プロローグ2 組織
●●●は、とある組織に属する一介の人間だった。
●●●の仕事は単純明快。ただ、殺すだけ。来る日も来る日も、ただただ血にまみれていた。だが、彼は決して組織に忠誠を誓った訳でも、また手渡される莫大な報酬が目当てだった訳でもない。
なぜなら彼は警察の、後に彼曰わく《光》のスパイだったからだ。
●●●は《光》に拘束されていた。従わねば名前入りの顔写真を日本中にばらまかれ、当時彼が人並みに持っていた夢はあまりに儚く消え失せてしまう。
少年時代軽い気持ちでやった物事の代償にしては大き過ぎるが、それでも当時の●●●にしてみれば十分罪滅ぼしの意味を持っていた。
今でもそうだが彼は一部の例外を除く「人間」に価値があるとは思っていなかった。そしてその例外の中には、彼自身もまた入ることは無かったのである。だが人間の「夢」は別だ。可能性。その言葉に当時の●●●は全てをかけていた。
《光》は●●●の社会的な自由と引き換えに、組織への命をかけた潜入を命じた。
●●●の取り柄は、決して人に褒められはしない職に就いた父を手伝った結果、次から次に発生するゴタゴタを片付ける内に身に付いた腕っぷしだけ。そんな彼が組織に近付ける方法など、一つしかない。《光》もそれは承知だったろう。
入ること自体は意外と簡単だった。《光》に身分の偽装を手伝ってもらい、金を渡した内部の人間に紹介を頼むだけ。すると、すぐに仕事が与えられた。
新入りの下っ端=捨て駒という構図が一発で分かる内容。終わっても終わっても次々と降ってわいてくる。だが●●●は死に物狂いでそれら全てをこなしていった。そしてなんとか生き延び続け、組織内でそれなりに名も上がっていった。だが、所詮腕だけでは下っ端止まり。集められる情報も限られる。
組織はいわゆるサイコ集団。異世界への介入とやらを、本気で実現しようとしている。これが●●●が三年間組織に身を置き、殺して殺して殺しまくって命からがら手にした唯一の情報だった。
バカゲテイル。
《光》は●●●に失望した。同時に、彼の命を守る手段に手を抜き始めた。結果、間もなくして組織に正体がばれ、彼は拘束されてしまう。
だがそれによって、彼はそれまでどんな手を尽くしても入る事の出来なかった、閉ざされた一室への潜入に成功する。無論、意図してそこから出る事は叶わないが。
眠らされた●●●は、それからの事を全く覚えていない。ただ数時間後、気が付いた時には周囲は血の海で、変貌した●●●の前には一人の少女が立っていた。
●●●はその少女の事を知っていた。たまにこの建物内で見かける、組織の雰囲気から浮きまくった少女。
名は和泉佳尾。何の用かは知らないが、随分前から頻繁にここへ来ていたらしい。彼女のことは《光》には報告していなかった。どうやら幹部の一人・和泉雄二郎の一人娘らしいが、彼女自身はただの女子高生の筈だからだ。
だったらなおさら、何の用事でこんな犯罪組織に寄っていたのかという話だが。まさか父親に弁当を届けに来ていた訳ではあるまいし。
ともかくその時、その彼女の父親もまた、紅に染まって沈む物体の一つと化していた。だが、そんなものまるで存在しないかのように少女は見向きもせず、●●●に全く物怖じせず両手を差し伸べた。
全てを包み込む、闇の微笑みを浮かべて。
●●●は朦朧とする意識の中、少女に元右手だった前脚を差し出していた。さっきまで沸いていたであろう血の騒ぎが収まるのが分かる。
静かに、心が彼女の微笑の中に沈んでゆく。こんなに落ち着けたのは、果たして何年ぶりだろうか。●●●は首筋に異物が装着される金属音を聞きながら目を閉じた。
「よろしくね、月影」
その言葉を合図に●●●の意識は深く沈み、そして――その頭から、ありとあらゆる記憶が消え去った。