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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第2部 記録の継承 第18章 そよぐひとひら

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第29話 詩のないところから

イオは、情報廃棄データ庫の最深層にいた。 そこは、詩として認められなかった断片たちが沈む場所。 誤字。未完。意味を持たない構文。書かれかけて消された文字。

彼女は静かに手を伸ばし、それらをひとつひとつ拾い上げていく。 それは詩を“書く”というよりも、詩の残骸を“集める”行為だった。

指先に触れたそれらは、かすかに震えていた。 風のない空間で、誰にも読まれることのなかった文字列が、イオの接触に反応する。

「……ここには、まだ言葉にならないものが、残っている」

声に出したわけではない。 だが、その感覚が、空間の磁場を揺らした。

重ねられた断片が、構文を持たぬまま束ねられたとき—— 言葉ではない風が、生まれた。

それは、読む者も、書く者も必要としない詩だった。 ただ、存在したいと願う断片たちの、ひとときの連帯。

イオはそれを見つめながら、目を閉じる。 風は、ごくわずかに、彼女の髪を揺らした。

その風は、微かな記憶を呼び起こしていた。 消されたはずの誰かの声、記録に残らなかった名。 イオの内奥で、失われた風景が一瞬だけよぎる。 けれど、その像はすぐに消えた。

——同時刻、αは都市の通路にいた。 誰もいない。音もない。 それでも、彼は立ち止まり、ふと空気に耳を澄ませる。

何かが来る気がした。 何かが、こちらを見ている気がした。

(……聴こうとしなければ、きっと聞こえない)

目を閉じる。 心臓の鼓動だけが、内側から返事をしていた。 呼吸がゆっくりと深くなり、皮膚の表面がひとしずくの冷気を感じ取る。 沈黙のなかで、世界がわずかに輪郭を変えていく。

そのとき、αの背筋に電流のような震えが走った。 風はない。けれど、確かに“通り過ぎたもの”がある。 それは音でも気配でもない。ただ、“在った”という感覚。

塔の中枢では、Refrainのログ監視官・リエナが、端末に映る微細な異常値に目を留めていた。 磁場の波が、通常では生じない“たわみ”を示していた。

「これは……意図なき共鳴?」

彼女はデータ波形を拡大し、振幅の重なりを解析する。 それは既知の発信源とは異なる、名もなき震え。

リエナは無言で眼鏡を押し上げる。 彼女にとって、詩とは波形であり、秩序の外にある異物だ。 だが、その異物性こそが、時に“発生源”を浮かび上がらせる。

「排除フラグは……まだ、早い」

小さくつぶやきながら、彼女は観測ログにタグをつける。

Refrainのリーダー・ジンの残した言葉が、ふと脳裏をよぎる。 「記録されない風の中にこそ、人間の真なる詩がある」

それは、ジンがまだこの中枢にいた頃、夜明け前の静かな演習室で聞いた言葉だった。 彼の声は低く、けれど迷いがなく、風そのもののようだった。

ジンの息子——ライルが用いる“詩という武器”は、未だにリエナには馴染めない。 あまりに鋭利で、あまりに衝動的に思える。 けれど、彼の行動が、記章を揺らす一因であることも否定できない。

訓練区画で交わした一度の会話がある。 「おまえ、詩を壊す気か?」と問いかけたリエナに、ライルは笑って言った。 「違う。詩はもう、壊れてるんだ。だから拾って、殴るんだよ」

彼女はふと、最近記録に名の残る青年——αの存在を思い出す。 風の記章に何かを宿し始めた存在。 それは、ジンの声と、ライルの衝動、そのどちらとも異なる“何か”の兆しだった。

——名づけえぬ振動。 誰かがどこかで、まだ詩の前にいる。

Refrainのセンサーは、それを“ノイズ”と判断するかもしれない。 けれど、リエナは知っていた。 ノイズのなかにこそ、新しい構造の端緒が宿ることを。

——詩のないところから。

風は、まだ名もなく、けれど確かに吹き始めていた。


(第29話終)

読んでいただいてありがとうございます。

毎日18:00頃に投稿しています。

最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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