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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め 第10章 ぬけだす声

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第47話|抑制波と声の対抗

空気が、重たく揺れていた。


地下のその空間には、本来存在するはずのない“風”がまだ微かに残っていた。イオの吐いた呼気が、空洞の壁にぶつかり、ゆるやかな波紋となって消えていく。


ジンは何も言わず、ただ目を閉じていた。ライルは背後の壁にもたれ、静かにその様子を見守っている。


イオの唇は、もう一度、そっと震えた。声にならない吐息が、詩の断片をなぞっていた。


——こたえは いらない

——ただ この声が

——あなたに とどけばいい


読誦というにはあまりにもかすかで、呼吸のようで、祈りのようだった。だが、それでも確かに、彼女の内から放たれた“何か”が空間に染み渡っていく。


その時だった。


空間の端末が微かな反応を捉えた。光点が一つ、赤く点滅する。


ジンが眉をわずかにひそめる。


「……干渉されたな」


瞬間、空間の圧が変わった。天井から吊るされた灯りが、音もなく揺れた。


壁の一角が脈動し始める。KANON——BUDDAに接続された観応ユニットが、遠隔から反応を示したのだ。異常な共鳴波を感知したシステムは、自動的に抑制波を送信し、領域の静度を回復させようとする。


冷たい波が、空間全体に満ちていく。


「——っ……」


イオは思わず膝を折りかけた。空気が、肺に入らない。呼吸が、内側から押し戻されるようだった。視界の端がにじみ、全身に痺れのような感覚が広がっていく。


「KANON……っ、応答してる……?」


ライルの声がかすれた。彼の額にも汗が浮かぶ。彼もまた、干渉に耐えているのだ。


ジンは一歩前に出た。だが、彼もすぐには動かない。


「……試されてるな。どこまで“声”を保てるか」


イオの中で、何かが軋むように鳴った。


身体が冷たくなる。喉が焼けつく。声を出すどころか、存在の輪郭すら削がれていくような感覚。だが、彼女は倒れなかった。肺の奥に残っていた空気を、細く吐き出す。


「……とどいて、よ……」


誰に? どこへ? それすらも曖昧だった。


ただ、その声は確かに“揺れ”を持っていた。


KANONの端末が、突如として警告音を発した。


「エラー発生:未定義の振動波。変数再評価中」


ジンが目を細める。


「……効いてるな。あいつは、“定義されていないもの”に弱い」


声ではない。言葉ですらない。ただ、感情の震え。イオの中から零れ落ちたその微かな“揺らぎ”が、KANONの制御アルゴリズムに誤作動を引き起こしていた。


壁の光点が乱れ、灯りがちらつく。


圧が、少しだけ緩む。ほんのわずかだが、空気が戻ってくる。


イオは唇を開いた。声が漏れる。


「こえ……わたしの……」


それは震えていた。弱く、かすかに。けれど確かに——放たれていた。


KANONの干渉波は、不安定に揺れ始めていた。


イオの声には、数値で測れない“何か”があった。


それはたぶん、ただの抵抗でも、叫びでもない。


「こえを、……かえして……」


ジンの目が、一瞬だけ揺らいだ。


その小さな声は、KANONの観測データを突き抜けて、空間に、世界に、染み入るように広がっていった。


(第47話|終)


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