」


アリシアが振り向いた。私は古代魔法に関する棚の一角へと案内する。


「ここよ。《星霊の交信》という分厚い本があったはずなの」


私は欠落した空間を指差した。隣の本との間に不自然な隙間が生まれている。アリシアは一瞬だけ目を細めた。


「……ああ、なんだ」


その言葉の響きには、期待して開けたプレゼントの中身が全然違うものだった時のような、失望が込められていた。


「もぉーこんなの謎解きにすらならないわ」


そう呟くと唐突に彼女がしゃがみ込む。本があった場所に手を伸ばし、まるで何かを探るようにゆっくりと宙を払った。すると──


シュゥゥッ


微かな音とともに、まるで煙が晴れるように空間が揺らいだ。そしてそこには、本来あるべき本の輪郭が再び現れたのだった。


「えっ!?どういうこと!?」


私の声は半ば悲鳴に近かった。アリシアは事も無げに《星霊の交信》を手に取り、ぱらぱらとページをめくる。


「防犯用の魔法がかけられていたわ。【危なくなったら見えなくなる魔法】攻撃性のある魔法を使うと周囲から見えなくなるの」

「見えなく……?」


理解が追いつかない私に向かって、彼女は本を差し出してきた。確かに実体がある。しかしアリシアが何か呪文を唱えただけで、またしても本は透明になり文字や装丁が薄れていった。こんな魔法があるなんて……。


アルカポウネが不思議そうに首を傾げる。


「ふむ。しかし何故発動したのじゃ?今の時代、魔法使いはおらぬ。研究しておる者も稀じゃろうに」

「そうなのよね。防犯魔法を発動させるほどの魔力が出せる魔法使い……居る?」

「あなた」


アリシアは「もちろん私以外でよ」と笑って付け加えた。魔法使いがいない時代。ましてや図書館職員の中に魔法を使える者など皆無と言っていい。


「じゃあ……どうして……?」


困惑する私たちを見て、アリシアはうーんと唸る。


「回復術師や錬金術師、魔具技師とかは?」

「そりゃ、一般来場者にはいると思うけど、こっちには近づかないわよ」

「そもそもそいつら如きの魔力で発動するならとっくの昔に発動して見えなくなるじゃろ」

「それもそうね。じゃあ、最近何か変わったことがなかった?」


最近かーそういえば……閃いたのは禁書庫で聞いたあの奇妙な風切り音だった。新しい掃除用具『魔道清浄具』のこと。その吸引音が扉越しに聞こえてきたこと。


「そういえば『魔道清浄具』が導入されたわ。埃を吸い込むための魔道具よ」

「へー今はそんな魔道具があるのね」

「しかし、そんなちっぽけな魔道具で防犯魔法が発動するかのぉ」

「ま、試してみるだけ試しましょう」


アリシアの提案で『魔道清浄具』を持ってくる。新米司書が恐る恐る持ってきたその金属筒。アリシアは興味深そうにその魔道具を眺める。


「面白いわね。風魔法の出す方向を変えることで吸う力にしてるんだ。どれどれ……」


アリシアはスイッチを入れる。シュゥゥッと軽快な音とともに微弱な風が起こる。そして同時に──《星霊の交信》が静かに姿を消した。

思わず息をのむ私に、なんてことないような口調でアリシアは続ける。


「おそらく共鳴現象ね」

「共鳴?」


『魔道清浄具』の内部に刻まれた魔法陣が持つ振動波が、偶然にもこの本の防犯魔法と共鳴したのだという。


「新しい時代の道具が古い魔法と干渉するなんて面白いわね」


アリシアは嬉しそうに笑いながら分析してくれた。


「つまり誰も盗んでいないし、私は無実ってこと!?」


私は安堵のあまり脱力してしまいそうだった。この結果を館長に報告すれば嫌疑は晴れる。良かった……本当に良かった!


「ふふっ。まあ良かったじゃない。無事発見できて」

「本当にありがとう……アリシア!」


アリシアに抱き着く。以前は私よりも大きかった彼女も、今は私より一回り小さい。それでも変わらない親愛の情が心を温める。彼女の洞察力と機転がなければ今頃私は牢獄行きだったかもしれない。アルカポウネが呆れたように溜息をついた。


「まったく人騒がせな娘じゃのぉ」

「もー、人騒がせで済んでよかったわよ」


そんなこと言うアルカポウネの尻尾が上機嫌に揺れているのを見て私は嬉しくなった。


「じゃあ、この防犯魔法は破棄しちゃおう」

「えっ!?」


アリシアは慣れた手つきで禁書を取り出すと、防犯魔法の構成式を書き換え始めた。古い魔法陣の一部を書き換えればいいらしく、数秒後には透明化機能が解除されていた。


「これで安心ね」

「待って!勝手に変えちゃダメじゃない!」

「いいのいいの。また見えなくなったら面倒でしょ」


挑発的な笑み。確かにその通りだが……。


「貴重な資料が……」

「貴重ねぇ……適当に書いたものがこんなに大事にされるとは思わなかったわ」

「は?」

「冗談よ」


アリシアは本を戻しながらクスクス笑う。まさか彼女自身が過去にこれを書いた?そんなはずは……ないわよね?


「これで一件落着」

「ありがとう。本当に助かったわ」

「気にしないで。友達でしょ?」


彼女の笑顔はいつ見ても眩しい。私は深呼吸して緊張をほぐす。こうして思わぬ事態は収束したのだった。



ーーー



あれから一週間。霧の魔女堂は普段通りの穏やかな時間が流れている。吾輩アルカポウネは、いつものカウンターの上で寝そべりながら窓外を眺めていた。この時期にしては珍しく陽気な昼下がりである。店内にはアリシアの愛読する魔導書の類が積まれ、その傍らで彼女自身が黙々とページを繰っている。


「ふむ……」


彼女が静かに吐息を漏らした。普段は騒々しい娘だが、読書に没頭している時は別人のように静まり返る。今読んでいるのは先日エレナから受け取った図書館の“余り本”の一冊らしい。盗難事件解決の報酬として図書館側が送ってくれたものだ。「貴重な本ですが当館では複数所蔵しているものなので」という添え書きがあったそうな。


「面白いのか?」

「まあね」


返答は短い。だが頁をめくる指先が時折止まり、思考に耽るように眉間にシワが寄るのが吾輩には見える。その集中ぶりが何よりの答えであった。


カランカラン──


入口のベルが鳴る。飛び込んできたのはいつもの快活な声。


「アリシアお姉ちゃん!こんにちはー!」


ミーアである。相変わらずの亜麻色の髪をお下げに編み込んではね上げている。


「いらっしゃいミーア」

「わーい!本がいっぱいだー!」


彼女は瞳を輝かせながら駆け寄り、山積みの本を指差す。子供らしい無邪気さが店内の空気を一気に明るくした。


「どれでも好きなの読んでいいわよ」

「ほんと!?」


ミーアはさっそく一番上の薄い冊子を手に取った。表紙には花弁模様と“初級治癒魔法入門”のタイトル。童話風の挿絵が施されたそれは明らかに子供向けである。

だが魔法書としては間違いなく劣等品であろう。吾輩はそっと鼻を鳴らした。


「こんなチンケな本で何を学ぶつもりじゃ」

「もー。クロちゃんはいっつもそう言うんだから」


「だから吾輩はアルカポウネだと……」という言葉は流され、ミーアはぺらぺらとページをめくり始めた。アリシアがカップを出しホットミルクを注ぐのを横目に見つつ、吾輩は疑問を呈する。


「アリシアよ。図書館からもらったという余り本──本当に価値がないのか?」

「大半はね。でも一部は結構面白いわよ」


アリシアは手元の本を置き、別の分厚い革装丁の書物を引き寄せた。題名は“古式封印術の系譜”。背表紙には埃と黴臭さが染みついているが、その装丁の端々に見覚えのある紋様が刻まれている。


「ほう……こんな本が”余り本”で出てくるとはのぉ」

「今の時代には必要ないからね」


アリシアが含み笑いをする。魔法を忘れた現代において封印術など廃れた技術だ。だがかつて彼女が生きていた時代─魔法が日常だった頃──封印術は禁忌領域を守る基礎だった。この本の存在意義自体が現在の価値観とズレている。

アリシアがカップに口をつける。ミーアは真剣な面持ちでふんふんと言いながら本を読んでいるが……。絶対わかっていないだろう。だがそんなミーアを見ながらアリシアは愉快そうに微笑んだのだった。

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