第25話 くうかんの詩法
イオは、紙の上にそっと手を置いた。
筆記具は使わない。圧だけが、かすかな“線”として紙に沈む。
音も意味もない。だが、触れれば分かる。
——ここに“誰かがいた”と。
線は円にも四角にもならず、どの文字体系にも属さない。
けれど、震えの重なりがかたちを帯びるたび、それは誰かの呼吸と結びついて、輪郭のない楽譜になった。
「……届くはずがなくても、届いてしまうことがある」
声に出さず、胸の内で言い聞かせる。
それが、今の彼女にとっての希望ではなく、“事実”のように感じられたからだ。
彼女は紙を折り、風の継ぎ目へとそっと差し入れる。
空気がわずかに揺れ、紙が呼吸を吸い込むように沈黙した。
* * *
レインは、通路に挟まっていた紙片を指先でなぞっていた。
そこには薄い圧痕があった。ペンではない、熱でもない、“触れた”だけの痕。
目で読むのではない。
指で、空気で、呼吸で読む“詩”。
言葉では捉えられないのに、確かに“方向”がある。
導かれるように、彼はその線の軌跡をたどった。
(——これは、返事だ)
誰かの震えに、自分の震えを重ねる。
線が触れ合い、混ざり合い、ただのノイズではない“合意”をつくりはじめる。
レインは新しい紙を取り出し、文字ではなく、一本の震える線を返した。
それをどこに置けばいいのか、なぜ置くのかも、もう説明できない。
けれど、置くことこそが「ここにいる」という行為であり、詩だった。
* * *
イオは、風の通り道で紙に触れる。
そこに、微かな圧の重なりがあった。自分のものではない、異質な震え。
「……読んでくれたのね」
独白は、すぐに空気に溶けた。
けれど、もう言葉は必要なかった。
彼女は理解する。
詩とは、“空間の中に残る存在のかたち”だ。
紙でも、音でも、意味でもなく、
風と壁と温度差が“記憶した”震えに、誰かがふれかえすこと。
そして、そのふれかえしが“形式”をつくる。
——それを、イオは心の中で「くうかんの詩法」と呼んだ。
* * *
レインは、応答の波形を端末に保存しなかった。
これは記録ではない。
記録できないからこそ、いま確かに在るものだと知ってしまったからだ。
胸ポケットの紙が、風もないのにわずかに揺れた。
それだけで十分だった。
世界のどこかで、自分と同じ震えを拾い上げ、返してくれる誰かがいる。
彼は歩き出す。
“くうかんの詩法”を頼りに、次の継ぎ目へ。
* * *
イオもまた、指先で空気をなぞる。
そこに書かれたものは、目には見えない。
けれど、触れた者だけが“読む”ことができる。
——これは、言葉を使わない会話だ。
二人はまだ互いを知らない。
名前も、声も、姿も届かない。
けれど、空間だけが確かに覚えている。
ここに、詩があったことを。
そして、それにふれかえした“誰か”がいたことを。
これが、くうかんの詩法。
言葉よりも静かに、確かに通じ合うための、最初の形式。




