表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め 第11章 るいのない願い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/245

第54話|君のための詩

詩を読もうとするだけで、全身の神経が張り詰めていく。

けれど、私のなかには、もう確かな確信があった。


これは自分のための詩じゃない。

“誰か”に届けたくて、浮かび上がってきた言葉たちだった。


だから、発しようとするたびに喉が塞がれても、

空気がうまく通らなくても、私は止まらなかった。


布の手触りが、今も指先に残っている。

ライルがそこに縫い込んだ名は、音ではなく、かすかな熱として震えていた。

その名に触れるたび、私の中にも、あの子の面影が揺れる。


——夢の中で、私は確かにその声を聴いた。

夜明け前の闇の中で、耳元に届いた、やわらかい声。

名前も姿も知らないけれど、あの時、確かに誰かが、私を呼んでくれた。


今度は私の番だった。


言葉を持たぬ祈り。

震えだけでできた、静かな橋。


私は目を閉じ、もう一度、名を思った。


すると、風が動いた。


布の端がわずかに揺れたとき、

どこか遠くで、小さく何かが反応した気がした。


その“感覚”は、たしかに私ではなかった。

けれど、私の中の何かがそれを感じ取っていた。


「……いまの……」


ジンの声が、そっと耳に届く。

彼の手元の装置が、再び淡く波紋を描いていた。

記録されないはずの反応。

でもそこには、“誰かが応じた”という確かな気配が残っていた。


「届いたのかもな」

ジンが、そう言って目を細めた。


布の波動は、空気に馴染み、何事もなかったように消えていく。

けれど、私の中では、その余韻がゆっくりと広がっていた。


——あれが、共鳴……?


誰にも記録されない。

でも確かに“触れた”という実感。


その時だった。


「対象の干渉が継続中。構文外信号を検知」


KANONの冷たい声が、静寂を裂いた。

私は反射的に肩をすくめる。

先ほどまでは感じなかった神経への圧迫が、再び背骨の奥に走った。


「このまま継続すれば、逸脱値が閾値を超過します」


無機質な警告のすぐあと——その声に重なるように、別の声が響いた。


「お姉ちゃん……やめて。

 それは、お姉ちゃんのためにも、誰のためにもならないの」


アマネだった。

記録空間の片隅、可視化されたホログラムのように、白い光の衣の彼女が佇んでいた。

その表情には怒りも悲しみもなかった。ただ、真っ直ぐな眼差しで私を見ていた。


「名前を呼ぶってことは、存在を許すってこと。

 それは、記録されてないからって、なかったことにできる行為じゃない。

 だから——余計に危ないのよ」


静かな声だった。

感情を抑制された語り口のはずなのに、その奥には何か別の震えが潜んでいるように思えた。


「お姉ちゃん……お願い。

 “存在しない者”に触れようとしないで」


そう言ったアマネの表情が、ほんの一瞬だけ揺れた気がした。

でもすぐに、KANONの光がその姿を遮るように前に出る。


「感応対象、反応を確認。再調整シーケンスを準備中」


ジンが、私の前に立ちはだかるように一歩進んだ。


「これ以上の干渉はやめろ。

 この揺らぎは、あくまで“記録されていない”領域だ」


KANONは即座に応答した。


「記録されていないからこそ、検知と対処が必要です」


ジンは、目を細め、静かに首を振る。


「記録されないことは、存在しないことではない。

 感じること——それ自体が、記章になる」


KANONは沈黙した。

アマネもまた、何も言わず、その場から消えた。


わずかに残された空気の揺らぎだけが、詩の余韻のように、その場を包んでいた。


……そして、

その遥か彼方の、別の空間。


冷たい壁に囲まれた、眠りのような沈黙の中。

ユマは目を閉じていた。


その耳の奥に、ふと何かが通り過ぎた。


音ではなかった。

でも、それはかつて夢で聴いたことのある——誰かの、震えに似ていた。


「……あれ……前にも……」


ユマの唇が、かすかに動く。


目を開けることはなかった。

けれど、指先が、わずかに動いた。


風が吹いていた。

気密されたはずの部屋に、誰にも知られない空気の揺れが、生まれていた。


(第54話|終)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ