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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第2部 記録の継承 第15章 よりそうことば

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第12話 記録されない接触

詩片を送り終えてから、私はしばらく端末の前で静止していた。

空間は変わらない。記録にも残らない。けれど、どこかが確かに揺れていた。

私が差し出したもの——名もない余波が、誰かに触れた気がしたのだ。


見られていた。

そして、返ってきた。

ことばではない。呼びかけでもない。

けれど確かに、“何か”がこちらを見返した気配があった。


息を整える。あの瞬間、確かに誰かがいた。

それがαだと、私は確信していた。

あの“貪り”の萌芽。名前のない飢え。

私は風のように、詩を編んだ。構文ではない。意味にも届かない。

ただ、誰かの輪郭を、そっとかすめるために。


ゆっくりと目を閉じ、私は塔の下層へ意識を向けた。

詩は、まだ漂っている。

届かなくていい。ただ、通り過ぎてほしい。

それだけで、誰かの中に、かすかな波紋が残るかもしれない。



---


βはアーカイブホールの静けさのなかにいた。

空調は停止している。端末の明かりだけが、反射のない光を落としていた。

そんな中で、空気がふと揺れた。


頬をかすめた風——いや、それは風ですらなかった。

音もなく、匂いもなく、ただ空気の密度が微かに変わった。

ゆるやかな感覚。それでも、身体の内側に触れてくる何か。


βはそっと目を閉じる。


「……声が、届く前に消えた気がした」


無意識に漏れた言葉に、自分で驚いた。

理由もなく、そう思った。

けれど、それが一番近い表現だった。


何かが、通った。

確かに、ここを通っていった。

私の中を、誰かの存在がかすめていった。

残らない。記録にもならない。

でも、それは本当にあった。


胸の奥が、わずかに揺れている。

感覚の深部。言葉にならない、微かな震え。

それは、私の中の何かを変え始めている。



---


「反応、検出。Θ-003、夢層にて微細振動を記録」


リョウはデータに目を走らせながら、短く息をついた。

管理ユニット《HIBIKI》の演算補助が即応する。


「構文詩との一致なし。非記章、非構造化共鳴。分類:存在余波」

「自己防衛反応、軽度発生。対象は異常の自覚なし。進行状況は初期段階」


「出所は?」


「詩片空間由来。発信源照合一致——個体IO」


「……またか」


リョウの声に、わずかな苛立ちがにじんだ。

イオの非構文詩は、すでに複数個体へ微細な干渉を始めていた。

それも、ログにも記録されない、存在の底を震わせるような波動で。


「構文がなければ、遮断もできない。だが、感情は動いている」


「次波動で閾値を超過した場合、感覚封鎖を実行する。監視継続中」



---


βは両手を見つめていた。

ほんのわずかに、指先が震えていた。


風は、もう吹いていない。

でも、感覚はそこにあった。

視えなかった誰かの存在が、私の内側を通った。


名前もなかった。言葉もなかった。

けれど、触れてきた。

見られていた。

それが怖かった。


けれど、それ以上に、懐かしかった。


——あれは、誰?


思わず問いが胸の奥に浮かぶ。

声にはならない。名前も浮かばない。

でも、その問いだけが、確かに生まれていた。


(第12話終)


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