表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

4.さざなみの心


運命は、どこまでも玉に非情であった。


豊臣秀吉と名を変えた天下人が出した


『伴天連追放令』ーーーキリシタンであることは、処罰の対象とされた。


忠興の反応は早く、そして容赦がなかった。

瞳には怒りの炎が燃えたぎり、その手にした刃は直ぐに牙を剥く。


玉を庭でひと目見た下人の首を、はねたことすらある男だ。

彼女に近づくキリシタンの侍女へ、牙と爪を食い込ませた。


悲鳴が上がるより早く、忠興の声は屋敷に響いた。



「…改宗しろ…っ!!」


右手には血に塗られた刃。

そして、もう片方の手には削ぎ落とした耳があった。


玉は残虐な仕打ちを行い己に凄む夫と対峙した。


侍女のすすり泣く声を背に聞く。

忠興の整いきった顔がゆがみ、鬼の形相で刃が玉に迫まった。

後ろに隠した侍女に対する憎悪は、矢と同じく鋭い。


止められる家臣は一人もおず、皆が青い顔で夫の周りで蠢いていた。


玉は一つも顔を変えず、父と同じさざ波のような心で夫を見つめた。


哀れな侍女の体の一部が、床に叩きつけられた。

忠興が興奮したまま、何かを叫んでいる。

大声で叫び、自分に怒りと懇願の交じった瞳で迫る。


しかし、それは玉にとってはまるで羽虫の羽ばたきに等しい声だった。


一体この男は何にここまで怒りを向けているのか。何におびえているのか。


私に…ーーー 何をして欲しいのか。


玉は落ちた肉塊を拾い、懐から取り出した懐紙でそれを包んだ。

無くした耳に泣く侍女に渡し、顔を覆う涙を手で拭ってやった。


忠興がこの侍女にしている事は、決して私には行われない。

それが、わかっているからこそますます夫の叫びは憐れにしか思えなかった。



「玉…っ聞いているのか!?お前がしていることは…大罪だ!!」




侍女を抱きしめ慰めていると、忠興の叫びは悲鳴に似ていた。


振り返ると、夫の顔が一瞬たじろいだのが分かった。

おびえた子どものような目の中に、燃えたぎる炎は既に無い。


穏やかな水をたたえながら、玉は夫の怯えに対してようやく声を発した。



「…貴方は、この子を可哀想とは思わないのですか?」



「なにを…」



「私を改宗させたいのなら、この子と同じように耳と鼻をそいでください」



できるはずがない。

しかし、それがわかっているから意地悪でいったわけではなかった。


忠興は、特別自分には甘い。

それこそ、もうずっと真綿でくるむようにして玉を溺愛し続け、全てを捧げてきた。


枯渇することのない愛を与え続け、こちらが燃やし尽くされていることなど気づいていない。


それが、この人の愛し方だ。



「等しく扱って」



忠興は目の前の妻の魂が、今までとは全く異なる人間へ書き換えられたと感じた。


それは、感じたこともない恐怖だった。

身体中の細胞が、目の前の玉を危険と告げている。


これは…誰だ?

今まで愛していた妻は一体どこへ消えた?


激しく脈打つ心臓が、恐怖と共に体の中で暴れて視界すら揺らす。

射抜かれるよりも恐ろしい、何も感じていないような穏やかな瞳。


もはや、忠興の事など玉は見ていない。


見ているのは…



「やめろ…私は…」


玉の艷やかな長い黒髪を手に掛け、忠興はうわ言のように刀を振りかざした。


名前を何度も呼び、叫び、知らない女から元に戻ってほしいと願う。


散々愛し尽くした、美しく宝石に等しい、我が妻。


喉が鳴り、目の前の何にも揺れることのない女に言う。



「私は…お前を…愛して…」




狂おしいほどに愛して、共に燃えたまま灰になってしまいたかった。




刀が空を切り、玉の長い髪は一房落とされた。


忠興の身体は止まる。

立ち上がり、自分の体を侍女と同じように玉の細く柔らかい身体が抱きとめている。


落とされた髪のことなど気にせず、玉は震える夫の胸に顔をうずめる。


数え切れないほどこの温もりを感じてきたが、初めて夫の本当の魂ごと抱けた。


ひどく臆病で、繊細な彼の震えが自分の体に染み込んでいく。


穏やかな心のまま包み込むと、動けなくなった夫の息づかいが耳に響いた。



「私も…愛しています」



深い水の底へ沈むような声だった。


かつて感じたことがある。

彼と愛し合った閨で見た、水面の下の底と同じだ。


夫の恐怖や怯え。


それを見せてくれたからこそ、今は彼をこのまま抱きとめていたかった。


逞しく鍛え上げられ、筋肉質で分厚い忠興の美しい身体。

背中に回した腕からも分かる、戦場で人を殺すための隆起した肉体の荒々しさ。


しかし、彼の内面は芸術と文化を愛し、繊細な中に美しさを愛でる。


その歪な二面性は、玉にも等しく向けられてきた。


それすらも、今はただ愛しかった。




忠興の腕は意思を無くしたまま垂れ下がっていたが、やがて熱を帯びて玉を抱きしめ返した。


彼の血に染まった指が玉の髪を撫で、この世にとどませるために掴む。


やがて妻は手の届かない場所へと行く気がした。



ようやく通じ合えた妻の心は、すでにここではない場所へ引き上げられようとしている。


だから、怖いのだ…。













これにて本編は完結です。

短編であまり書いたことない文体でチャレンジしましたが、当初より救いのある終わり方にできました。

最後までお付き合いいただき、ありがとう御座いました!


おまけで エピローグもこの後書く予定もあります。

よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ