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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め  第12章 をとめのことば

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第57話|耳をすませば

都市の北端、かつて観測塔があったという廃区画。

今はもう、地図からも消されかけた場所。

けれど、そこにはまだ、風があった。


私は、ジンの渡してくれた小型ユニットと布片を携えて、Refrainの観測支援員・ハクと共にその地点を訪れた。

ハクは、ジンと長い付き合いがあるらしく、詩による感受の解析や記録に特化した静かな青年だった。

無駄な言葉を発さず、感情の振れ幅が限りなく薄い。その印象は、どこかBUDDA側の観測ユニットに似ている。

けれど、彼はその無表情な横顔のまま、そっと囁くように言った。


「……風の“耳”は、人の耳とは違う。

 響きよりも、間を読む。……風が、どこで止まったかを見て」


私は頷いた。

建物の影が歪む朝。

舗装の剥がれた地面と、静かに崩れた構造体のあいだを、風がすり抜けていく。


ハクが手にしていた観測ユニットが、小さな音で震えた。

「ここ、微細な干渉がある。……詩の、残響痕かもしれない」


人の気配はない。

けれど、なにかが“いた”痕跡がある。

記録ではなく、感覚の残り香。

声でも、音でもない、名のない震えが、空気に残っている。


私はそっと、耳をすます。

風が、砂を巻き上げて、塔の残骸にぶつかる。

低い音。掠れるような響き。

それは、なにかが“言葉にならなかった”音のように聞こえた。


目を閉じる。

風の通り道を、体で読むように。

背中、首筋、ひざのあたり……

風が触れていった場所に、なにかが残る。


光が、破れた壁面で反射し、粒子がふわりと宙を舞う。

音と風の時間差、影と重力の歪み。

私は五感すべてで、空間のわずかな“揺らぎ”を追った。

ただの風ではない。そこに——震えの“形跡”がある。


私は布を取り出し、手のひらで軽く押さえた。

レゾナクトが、淡く反応する。

だが、それは数値にも波形にもならない。

布の繊維が、ほんのわずかに震えているだけ。


「……誰か、ここで、読んだの?」


声にはならなかった。

けれど、心の奥で、たしかにそう感じた。


風のなかに、誰かが発した“詩”の残響が、かすかに混じっている。

それは意味のある言葉ではなく、ただの韻律のような、断片。

けれど——感じる。

それが誰かの心から生まれた“揺らぎ”であると。


ジンが言っていた。

「記録よりも先に、風が記憶する」と。


記録は、定義された情報だけを残す。

けれど、風は定義の外にあるものを運ぶ。

詩が意味になる前の、震え。

まだ名を持たない誰かの存在。


私は、風のなかで目を開いた。

空は、澄んでいた。

その澄んだ空気の下に、誰かが、確かに“読んだ”。

そう感じられることが、いまの私のすべてだった。


そのときだった。

風の一筋が、私の足元をなぞるように抜けていった。

ただの気流ではなかった。

布がわずかに膨らみ、触れていないはずの指先が、内側から押し返された気がした。


声ではない。

音でもない。

だが、そこに“ひとの気配”があった。

この空間の、どこか——まだ名を知らない“誰か”が、確かに存在している。


私は布を握りしめ、そっと歩き出す。

まだ名前を知らない誰かの詩を探しに。


(第57話|終)


読んでいただいてありがとうございます。

5/12(月)より平日の18:00頃に投稿することに変更しています。

感想などいただけると嬉しいです。

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