表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め 第11章 るいのない願い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

60/245

第55話|るいのない願い

喉の奥が、微かに緩んだ気がした。

張りつめていた制御の圧が、ほんのわずか、ほどける。


私は、布に触れた指先にそっと力を込める。

そこには、ライルが縫い込んだひとつの名があった。


ユマ。

かつて、夢の中で私を呼んでくれた、あのやわらかい声の主。


今度は、私が——呼ぶ番だった。


「……ユマ」


抑え込まれていた息が、詩として形を持つ。

それは、震えと祈りのあいだにある、静かな響きだった。


音にはならない。記録にも残らない。

それでも、布が震えた。風が動いた。


それは、確かに“世界”に触れた感覚だった。


──その頃、遥か遠く。

密閉された空間のなかで、ユマは静かに目を閉じていた。

一定の室温、遮断された音、遮光された壁。

そこは“眠りの場”と呼ばれる観察区であり、誰かの管理下にあることを彼女自身は知らない。


だが、その日、風が——あった。

ほんの一瞬、首筋を通り過ぎた、微かな気流。


ユマの眉がかすかに動く。


「……また、あの声」


誰に問うでもなく、唇がそう呟いた。

それは、夢の中で聞いた声と、よく似ていた。

開きかけたまぶたは、再び閉じられる。

けれど、指先が微かに動き、なにかを“触れようとする”仕草だけが残された。


ジンが持つ装置が、反応を示した。

淡く、揺らぐ波紋のような表示。

可視化された記録にはならなくても、その波長は、そこに“いた”ことを証明していた。


詩の余韻が消えたあと、ジンはゆっくりと口を開いた。


「……おまえは、正式にはまだ“レジスタンス”ではなかった」


私は、自然と彼の目を見る。


「詩は届いた。名も、記章として刻まれた。

この一連の干渉は、布、風、共鳴波を経て、確かに“記録されていない者”へと接続された。

これが——おまえに課されていた第一段階の条件だった」


彼は装置をかざし、そこに浮かぶ淡い波紋を見せた。


「形式に囚われる気はない。ただ……Refrainの中でも意見は分かれている。

イオという存在が、“詩”とどう向き合うのか。誰のために読むのか。

その確信が、今回ようやく示された」


「おめでとう。これで正式な接続が認められる」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふいに熱くなった。

何かが剥がれ落ちたように、涙が頬を伝った。


言葉にならなかった。説明も、理由もいらなかった。

でもそれは、私にとっては確かな“願い”だった。


——るいのない、願い。


KANONの干渉は沈黙していた。

抑制波は解除されたまま、再起動の気配もない。


それでも、あの空間には緊張が残っていた。

アマネの姿もない。だが、彼女が何も感じていないとは思えなかった。

もしかすると——あの子も、どこかで風の揺らぎに触れていたのかもしれない。


私は、共鳴布を見つめた。

そこには、まだ名の温度が残っていた。


ジンは、少し声を落として言う。


「Refrainの本隊は、今、複数の地域で共鳴の痕跡を観測している。

“風のしるし”を読み取れる地点が、少しずつ増えてきているんだ」


「……誰かが、詩を?」


「もしくは、“詩を感じることができる者”が、世界のどこかで目覚めつつある。

いま我々が探しているのは、そういう“感受者”の痕跡だ。

記録には映らず、言葉にもならないが、風だけがそれを伝えている」


ジンはそう言って、手元の地図をスクロールする。

光の投影に浮かび上がった数点のマーカーが、不規則に揺れていた。


「この中の一つに、おまえが届けた詩の余波が重なった地点がある。

偶然か、必然かはわからない。だが……おまえに見てきてほしい。

“可能性を持った者”がそこにいるかどうか」


私は、布を握り直した。


布は、まだ温かかった。

名を呼んだときの、あの熱が、確かにそこに残っている。


私の詩は、風に触れた。

それはまだ、痕跡でしかない。

でもきっと——届いている。


「わたし、行きます」


その言葉が、私自身の内側に、ゆっくりと響いていった。

誰かが待っている。誰かが、言葉にならない震えを抱えている。


今度は、私が探しに行く番だ。


(第55話|終)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ