第3話「詩という異物」
――意味のない言葉が、なぜ震えを生むのか。
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感情制御下における教育課程では、古典言語と非機能語の理解訓練が定期的に行われている。
その一環として、“詩”と呼ばれる旧時代の表現様式が教材として用いられることがある。
目的は、語彙の構造的理解と、意味のない比喩に対する免疫反応を育成することにある。
詩はかつて、情緒や記憶、あるいは他者との共鳴を誘発する形式として用いられていた。
だが現在、それはただの“廃語表現”であり、実用的な意味は一切ないとされている。
教育管理ノードは、その旨を以下のように明示する。
> 「詩は記録ではない。
記録できないものを伝えようとした誤った形式である」
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第九生活圏の教育モジュールでは、定期的に模擬詩訓練が組み込まれている。
本日配信されたのは、以下の短詩である。
> あさひのなかで わたしはきみを さがしていた
ことばのかけらが まだ あたたかい
生徒たちは、それぞれの端末に向かい、文法構造を解析し、語彙を再分類する。
一語ずつ区切り、意味を分解し、共通言語への翻訳を行う。
「“あたたかい”は温度表現であり、比喩的用法は認識されない」
「“きみ”という代名詞には具体性がなく、対象不明瞭」
──そうした作業が淡々と進められていく。
そこに、感情は含まれない。
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だがその日、ひとりの少年が音読の途中で言葉を詰まらせた。
「……ことばの、かけらが……まだ……」
声が、わずかに震えていた。
担当教員はすぐに異常値を検出し、制御ログを照会した。
心拍の軽度上昇。瞳孔の微妙な拡張。
わずかに体温が上昇し、指先が握られている。
反応強度は、制御許容値を0.3ポイントだけ上回っていた。
抑制波が即時作動し、少年は静かに平常状態へと戻された。
記録には「一時的過反応」と記載された。
対応完了。影響なし。
異常なし。
だが、教育管理官の記録には、小さく追記が残された。
> 「詩に対する反応。内容との一致性は見られず。
原因不明。想起誘発の可能性。継続観察対象とする」
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この世界において、“詩”は機能的には無価値とされている。
だがその無意味な言葉の並びが、なぜか“揺れ”を引き起こす事例は、過去にも複数報告されている。
とくに幼少期や、抑制定着前の若年層では、
意味よりも“響き”に対する生理的反応が顕著に現れる傾向がある。
それを“詩的干渉反応”と呼ぶ者もいる。
正式な学術用語ではないが、内部資料には残されている。
公には、報道されない。
なお一部の教材は、失語区の文献断片を再構成したものとされている。
とくに「万葉集」と呼ばれる日本語古典詩群の一部は、意味構造が風化し制御干渉を受けにくいため、
詩的免疫訓練用の素材として過去に利用された記録がある。
その音韻と抑揚には、わずかながら揺れを誘発する報告も存在する。
なぜ詩が、記録されないものを呼び起こすのか。
なぜ言葉にできないものが、音の連なりで震えるのか。
答えはない。
だが、確かにそれは起きている。
それが、教育機関が詩の訓練を今なお継続している唯一の理由であり、
同時に最も注意深く観察されている領域でもある。
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次に、
その少年が詩を読み返すことはなかった。
だが彼の中に残った何かは、しばらく消えなかった。
意味を問われても、彼は答えられなかった。
なぜ震えたのか、誰のことを思ったのか。
自分でもわからなかった。
だが、
わからなかったからこそ、そこに何かがあった。
それだけが、確かだった。




