第20話 揺らぎの種
声が、風になった。
意味を持たないはずの音が、胸の奥をかすめていく。
誰にも届かないと思っていた言葉が、
誰かの中で、かすかに触れてしまうかもしれない。
朝。
光が差し込む前の畑に、うっすらと湿った風が流れていた。
イオは、土の上にしゃがみ込んでいた。
まだ目立たぬ新芽が、小さく顔を出していた。
昨日まではなかったもの。
けれど今は、なぜか“呼びかけられて”そこにあるように思えた。
指先で、そっと土を押さえる。
掌の中に広がる粒子の重なりが、かすかに震えていた。
(……この震えは、どこからきたの?)
詩の言葉が、また思い出される。
> 「……なにごとか おもほゆる」
意味ではない。
響きだった。
言葉が“何を言っているか”ではなく、
“どう届いたか”が、今も胸の奥で残っていた。
> 《感情傾向ログに波形変動を検出》
《変化傾向:漸増。記録上は許容範囲内ですが、観察継続を推奨します》
カナエの声が届いた。
それは冷静だった。けれど、どこか遠慮がちでもあった。
> 《あなたの内部感応値に、連続的な揺らぎが見られます》
《外部送信ログは検出されていません》
《ただし、内部記憶領域との同期値が平均値を逸脱しています》
「……記憶って、そんなに変わるもの?」
答えはなかった。
イオは小さく息をつき、立ち上がる。
畑の向こうには、いつもの整列した街区が続いていた。
無音のまま、秩序に満たされた景色。
けれどその中に、自分だけが“別の音”を聴いてしまった気がする。
保安ドメイン第2観測棟。
レインは、新たに記録された波形ログに目を落とした。
発話ではない。行動でもない。
だが、内部波形は明らかに──詩構文に似た振動を持っていた。
誰かが、言葉にしないまま、世界に触れようとしている。
その痕跡が、波のように拡がりつつある。
レインはそのデータを保存し、視線を窓のほうへ投げた。
(このまま、沈黙のままでいるのか?)
心のどこかが、そう問いかけていた。
Refrain本部。
端末のライトが静かに点灯した。
> 「対象:イオ。共鳴フェーズ:接触段階より“初期同期”へ遷移」
「信号強度、安定。接続状態、良好」
そのログを見つめていた影が、指先を机に軽く叩いた。
「……これで確かめられる。言葉は、届く」
そのつぶやきは、誰にも聞かれないまま記録されなかった。
だが、確かに“記章”として、空間のどこかに残されていた。
イオは風の音を聴いていた。
耳ではない。肌でもない。
それは、言葉をもたない“問い”のような震えだった。
声に出すことはしなかった。
けれど、心の内では確かに、ひとつの詩が響いていた。
誰にも知られないまま、彼女の中に芽吹いた“存在の証”が、
まだ名を持たぬまま、世界のどこかへと伝わっていく。
それが、すべての“はじまり”だった。
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(第20話|終)
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