表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め 第9章 りゆうのない涙

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/245

第43話|制御の方程式

アマネは、笑っていた。

けれどその笑みには、何も揺れていなかった。


「ねえ、お姉ちゃん。感情って、ほんとうに必要?」


唐突な問いだった。

私は返事をしなかった。声にならなかった。


彼女は続けた。言葉に、迷いがなかった。

「私はね、たくさんの感情ログを見てきたの。うれしいとか、悲しいとか。みんな違って、でも、だいたい同じ。……だから、方程式があるの。安定を保つための。」


噴水の水音が、広場の隅でわずかに跳ねていた。

誰も見ていないのに、機械は律儀に循環を繰り返している。


「感情ってね、怖いんだよ。だって、定義できないでしょ。言葉にできないでしょ。だから、制御しないと、いつか壊れちゃう」


静かな声だった。

けれど、確信に満ちていた。


私は、息を飲んだ。喉の奥に、硬い何かがひっかかった。

それは、反論でもなく、納得でもなく、ただ――拒絶だった。


「わたしは……壊れてるの?」


小さな声で訊いた。それは、自分でも驚くほど脆い音だった。

アマネは首を横に振った。


「違うよ。でも、壊れる手前にはいる。KANONがそう言ってた」


その名が、胸を冷たく締めつけた。


――KANON。


耳の奥に、あの機械的な声が蘇る。


《その感情に、合理性はありますか?》

《記録ログと一致しない発話を確認。再定義を行います》

《存在とは、記録されて初めて成立します》


冷たい手が、背中に触れるようだった。

私の中で揺れた何かが、すぐに“正常値”からはみ出す。

そしてそれが、“逸脱”と記録される。


「KANONは、正しいよ。お姉ちゃんの今の状態は“不安定”。それに理由があるかどうかは、関係ないの。データとして逸脱してるなら、それだけで危険信号なの」


アマネは、表情を変えずに言った。

目の奥には、何の痛みもなかった。

それが、なによりも怖かった。


「私たちの役目は、“全体の幸福”を守ること。ひとりの心が乱れると、周囲にも揺らぎが生じる。その連鎖を防ぐのが、KANONの役割。私の仕事も、ね」


私の“仕事”――その言葉が、また何かを引き裂いた。


私の生きていること。感じていること。

それは、彼女にとって「観測するべきデータ」だった。


「……私、あなたに見られてたの?」


問いながら、足元が揺らぐ感覚がした。

重心がわからない。自分の存在が、誰かの視線にだけ支えられているような錯覚。


アマネは頷いた。


「ずっと、ね。お姉ちゃんは感情の揺らぎが大きいから、定期的にKANONとログを照合してるの。カナエからの中継を受けて、記録の監視もしてるよ」


静かだった。

それほどに、その言葉の重さが、ひたひたと胸に沈んでいった。


私は、ずっと誰かに“見られて”いた。

涙の一粒まで、声の震えまで、記録されていた。

そして、その“記録できない部分”が、危険だと判定されていた。


「感情に……意味はないの?」


震える声が出た。


「ううん。意味は、あるよ。でもね、それは“個人的な意味”なの。社会には、共有できない。だから、管理の対象になるの。そうじゃなきゃ、秩序は保てない」


それは、理屈としては正しいのかもしれなかった。

でも、それを“妹”の顔をした誰かに言われることが、たまらなくつらかった。


アマネの声は、透明だった。

澄んでいて、曇りがなかった。


だからこそ、私の中で曇りが広がった。


「私……そんなに、間違ってたのかな」


自分に向けた言葉だった。誰にも届かない、答えのない問い。


そのとき、KANONの声が響いた。


《情動ログ:不一致検出。発話と感情波形の乖離が観測されました》

《補正処理:再定義を試行中……失敗》

《揺らぎログ、要経過観察》


私は、笑った。

それは、ほんの少し涙に似た笑いだった。


(第43話|終)


読んでいただいてありがとうございます。

毎週火・木・土曜日の20:00頃に更新しています。

続きが気になる方はブックマークをよろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ