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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第2部 記録の継承 第14章 かぜにゆれる調べ

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第7話|意味なき音の記憶

夜間処理灯の明かりは、眠りの気配とは違う種類の静けさをつくる。

私は机に向かい、再びファイルを呼び出した。

あの旋律——分類不能とされた、言語にも構文にも馴染まない音。

だが、それは私の中で何かを微かにかき混ぜた。


イヤーピースを装着し、再生する。

そして、身を任せる。

ひとつ、ふたつ、崩れた音が落ちてきて、私の聴覚の奥に沈む。

文法はない。形式もない。ただ、ひたすらに無秩序だった。


なのに。

……懐かしいと思ってしまった。


ありえない。

私はこれを「知っている」はずがない。

だが、胸の奥、皮膚のすぐ下に近いところで、響く何かがあった。

それは記録にも、記憶にも存在しない“気配”だった。


部屋の空気が軋んだ気がした。

私はまだ、何も喋っていない。誰にも伝えていない。

それなのに、この旋律は私の中の“語られなかった何か”を、

まるで知っているかのように波打っている。


——これは、誰の声だろう?


手元の記録ログには「再生:非公式」「処理:未分類」のタグが並ぶ。

だがそんな分類が、いまの私には意味を持たないように思えた。


もしかして、これも詩なのだろうか。

そう思った瞬間、指先がふるえた。


詩。意味を超えた何か。

構文では測れないもの。

触れたら、わたしの内側が“揺れる”もの。


今夜の私は、それを「怖い」とは思わなかった。

むしろ……少し、安心していた。

何も意味を持たないものが、こんなにも私のなかで息づくことが——


そのころ、並行するふたつの観測空間で。



---


管理ドメイン文化規範維持局。

記録端末に映し出されたβの再生ログを、ひとりの代表官が見つめていた。


アシル。教育思考統一局所属、階層統制官。

冷たい指先で詩的逸脱者の分類表をなぞりながら、部下に命じる。


「β。感応値が閾値を越えた。再教育処置を準備してくれ」


背後でAIユニット・千触〈SENSHOKU〉が反応する。

その声は、同期的同調のノイズのように滑らかだった。


「接触許可を。詩的傾斜の芽は早期に均等化を」


「彼女に必要なのは、“違い”じゃない。“同調”だ」

アシルは静かにそう言った。


記録社会において、逸脱とは共鳴の始まりではない。

逸脱とは、削除すべき“歪み”にすぎない。



---


その一方で、Orbis——レジスタンス六系統のひとつ、修羅道に属する記録改変派の観測ユニットは、別の手段でβを追っていた。

都市ネットワーク外縁、改造された視覚遮断シェルター。

観測ログに映るβの行動パターンに、ソラが目を細める。


「干渉波、わずかに反応。呼吸と再生タイミングが同期してる」

ミナが応える。「彼女、もう感じはじめてる。管理より先に入る」

「接触じゃない。詩の“予兆”を読むだけ。彼女が詩に気づくまで」


彼らはまだ、名を名乗ることさえしない。

ただ、意味のない音が誰かの“意味”になろうとする、その瞬間を

管理に奪われぬよう、静かに見守っている。


秩序に取り込まれる前に、揺れが意味へと変わる瞬間を迎えるために。

Orbis——それは、記録に抗う者たちの名だった。



---


βの部屋には何の気配もなかった。

ただ、再生を終えた端末の光が、耳の奥に余韻だけを残していた。


——けれど、感じていた。

なにかが、誰かが、“見ていた”。

“聞いていた”。


その予感だけが、確かに残っていた。


(第7話終)


読んでいただいてありがとうございます。

5/12(月)より平日の18:00頃に投稿することに変更しています。

感想などいただけると嬉しいです。

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