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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め 第4章 にぶい鼓動

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第19話 触れた証

夜。

窓の外には、人工的な光の粒が浮かんでいた。

街は霧に沈み、その輪郭を薄くぼかしている。


イオは端末を開いた。

そこに、ひとつの警告が点灯していた。


> 《感情波形ログ:分類不能データの蓄積を検出》

《発生源:自由対話モード中の発声記録に由来》

《外部送信ログ:検出されず》

《推奨処理:抑制対象外。記録保留に移行》




「……送ってないのに」


思わずつぶやいた声に、カナエが一拍置いて応えた。


> 《送信ログは確認されていません》

《ただし、対象波形は通信波に類似する変調を含んでいます》

《内部共鳴値が一定閾値を超過した可能性あり》




通信波。共鳴値。

言葉は難解だった。けれどイオの中には、それよりも確かな感覚があった。


「届いたんだと思う。あの声……」


それは、どこにも記録されていないはずの詩。

ただひとこと、胸の奥からこぼれたその“聲”が、空気を震わせた。

その震えが、誰かのもとへ届いた──そう確信していた。


それは意識でも、回線でも、物理でもない。

けれど、“触れた”という感覚だけが、静かに残っていた。


カナエはそれ以上、何も言わなかった。

だがその沈黙もまた、否定ではなく、肯定に近いものとして響いていた。


イオは窓の外を見つめた。

街は相変わらず静かだった。

けれどその静けさの奥に、わずかに“震え”が混じっている気がした。

目には見えないが、どこかが変わり始めている。

そんな気配が、確かに空気に含まれていた。



保安ドメイン第2観測棟。

端末に記録された共鳴ログに、レインは指先で印をつけた。

「逸脱候補:イオ」──そのラベルが、正式に昇格される。

要観察対象。

静かに、だが確実に、監視の段階は変わった。


レインはその画面を閉じ、席を離れた。

小さな揺らぎが、秩序の水面に広がりはじめていた。



遠く離れた都市の管理施設。

無機質な部屋の片隅で、ひとりの少年が眠っていた。


その名はない。

記録上のコードは、β(ベータ)。


出生情報も、家族記録も未登録。

生活行動は定時シフト化され、感情干渉は抑制下にある。

今日もまた、変わらぬ規定の眠りが、彼の中に続いていた。


……けれど今夜だけは、違った。


深い夢の底で、なにかが“触れた”。


言葉にはならなかった。

名前も、形もなかった。

ただ、ひとつの“聲”が胸のどこかを掠めていった。


その一瞬、彼のまぶたがわずかに動いた。

眉がかすかに寄せられ、手が布地をきゅっと握った。


また、眠りに沈む。

だが、確かに“触れた”のだ。誰も気づかないその痕跡が、

静かに彼の内部に息づいていた。



Refrain本部。

共鳴端末がもう一度、点灯した。


> 「対象:β。初期共鳴反応、波形感応域に達しました」

「記章干渉、第一フェーズ通過」




その報告に、奥の影がひとり、立ち上がる。


「……予想より早いな。接触を始めよう」


低くつぶやかれた声が、暗号化された経路を通じて、静かに送信された。

──記章がひとつ、触れた。

そして、誰かがそれに応答した。



---


(第19話|終)


読んでいただいてありがとうございます。

毎週火・木・土曜日の20:00頃に更新しています。

続きが気になる方はブックマークをよろしくお願いします。

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