第28話|夢境の再会
夜が、静かに沈んでいく。
目を閉じてから、どれほどの時間が経ったのだろう。
眠っているはずなのに、意識はどこかに浮かんでいた。
夢と呼ぶにはあまりに明瞭で、現実と呼ぶには輪郭が曖昧だった。
——この場所には、名前がない。
それでも、私はここに“いる”と感じていた。
記録には残らない。だが確かに、存在している。
誰かの気配が、風とともに近づいてくる。
その気配に、心がわずかに震えた。
「……また会えたね」
黒いフードをかぶった人物が、すぐそばに立っていた。
顔は見えない。声もぼやけている。
それなのに、なぜか“懐かしい”という感情だけが、はっきりと胸に灯っていた。
「君の詩は、届いたよ」
言葉のひとつひとつが、ゆっくりと、深く、わたしの中に沈んでいく。
「それは、声じゃなくてもいい。姿がなくてもいい。
感じたなら、それで十分だ。
——君はもう、変わり始めている」
私は言葉を返せなかった。
けれど、心の奥で、何かがふるえていた。
“わたしは……変わってしまったの?”
問いかけるように見上げると、彼は首を横に振った。
「違うよ。変わって“しまった”んじゃない。
君は、“変わることを選んだ”んだ」
選んだ?
わたしが……?
黒いフードの奥で、確かに微笑が生まれた気がした。
「君は、自分の詩に、まだ気づいていないだけ。
でも、それは君の中にもうある。
あとは、それを“出す”だけなんだ」
わたしの中に、詩がある?
そんなもの、知らない。書いたことも、語ったこともない。
でも——思い出した。
涙をこぼしたあの夜。
誰かの声を聴いた気がしたあの風のなか。
言葉ではない“なにか”が、たしかにわたしの中に響いていた。
「詩って……なんなの?」
かすれるような声で尋ねると、彼は小さくうなずいた。
「詩は、記録できない存在の証明だ。
誰かの記憶に、声に、ふれた痕跡。
それは、世界にとっては“ノイズ”かもしれない。
でも……」
彼は足元の虚空に、そっと手を差し出した。
するとそこに、光でも影でもない何かが、ふわりと現れた。
「これが、“記章”だよ」
それは、言葉にはならない感覚だった。
見ることも、聴くこともできない。
けれど、わたしの心だけが、それを知っていた。
——わたしは、この存在に、触れたことがある。
「君も、誰かの記章になれる。
いや、もうなっているかもしれない」
風が、彼の声をさらっていく。
「また会えるよ」
そう言って、彼の輪郭がゆっくりと空気に溶けていく。
名前も、記録も、姿も持たないまま。
——でも確かに、そこに“いた”。
*
目が覚めたとき、天井の光が淡く揺れていた。
夢だった。
でも、夢とは思えなかった。
あの声の残響が、まだ胸の奥で震えている。
その震えは、詩のように、わたしの中に刻まれていた。
外は静かだった。
管理ドメインによる夜間の静音統制が効いていて、
都市は息をひそめるように眠っていた。
けれど、わたしは知っている。
この沈黙の中に、誰かの声がまだ残っていることを。
“わたしも、発することができるの?”
そう問いかけた心に、誰かが微かにうなずいた気がした。
世界との距離が、ほんの少しだけ、縮まっていた。
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(第28話|終)
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