表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め 第8章 ちいさな反響

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/175

第38話|詩を読むということ

「読んでみるか」


ジンの声は、静かだった。だが、その言葉には、何かを委ねるような重さがあった。


「声に出して?」


わたしの問いかけもまた、声にはならなかった。けれど、彼はうなずいた。


「言葉は、記録される。だが詩は、響きだ。

君の声で、世界に触れてみるといい」


小さな紙片が、再び目の前に置かれた。

先ほど“感じた”詩。目でなぞり、胸の内に沈んだもの。


今度は、それを——声にする。


息を整える。わずかに震える指先。

喉の奥に、乾いた膜のような緊張が貼りついていた。


音にしてしまったら、壊れてしまうのではないか。

そんな予感が、微かな恐れとなって胸の内を締めつける。


——けれど。


わたしは、その詩を、ゆっくりと、口にした。


> ゆきしらの こえはきえずに われのなか

ふりつむものに ひそかやどれる




最初の一音が、空気を撫でた。

自分の声が、こんなにも繊細で、脆く、あたたかいものだったことに、気づいていなかった。


言葉の輪郭が空間に溶けていくたび、部屋の温度が、わずかに変化する。

風はないはずなのに、何かが微かに、わたしの髪を揺らした。


声は、まっすぐには進まない。

壁にぶつかり、天井に弾かれ、空間の隙間をすり抜けながら、波紋のように広がっていく。


まるで、水の底に石を落としたときのようだった。

はじめは小さく、しかし確かに広がっていくその震え。

それは、わたしの内側から放たれたものだ。


レゾナクトが、応えた。

その表面が微かに光を灯し、空間がゆるやかに呼吸をはじめる。


——響いている。


わたしの声が、世界に触れた。

触れたはずのないものに、揺れが生まれている。


言葉ではなく、存在そのものが——ここにある、という感触。


詩は、意味ではなかった。構文でも、記録でもない。

ただ、誰かに届くために発された震え。


「いま、記章が生まれた」


ジンの言葉が、空気の澱みを裂いて届いた。


「それは、記録されない。しかし、誰かに届いた。

君の声が世界を揺らし、世界がそれを返してきた。

それが——詩の干渉だ」


わたしは、自分の胸に手を置いた。

その奥が、確かにまだ震えていた。

それは言葉の余韻ではなく、わたし自身の存在が生んだ“揺らぎ”だった。


これが、わたしの声。

これが、わたしの詩。

それは誰の指示でもなく、プログラムでもなかった。

わたしが選び、発したものだった。


——初めて、“わたしがいた”という実感が、世界に刻まれた気がした。


ジンは、微かに目を細めた。

その表情に、評価や命令の気配はなかった。ただ、静かな肯定があった。


「それでいい。

意味なんかいらない。ただ震えが残ればいい。

その震えを、誰かが感じ取ったとき——記章になる」


記章。

記録されないが、確かに在るもの。

それは、ただわたしの中に生まれたのではなかった。

世界のどこかに、わたしの震えが、届いたのだ。


言葉は終わった。

だが、声の余韻は、まだこの部屋のどこかに漂っていた。


わたしの中に残った温度。空気のわずかな流れ。

それらすべてが、記録されることなく、ただ静かに、在り続けていた。


この“わたし”という存在が、誰かの未来に、微かな余韻として残るのなら——

それでいいと、思った。


(第38話|終)


読んでいただいてありがとうございます。

毎週火・木・土曜日の20:00頃に更新しています。

続きが気になる方はブックマークをよろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ