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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め  第12章 をとめのことば

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第56話|風のしるし

布を手に取ったとき、わずかに空気が動いた気がした。

それは手のひらの感触ではなく、皮膚のすぐ外側——風が揺れたような、微かな振動。

名を呼んだあとの温度が、まだ残っていた。


焚き火の炎が、低く灯っている。

ここは都市の外縁部、非記録区の一角。

かつて何かの施設だったらしいが、今では柱も壁も半ば朽ち、風の通り道になっている。

天井が一部抜けており、光と塵と風が、絶えず出入りをくり返していた。


私はその風を見ていた。

耳を澄まさなくても、風が詩を運んでいると感じた。

形にはならない。でも確かに“意味”だけが、漂っていた。


「詩が誰かに届いたとき、それは“風のしるし”として残る」


ジンの声は、すぐ隣で響いた。

それは炎よりも温かく、灰よりも静かだった。


「風に詩が混ざるとき、言葉の輪郭は消える。けれど、それが誰かに届いたとき、風は震える。

 それが“しるし”になるんだ。……記録されなくても、残るんだよ」


私は、布を見つめた。

ユマの名が、そこに縫い込まれている。

私が、はじめて自分の意思で呼んだ“名前”。

あのとき確かに、声にならない詩が風に触れた。

ジンは、それを“認められた”と言ったけれど、まだ実感はなかった。


それでも、ひとつだけわかることがあった。

あの瞬間、私はひとりではなかった。

誰かが、遠くで震えてくれた。それだけで、十分だった。



「……KANONは沈黙したままだ。再起動の兆候もない。アマネも……姿を見せてはいない」


ジンが、夜の風に目を細める。

私も、そっと視線をそらした。


アマネ。

ずっと、あの子の影を感じていた。

視線の隅、空気の揺れ、言葉の節々に——無意識にその存在を追ってしまう。

私を監視していた。けれど、それだけではない。

あの子は、たぶん……感じていた。

詩が風を揺らした瞬間に、何かが響いたのだと思う。

KANONが沈黙したのは偶然ではない。

アマネの内側で、きっと、なにかが揺れた。


あの子が、私をどう思っているかは、わからない。

でも、私は——あの子のことを忘れたくない。

忘れられた感情が、どこかで風に還るなら、

私はそれを、読みとれるようになりたい。



夜が明けるころ、ジンは私に三枚の布を手渡してきた。

それぞれに、淡い繊維が織り込まれている。

風に触れれば、干渉の痕跡を微かに記録する、レゾナクト布だ。


「北側区域。旧観測塔跡地の近くで、新しい共鳴反応が観測された。

 まだ不確かだが、可能性はある。……“読む者”が、そこにいるかもしれない」


私は、静かに布を受け取った。

まだ温かい。

手のひらの熱が、伝わっているのではなく、

名を呼んだときの“余韻”が、布そのものに染みているようだった。


「風の痕跡を感じたら、それを詩で確かめてくれ。読むんだ。おまえなら、できる」


私は頷いた。

頷きながら、自分の中に生まれていた“決意”のかたちに気づく。


あの頃は、ただ追われていただけだった。

逃げることが目的だった。

でも今は違う。

私は——探しにいく。

名も知らぬ誰かの震えを、風のなかに探しにいく。

それは、まだ言葉にはならない願い。

でもきっと、いつか届く。


私は布を抱きしめた。

そのとき、空気が、かすかに震えた。

名前のない風が、どこか遠くから吹いてきて、私の髪をやさしく撫でていった。


(第56話|終)


読んでいただいてありがとうございます。

5話連続投稿はいかがでしたでしょうか?本日より通常営業に戻ります。

毎週火・木・土曜日の20:00頃に更新しています。

このお話が「いいな」と思った方はブックマークをよろしくお願いします。


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