第7話|眠らない街
陽が昇りきり、白い街はぼんやりと光に沈んでいた。
イオは、与えられたルートに沿って、淡々と歩き続けていた。
舗装された道は、寸分の狂いもなく真っ直ぐに伸びる。
その上を、時折ドローンが無音で滑るように通り過ぎていった。
遠くで聞こえるのは、人工羽音と、時折重なり合う管理音声だけ。
人影はなかった。
イオがすれ違うのは、農業ユニットと呼ばれる自律機械たちだけだった。
銀色の筐体が、律儀に作物を点検し、光量や養分バランスを調整している。
立ち止まったイオの目の前には、無機質な畑が広がっていた。
一列に植えられた作物は、同じ高さ、同じ角度で成長していた。
本来なら聞こえるはずの土を踏む音も、葉擦れのさざめきも、ここにはない。
すべては静寂に包まれ、透明な膜の奥で生かされていた。
イオは、そっと自分の手を見つめた。
白い袖から覗く細い指先。
それは、確かに動いた。だが、自分のものではないかのように、温度がなかった。
掌を開き、閉じる。
動きに不備はない。
それなのに、身体の輪郭がどこか曖昧だった。
(わたしは……本当に、ここにいるの?)
呼吸を意識する。
吸い込んだ空気は冷たくも温かくもない。
ただ、機械のように、規則正しく肺を満たすだけだった。
髪が風に揺れる。
その感覚さえ、まるで薄いガラス越しに触れているかのようにぼやけていた。
「自己感覚に異常はありませんか」
カナエの声が耳を叩いた。
イオは答えなかった。
口を開く必要さえ、もう忘れかけていた。
街は眠らなかった。
いや、眠ることを許されていなかった。
作物群の隙間に滑り込む小型ドローン。
無音で点検し、記録し、エラーを修正していく。
人間の役割は、ただ存在すること。
何かを選ぶことも、疑うことも、望むことすら排除された世界。
(わたしは、ただ……ここに置かれているだけ)
その思いは、胸の奥で硬く沈殿した。
自己というものが、薄い膜一枚越しに隔てられていく感覚。
遠景に、白い低層住宅群が霞んで見えた。
どれも同じ形、同じ高さ。
窓から洩れる光さえ、同じ色温度に統一されていた。
街は完璧だった。
だからこそ、そこには何もなかった。
イオは無意識に歩を進める。
道端に設置された植物体にも目を向けた。
葉は、風が吹かないのに、かすかに揺れていた。
その揺れさえ、制御されている。
まるで、自然のふりをするためだけに動いているようだった。
「本日午後、区域C-2への移動予定です。
作業開始は時刻14時。詳細は端末に送信済みです」
カナエの機械音声が、さらに続く。
指示に従うしかなかった。
この街では、選択とは、与えられるものではなく、命じられるものだった。
それでも、心のどこかで、
イオは微かに感じていた。
この街に欠けているもの。
この世界に欠けているもの。
——震え。
——鼓動。
——生きているという実感。
白い街の中で、イオの心臓だけが、わずかに震えていた。
それはまだ、声にならない。
名も持たない、幼い感覚。
だが確かに、そこに在った。
イオは知らなかった。
この微かな震えが、やがて世界を揺るがす詩となることを。
ただ、歩く。
白い街を。白い道を。
まだ名前のない、存在の震えと共に。
(第7話|終)
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