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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第1部 静かな目覚め 第2章 ろくでもない世界で

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第10話|ひそかな声

夜。

白い街の照明が落ち、静寂がすべてを覆っていた。

それは「眠り」ではなく、「停止」に近い。

動きも、光も、感情も、沈黙のプログラムに従って凍結されていく。


その中で、イオは目を開けていた。


割り当てられた居住室。

整然としたベッド。壁。冷たい白い天井。

何ひとつ異常のない完璧な空間。

それなのに、イオの呼吸は乱れていた。


わけもなく胸がざわつく。

涙が出るわけでもない。

でも、身体の奥がうまく収まらない。


(……声が、ある気がする)


誰かの声ではなかった。

言葉として聞こえるわけでもなかった。

ただ、心の奥で「誰か」が何かを話しかけてくるような感触。


それはとても静かで、でも消えずに残る“気配”だった。


イオはゆっくりと起き上がり、毛布を膝の上に落とした。

空調は微弱に作動しているが、風も温度も感じない。


ただ、自分の呼吸だけが、この空間にあった。


そして——


小さく、かすかに、イオは声を発した。


「……ここに、いるよ」


誰にも届かない声。

意味を持たない、ただの“音”。

でも、それは確かに、自分の中から生まれた言葉だった。


音が空間を撫でる。

揺れでもなく、響きでもなく、もっと微細な震え。


空気の中で、何かがほんのわずかに軋んだ。


その瞬間——遠く離れた場所で、目を開いた者がいた。


黒衣のフードを被った少年。

書架の影に身を潜めるように立つ、色素の薄い金髪。

深く静かな森のような緑の瞳が、薄闇の中で淡く光る。


ライルだった。


彼の衣服は古びていて、どこか宗教的な印象さえ与える。

誰かに見せるためのものではない。

外の世界との接触を拒む者の装い。


彼はそっと息を吸い込んだ。

空気に、異なる成分が混じっていた。


——声。


けれど、それは耳で聞こえるものではなかった。

言葉のかけらが、風にまぎれて胸の奥に触れた。


「……届いた、のか?」


ライルの唇がわずかに動く。


目を伏せると、袖の下から黒い布を取り出した。

レジスタンスから渡された“共鳴布”。

詩的干渉を受信する微細な繊維が編み込まれている。


その布が、震えていた。


誰かが、まだ言葉にならない声を——

ただの存在の余韻を——

この夜の空気に乗せて発したのだ。


それは、訓練された詩でもなければ、意図された干渉でもなかった。

それでも、届いた。


「初期共鳴……成立」


ライルの声は、静かだった。

だが、その指先はわずかに震えていた。


そのとき、別の場所で、別の誰かもまた異常を検知していた。


——レイン。


管理ドメイン実働担当。

監視ユニットを従え、あらゆる逸脱の兆候を観測している男。


管制室のモニターに、揺らぎの波形が一瞬だけ浮かび上がった。


閾値以下。

だが、既知のパターンには一致しない。


彼はゆっくりと端末に手を伸ばし、補正ログを確認する。

そこには、ただ「微振動反応/判別不能」の文字。


目を細める。

唇は結ばれたまま。


制服の襟元まできっちり閉じた漆黒の戦闘服。

冷静な顔立ちの中で、灰色の瞳だけが、わずかに揺れていた。


「現地確認を行う」


それだけを言い残し、彼は席を立った。


誰にも命令されてはいない。

だが、彼の中で何かが動いていた。



---


イオはまだ、自分が何をしたのか知らない。

ただ、目を閉じて、静かに呼吸を整えていた。


(もう一度……言ってみたい)


そう思った。

名前も、意味も持たない言葉を、ただもう一度。


彼女は口を開いた。


「……わたしは……」


その続きを紡ごうとしたとき、ふと空気が揺れた。


目に見えない風が、頬をかすめた。


イオは目を開けた。


何も変わっていないはずの部屋が、どこか遠く感じられた。


——誰かが、どこかで、耳を澄ましている。


そんな気がした。


(第10話|終)


読んでいただいてありがとうございます。

毎週火・木・土曜日の20:00頃に更新していきたいと思います。

今後ともヨロシクお願い致します。


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