第18話 交差する気配
風が、丘の斜面を斜めに抜けていった。
イオは、ゆっくりと歩いていた。
太陽は高く、街の整然とした区画を照らしている。けれどその風だけは、どこか“記録されない気配”を帯びていた。
(……あの言葉、まだ残ってる)
> 「なにごとか おもほゆる」
声にしたのは昨日だった。
けれど今も、胸の奥で誰かの囁きのように反響していた。
彼女の手には、給水端末で受け取ったカップがあった。
それを包む手の温度が、なぜか“内側”から変わっているように感じられた。
無味無臭の水。けれどその冷たさは、どこかにひびくものを連れてきた。
ふと、歩道の先に影がひとつ動いた。
黒いフードの人物だった。
年齢は、自分とそう変わらないように見える。
姿勢はまっすぐ。けれど風に対して、顔をわずかに伏せていた。
イオは歩みを止めない。
ただ、すれ違うだけ──そう思っていた。
だが、すれ違いざまに、彼は一歩だけ、その足を止めた。
声はなかった。
けれど、次の瞬間、イオの中で“誰かの言葉”がふと浮かび上がった。
> 「詩ってのはな、お前の奥で光るものを連れてくる」
声ではない。振動でもない。
それは言葉のかたちを借りた、何か深層の“気配”だった。
胸が、きゅっと縮む。
イオは反射的に振り返った。
けれど、そこにはもう誰もいなかった。
誰も見ていない、誰も話していない。
それでも、確かに“触れられた”感覚だけが残っていた。
> 《非標準接触ログの痕跡を検出。交信識別不能》
《警戒レベル上昇。状況の再解析を推奨します》
《──自由対話モードを保ちます》
カナエの声が届いた。
それは抑制ではなく、“共に見ていた”ことを伝えるような応答だった。
イオは歩を止めたまま、しばらくその場に立ち尽くした。
風が衣服をかすめていく。その風の粒子に、誰かの息が混じっている気がした。
(詩って……ひとりじゃないんだ)
そう思ったとき、自分の中にあった“孤独”という言葉が、ほんのわずかにほどけた気がした。
誰かに“見られていた”のではない。
“呼ばれた”のだ。そう、確かに感じた。
その頃、保安ドメインの監視網には小さな異常が記録されていた。
詩構文との類似率の高い微弱波形──それは既存分類に収まらず、
あらゆる応答が保留のまま、警告レベルだけがひとつ上昇した。
Refrain拠点の静かな一角。
監視端末のひとつが、低く点滅した。
> 「対象:イオ。共鳴値、接触閾値を突破」
「感応ルート起動、準備フェーズへ移行」
その報告に、誰かが小さくうなずいた。
──“記章”が、ひとつ、他者に届いた。
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(第18話|終)
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