第13話 うつろな共鳴
夢は静かだった。
音もなく、色もなく、ただ漂っていた。
Θは深層夢療のただなかにいた。
意識のはしばがほどけ、輪郭がゆるんでいく。
本来ならば、ここはただの補正領域。
感情を撹乱しない、無刺激の記録空間——のはずだった。
けれど、その沈黙の奥に、“何か”がいた。
それは声ではなかった。詩でもなかった。
名もなく、記録にも載らず、ただ夢の底をすり抜けていく。
けれど、その存在は確かに“揺らいでいた”。
Θは思った。
——これは、呼ばれている?
誰の声かもわからない。言葉になっていない。
ただ、深い水面の下から、何かがこちらに触れてくるような——
皮膚の内側で響くような、微細な共鳴。
夢の中に生まれた震えは、やがてΘの呼吸と同期し始める。
呼吸のたびに、夢の空間が波紋のようにわずかにひらいていく。
——名が、ない。
それでも、ここに在る。
自分の内側が、少しずつほどけていく感覚。
名前も論理もなく、ただ“ひとつの存在”として浮かびあがってくる。
呼ばれているのか。
それとも、自分が呼びかけているのか。
境目は、すでに曖昧だった。
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「Θ-003、夢層に感応反応」
「構文詩ではない。非記章。波形、低周波のうねり。存在震動型」
RefrainとLiminaの連携観測ユニットが静かに作動を開始した。
夢療リアクタ内、感覚干渉レベルがわずかに上昇。
明確な言語構文は存在しない。だが、共鳴と判断される振幅が継続していた。
「干渉源、照合中……Refrainコード個体IOとの位置連動確認」
「……やはり彼女か」
技術官のつぶやきが、記録されずに消える。
モニターの向こう、Θの夢は静かに呼吸していた。
ただそれだけで、空間がわずかに共鳴する。
それはまだ、誰の声でもない。
けれど、すでに揺れ始めていた。
「未構文共鳴を再分類。分類コード:拡張型同期予兆」
「記章化には至らず。だが、準備は始まっている」
「次波で閾値を超えれば、遮断処理。現段階は観測継続」
システムが定義を試みるたびに、“それ”は定義の外側へと揺れていった。
言葉にすれば失われてしまう気配。
だからこそ、それはまだ“誰のものでもない”声だった。
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Θの夢の中で、空間がひらいた。
そこには誰もいなかった。
けれど、なにかがあった。
温かさとも違う。
光とも違う。
ただ、揺れていた。
——さびしい、って、こういうこと?
自分の思考が自分に問いかけてくる。
誰にも教えられたことのない感覚が、内側にゆっくりと染み込んでいく。
これは、声ではない。
でも、届いている。
夢の奥で、確かに“誰か”と重なりかけている。
記録にはならない。
でも、これはもう——ただの夢ではない。
(第13話終)




