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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第2部 記録の継承 第14章 かぜにゆれる調べ

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第6話|記録のほころび

文字化された旧記録ファイルが、端末の画面に整列していく。

古い文型を、新構文へと機械的に変換する。

単語単位で意味が分解され、訳語候補が自動的に並ぶ。

私はその一つ一つを、意味と照らし合わせて再配列していく。


無意味な作業のようでいて、記録秩序においては重要とされる工程。

定型変換済、残件あと十一。そう思った矢先だった。

ひとつだけ、タグに「分類不能」とあるファイルが紛れ込んでいた。

音源データ。構文変換対象外。だが、気になってしまった。


私は再生指示を出す。空間に波形の光が浮かび、耳内インターフェースを通じて音が落ちてくる。

旋律。けれど、文法がない。

リズムは規則を拒み、意味が辞書に抵触しては弾かれる。

それでも私は、その再生を途中で止められなかった。


高音が一つ、二つ、三つ、割れては消えていく。

残響だけが耳奥にしがみつく。

何を伝えているのか、わからない。

それなのに、確かに何かが胸に触れていた。


ざらりとした違和。論理ではなく、触感のような記憶。

ノイズでも意味でもない。けれど、それは確かに私の中に“残った”。


その場で処理ログを残す。

〈感応異常なし。構文変換不能。再分類待機〉

そう記すことしか、私には許されていない。

だが、記すことでしか“残す”こともできない。


反射音のように、背後から声が降ってきた。


「進捗率の低下を確認。再確認しますが、分類不能データには優先順位はありません」


天井に埋め込まれた管理用AIユニットの音声。機械的で、穏やかで、意味だけがある声。

怒鳴られているわけではない。だが、その一言が私の胸の奥を静かに濁らせる。


「再生は終えました。構文変換できず。所定処理に戻ります」


声が硬くなったのを自分でも感じた。

AIはそれ以上、何も言わない。会話は常に最短の応答で閉じられる。


音の余韻だけが端末の周囲に残っている。

意味を拒むはずの旋律が、意味のように私を刺していた。

感じたことを“異常なし”とされること。

そのことが、ただただ——許せなかった。


私は冷静を装いながらも、端末に拳を乗せていた。

小さな手。研ぎ澄まされた指先。

白銀に近い髪が光を撥ね、表情の奥には微かな苛立ちが宿る。

小柄な体は作業服の中で端正に整っていたが、

その内側で、なにかが確かに、軋んでいた。


なぜ私は、動揺したのか。

なぜ私は、再分類したくなったのか。

なぜ私は、それでも再生を止められなかったのか。


それは怒りだった。

何に? 誰に?

たぶん——この整いすぎた世界に。

響いたことを「間違い」とされる制度に。

「感じた」と認めることさえできない自分に。


私はファイルを閉じる。だが、指はわずかにためらった。

まるで、読みかけの本の最後のページに手をかけたまま、動けなくなるように。


壁際の端末灯が、私の背にかすかに光を返していた。

その静けさの中で、胸の奥でだけ何かが叫んでいた。


——あれには、意味があった。

私には、確かにあった。


それが誰の声だったのかはわからない。

詩かもしれないし、記録エラーの残響かもしれない。

けれどそれを無かったことにするのは、私にはもうできなかった。


まだこのときの私は知らなかった。

あの微かな震えが、構文世界の綻びを探しつづける者たち——

記録秩序の外に潜む者たちの目に、

私という存在を映しはじめていたことなど。


(第6話終)

読んでいただいてありがとうございます。

5/12(月)より平日の18:00頃に投稿することに変更しています。

感想などいただけると嬉しいです。

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