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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め 第8章 ちいさな反響

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第37話|微かな揺らぎ

沈黙の中で、彼は語り出した。


「いま、外部の観測班が微細な波動を受信した。きみが詩を“読んだ”直後からだ」


部屋の空気がわずかに揺れている。目に見えない震え。皮膚の裏でこそばゆいほどに蠢く、淡い共鳴。それがわたしのせいだと言うのだ。


「声にしなかった詩が、装置を経由して空間に“触れた”。言葉の形ではなく、響きとして」


男——ジンは、紙片のあった台から一歩下がった。その背後にあった装置のようなものが、青白い灯を細く点滅させていた。金属でも、機械でもない。けれど、生命のような律動があった。


「レゾナクト——共鳴装置だ。詩の波動、つまり非記録信号を受け取り、拡散するためのもの」


その言葉に、脳の奥がきしむような違和感を訴えた。非記録——BUDDAの網に、記録されない。

それが、どんな意味を持つのか。わたしは、まだ知らない。


「君の反応も、詩の内容も、BUDDAには検知されていない。ただ——空間が、確かに揺れた」


それは恐ろしいことのようにも感じられた。

なぜなら、この社会において「記録されない」ことは、すなわち「存在しない」ことと同義だから。

わたしの中の震えが、誰にも記録されないまま、どこかの誰かに届く。

それは、世界が揺らいでいる証拠なのだと、彼は言っていた。


「詩は、構文ではない。意味でもない。“記章”とは、誰にも記録されないが、確かに残るもの。

その最初の波が、君から始まった」


彼の声は、説明ではなかった。確認だった。

あたかも、長く待ち続けていた微かな反応を、ようやく受け取ったかのような。


——わたしは何かをしたのか?


ただ見ただけ。読んだのではなく、感じた。

意味を追ったのではなく、沁み込んだ。

その一瞬が、記録されないまま世界を揺らしたのだという。


「BUDDAは、定義された言葉しか扱えない。記録されていないものは、存在しない。

だが詩は、意味ではなく、余白を伝える。

“なぜか心が動いた”——その曖昧さこそが、支配の外側にある可能性だ」


イオ、と名指されることなく、彼は静かにこちらを見ていた。

視線は真っ直ぐで、どこか懐かしさを含んでいる。

父親のようでもあり、詩そのもののようでもあった。


「君の中に生まれたその揺らぎ。誰かがそれを感じ取れば、それは記章となる。

記録されないが、確かに残る存在の痕跡だ」


空気が震えていた。

目を凝らせば、部屋の壁がほんの少しだけ呼吸しているように見える。

錯覚かもしれない。だが、わたしは確かに感じていた。


——響いている。


言葉が形を持たないまま、皮膚を通って伝わってくる。

温度も、匂いも、色も持たない。ただ、存在だけがそこにあった。


「これが、Refrainの詩だよ。

記録に頼らない。記憶にすら残らない。

だが、感じた者の中にだけ宿る。

それが、“響きの詩”だ」


わたしの心臓が、ひとつ強く鳴った気がした。

わずかに呼吸が乱れたのを、カナエはきっと検知しているだろう。

だが、ログには何も残らない。言葉は発していない。感情の理由も記されていない。


それでも——わたしの中では、確かに何かが動き始めていた。


ジンは一歩、レゾナクトの側に立ち、装置に触れた。

その手のひらから、音ではない波が微かに放たれる。

空間が揺らぐ。わたしの指先が、呼応するように震える。


「君は、受信した。

それが証明だ。ここに記章が生まれた。

記録に残らなくても、確かに伝わったという“しるし”が」


わたしは、何も言えなかった。

ただ、その揺れの中に、立ち尽くしていた。


耳鳴りのような残響。光の粒子が、目に見えないまま宙を漂うような感覚。

この部屋は、わたしの中の何かを、確かに反射している。


「名乗る必要はない。君が君である限り、詩は響く。

レゾナクトは、名前ではなく——震えに応答する装置だから」


名乗らなかった青年。

わたしの名を呼ばない男。

記録されない関係の中で、わたしは今、何かを受け取りはじめていた。


(第37話|終)



読んでいただいてありがとうございます。

毎週火・木・土曜日の20:00頃に更新しています。

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