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壊れゆく玉。そして、出会い

幽閉の静けさの中で、玉はひとりの子を産んだ。男子であった。

その赤子は後に細川家を継ぐ跡取りとなるが、忠興とのあいだには、すでに二人の子がいた。

玉はまだ二十歳を少し過ぎたばかり――若すぎる母だった。


十五歳で祝言を挙げて以来、忠興は一日たりとも彼女を抱かずに過ごすことがなかった。

それほどの日々を重ねても、子の数が少ないのは、神の慈悲か、それとも呪いか。


忠興は名門・細川家の嫡男であり、

武勇に優れ、若くして茶や和歌に通じ、洗練された立ち居振る舞いで人を惹きつけた。

望めばどんな女でも手に入れられたであろうに、彼は一人の女しか見なかった。

一途に――いや、病的なまでに。

玉を除くすべての女を、彼は見ようとしなかった。

愛という名の執念で、世界を閉ざした男である。


玉と赤子は、束の間の安らぎを得た。

しかし、過去に産んだ二人の子は、すぐに乳母へ預けられた。

夫の独占欲が、母と子の絆さえも許さなかったのだ。


生まれたばかりの乳飲み子は、壊れそうなほど小さく、

それでいて生命の色に満ちた赤い肌をしていた。

柔らかな泣き声を上げては口を動かし、母の乳を探すように唇を寄せて飲んでいる。


初めて味わう「母」としての穏やかな時間に、玉は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

忠興を、愛していないわけではない。

けれど、包み込まれるような愛を、彼から与えられたことは一度もなかった。


——母が子に向けるような。

あるいは、謀叛人となった父・明智光秀が、かつて与えてくれたような、静かな愛。


それを、どうすれば彼に返してやれるのだろう。


再び取り上げられる前の、わずかな時間の中で、

玉は与えられるだけの愛情を子に注いだ。


忠興からの手紙は、毎日のように幾通も届いた。

そのすべてが恋しさに満ち、贈り物や約束の言葉であふれていた。

——けれど、本当に欲しいものは、その中にはなかった。


父とのことは、すでに決着がついていた。

主君を討った父に対して、忠興とその父・藤孝は援軍を送らず、静かに見捨てた。

玉はその判断を、乱世を生き抜くための賢明な選択と理解していた。


それでも、孤独な幽閉生活の中で、心の奥底には確かに――怒りがあった。




二年に及ぶ幽閉は、天下人・豊臣秀吉の命により、ようやく終わりを告げた。

特別の許しを得て、玉は細川忠興のもとへ戻ることを許されたのだ。


「玉……会いたくて、狂いそうだった」


大坂の屋敷。

忠興は、戻ってきた妻を目の前にして、抑えきれない思いを吐き出した。


玉の顔立ちも、瞳の色も、かつてと少しも変わらない。

それなのに――その目は、もはや彼を映してはいなかった。


無機質な光を宿した瞳。

触れれば壊れそうなほど静かで、感情の影を失った女。


忠興の指が頬に触れる。

そのぬくもりにも、玉は何の反応も示さない。


しかし、閨での闇の中ではそんな機微には気づけない。


忠興は再び生きて自分のものとなった玉を抱けてる喜びに、やはり夢中になっていた。


玉は夫の甘い声と吐息を耳に残しながら、ひたすらこの炎が自分を燃やし尽くすのを黙って耐えた。


父を救わなかった夫。

愛で全てを壊す、夫。


苛烈な愛ばかり押し与える忠興の愛撫に、唇を噛み声を押し殺す。


そこに救いなどなかった。





玉のもとに救いの話が舞い降りたのは、それからまもなくの事であった。


突然、光で殴られたような衝撃が玉を襲った。


「人は、皆等しく生まれながらに罪人なのです。貴方様も、この世に生きる者、全ての方も…」


キリシタンである侍女の言葉には、穏やかで何の揺らぎもなかった。

語りかけられる言葉は、全て一定であり玉の常識とは真逆であった。



(等しく…?)



謀叛人として虐殺された父を持つ自分を、人々はそのようには見ない。

忠興でさえ玉の父の罪を許さず、主君の仇討ちとばかり冷酷に見捨てた。


明智光秀の娘というだけで、大罪を犯している。


だからこそ、守るという言葉で縛り付け、全てを奪って隠したではないか。



「…私の罪が、他の方と等しいと?」


玉は震える声で、罪の重さについて推し量ろうとした。


自分と、今生まれたばかりの赤子が同じ罪を背負っているとは思えない。


玉の罪は、ずっとずっと重い。それこそ、背負いきれぬ程の重さで、もう息すらできない。





押しつぶされる罪の重さに、早く父のいる地獄へ共に赴きたかった。

この世の地獄にくらべれば、そこは安息の地だ。


救われない愛ばかり与える忠興も、そこなら追ってこない。



「罪の重さは関係ございません。一度でも罪を犯せば、罪人なのです」



その時は、すべてを理解することなどできなかった。


しかし、玉の身の回りを世話する新しい侍女の穏やかな笑みと、日に何回も神に祈りをささげる確かな静寂。


小さな背中が丸まり、祈る様を見つめるうちに段々と心が温まっていく日が増えていった。



(分からない…この者たちの言う神が分からない。でも…惹かれる。私は、このように穏やかでありたい)



侍女の穏やかな祈る姿を思い出すと、玉は忠興との夜に唇を噛むことはなくなっていった。


彼の過剰すぎる与える愛とその炎を、地獄の業火とは感じなくなった。


彼もまた自分と同じで、罪を背負っているのである。


そう考えると、固く閉ざした心が広がる。


好きだった父の愛と同じく、さざ波のような静けさで忠興を再び包み込めていける気がした。



「…もっと色々と教えておくれ」



玉はある日、祈る侍女のそばへ行き同じように跪いて手を組んだ。



「私に、貴方の穏やかさを教えて…?貴方の信じる神を知りたい」



微笑んだ玉は、この世の誰よりも美しい顔で変わろうとしていた。



その微笑みを、誰よりも早く見つけたのは――忠興だった。





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