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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め 第8章 ちいさな反響

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第36話|反響の兆し

錆びた金属扉が、静かに閉じた。

わずかに響いた音が、長い通路の奥へと吸い込まれていく。


イオは、その響きに一瞬立ち止まった。後ろから届いた声が、呼吸よりも低く告げる。


「待機室まで案内するよ。そのあとは——親父に任せるよ」


誰の声だったかは、うまく思い出せなかった。フードをかぶった青年の顔も、声も、微細なざらつきを帯びたまま記憶に溶けている。


数歩、歩くたびに足音が鈍く返る。

地下らしいその構造は、冷たく、密閉され、音が呼吸のように壁に跳ね返った。


空気の匂いが変わったことに気づく。土と金属、どこか焦げたような痕跡。

それは過去の記憶を引き寄せるほどの強さではないが、皮膚の下にざらりとした違和感を残した。


「ここだ」


そう言って彼が手を添えた扉は、意外なほど軽く開いた。

中は、空白の部屋だった。


何もない。テーブルも、椅子も。いや、中央にひとつだけ。小さな台の上に、一枚の紙が置かれている。


室内には、どこからか微かな振動のようなものが漂っていた。

装置の稼働音か、壁を伝う何かの共鳴か、それとも——自分の鼓動か。


その隣にいた男が、ゆっくりとイオのほうを向いた。

白い髪。深く皺の刻まれた顔。そして、静かな眼差し。

男は口を開くことなく、ただ一度だけうなずいた。

それだけで、ここが「観測されている場所」だということをイオは理解した。


紙片に、筆のようなもので書かれた文字がある。

漢字。見慣れない仮名。小さな揺れ。


——声に、しないで。


誰かのささやきが、耳の奥で囁いたような気がした。

言葉にならない、けれど確かに意味を持つ何かが、紙から立ち上がってくる。


読むべきか、迷った。

だが、目はもう、逃げられなかった。

まるで吸い寄せられるように、視線がその詩をなぞっていた。


> ゆきしらの こえはきえずに われのなか

ふりつむものに ひそかやどれる




声に出したわけではない。だが、その瞬間——

部屋の隅にあった金属装置のようなものが、微かに光を帯びた。

風もないのに、衣の裾が揺れる。


イオの胸の奥で、何かが反響した。

それは音ではなく、記録されない気配だった。


男が口を開いた。

「……感じたな」


声は、まるで記憶の底から引き上げられたように響いた。


「君の中で、反響が始まっている。まだ微かなものだが、確かに響いた」


イオは、喉の奥が少しだけ熱を帯びるのを感じた。

それが感情なのか、制御の揺らぎなのか、自分でも分からなかった。


——もしこれが、わたしだけの中でしか起こっていないのだとしたら?

それでも、確かに“あった”と呼べるのだろうか?


胸の奥に灯ったわずかな熱に、名前を与える術は持たなかった。

けれど、それは確かに、わたしの中でだけ揺れている。


紙片を手に取ろうとしたとき、男がそれを制した。

「それは——触れるものじゃない。残すものだ」


紙の上にあったもの。それは詩であり、記章であり、誰にも記録されない“存在のしるし”。


イオは、立ち尽くしていた。

風も音もない部屋で、自分の内側だけが、わずかに震えていた。


その震えが、何かを呼んでいる。

そう思った。


(第36話|終)


読んでいただいてありがとうございます。

毎週火・木・土曜日の20:00頃に更新しています。

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