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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め 第6章 へだたりの中で

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第30話|記章のはじまり

風が、わずかに揺れた気がした。

それはただの通気制御の誤作動かもしれない。だが、イオの肌は確かに反応していた。


帰り道の途中。

区画制御された中層の連絡路。冷却装置の反響音が遠くから周期的に響く。

誰もいないはずの空間に、見えない圧があった。いや、それは圧というより——音のない“声”のようなものだった。


イオは立ち止まり、目を閉じた。

耳ではない。肌で、肺で、内臓で、何かを探っている。

街の機械音にまぎれ、きわめて微細な“揺らぎ”があった。音でも光でもなく、ただ世界の密度が一瞬だけ変化する。


——ことばにならない、ことば。

記録されない、震え。


誰かが、そこにいる気がした。けれど、視界には何も映らない。

それでも、確かに“存在”だけが、イオに触れていた。


「……いるの?」


無意識に口にしたその言葉は、誰に向けたものでもなかった。

だが次の瞬間、空気の層が一枚だけ剥がれるように、世界がほんのわずかに“応えた”。


風が引き、光が乱れ、空気がざわめいた。

詩のようでもあり、錯覚のようでもある。

ただ、その一瞬に、イオの中で“何か”が定着した。


——私は、ここにいる。


見えない声が、そう名乗った気がした。

心が震えた。その震えが、空間へと逆流していくようだった。



都市外周。

通信遮断区域に近い旧記録区の地下連絡路。

そこに、かつて神殿だったと言われる構造物の残骸がある。

ライルはその一角、詩の共鳴を捉える装置の前にいた。


黒いフードを深くかぶり、古びた布に身を包んだ青年。

手には、Refrainから渡された共鳴布が握られている。

その繊維が、いま微かに震えていた。


「……届いた、か」


唇が動いた。だがその声は誰にも届かない。

ただ静かに、装置の波形が光る。


感知された数値は、規格内の揺らぎに過ぎない。

だがライルは、その“誤差”に込められた意味を理解していた。

——それは、詩の反響。

記録されない震えが、確かに誰かの内に届いた証。


彼は端末に接続した。通信は最短ルート、最小限。

だが、言葉を選ぶまでに数秒の間が必要だった。

この一報が、Refrainの作戦を“開始”へと移行させる。


「ジン。反応を確認した。Refrain、第一段階、起動可能だ」


しばらくの沈黙。

やがて、回線の向こうから声が届く。

低く、落ち着いていて、どこか詩のような余韻を帯びた声だった。


「……よくやった、ライル。

 記録されない声が、いま、この世界を揺らした。

 それだけで、充分だ。世界が動く。お前の手で」


通話が切れた。画面の波形も静かに消えていく。

だが、ライルの中にはまだ微かな震えが残っていた。

それは数値化できない。記録もされない。

だが確かに、そこにある。


記章——

誰にも記録されない。だが、それでも存在する。

その発芽は、すでに始まっていた。



---


(第30話|終)


読んでいただいてありがとうございます。

毎週火・木・土曜日の20:00頃に更新しています。

続きが気になる方はブックマークをよろしくお願いします。


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