5 真珠湾第二次攻撃問題(2)
もう一つの問題は、真珠湾を軍港設備まで完膚なきまでに破壊したとしても、それがアメリカの造船能力を始めとする工業力には何の影響も与えないということである。
確かに、真珠湾には工廠設備が整えられており、珊瑚海海戦後のヨークタウンがとにもかくにも三日で修理を終えたように、日本のトラック泊地以上の設備を誇っていたことは事実である。
しかし、真珠湾の工廠施設では造船までは出来なかった。造船用ドックまでは整備したものの、ハワイに運ばれる資材の量の問題から、造船までは出来なかったのである。
また、修理能力も限定的といえた(もちろん、やはり日本のものと比べれば段違いであるが)。
例えば、1943年12月のマーシャル沖航空戦で被雷したレキシントンⅡは、真珠湾で応急修理をした後に西海岸のピュージェット・サウンド海軍工廠まで退いているのだ。
損傷艦艇に対する限定的な修理能力であれば、アメリカ海軍には事欠かない。
何しろ、日本海軍の純粋な工作艦が明石一隻だけであったのに対し、アメリカは十四隻もの工作艦を就役させているのだ。さらに、応急修理程度ならば行える補助的な工作艦(アメリカではこれを「戦闘損傷復旧艦」と呼んだ)も十二隻、建造している。
そして、巨大な移動式浮きドックも多数、生産している。中には、戦艦すら入渠可能な十万トン級の移動式浮きドック「ABSD」も存在する。
その他、細々とした後方支援艦艇、支援設備を多数、アメリカ海軍は備えていた。
前線での修理能力は、日本の明石などとは比較にならない装備、体制をアメリカは整えていたのである。
真珠湾の工廠設備が壊滅することはアメリカにとって確かに痛手ではあるが、致命的なものではない。
さらに真珠湾には工廠設備、重油タンクの他に、ルアルアレイ送信基地、ワヒアワ受信基地といった優れた通信設備が備えられていた。
暗号解読などを行う戦闘情報班がハワイに置かれていたことからも明らかなように、通信という面でも真珠湾は重要な拠点であった。
この通信設備が生き残っている限り、工廠としてはともかく、太平洋艦隊司令部としての真珠湾の価値が損なわれることはないだろう。
結果として、真珠湾が壊滅したとしても泊地はラハイナに移し、艦隊司令部はそのまま真珠湾に留まる、という形でアメリカはハワイの基地施設の再建に乗り出す可能性が高い。
もし仮にこの事態を日本側、特に山本五十六が重視した場合、史実で彼が立案したハワイ攻略作戦は、ラハイナ泊地空襲作戦という形になるかもしれない。
真珠湾攻撃を、今度はラハイナ泊地で再現しようというわけである。
恐らく、史実ミッドウェー海戦が行われるあたりの時期に、ラハイナ泊地空襲作戦が行われるだろう。
しかし、開戦劈頭の奇襲攻撃となった真珠湾と違い、ラハイナ泊地空襲は完全な強襲となることは間違いない。
そして、真珠湾攻撃時にエンタープライズを撃沈したとしても、未だアメリカにはヨークタウン、ホーネットが残っている。珊瑚海海戦に相当する海戦が行われなければ、レキシントンも健在だろう。
史実では1942年6月6日に真珠湾に戻ってきたサラトガも、アメリカ側が何としてでもこれ以上のハワイ攻撃を阻止しようとすれば、史実ヨークタウンのように修理を早めて戦線に復帰させるだろう。
そうなると、日本側が五航戦の翔鶴、瑞鶴を一航艦に加えていたとしても、6対4の空母決戦となる。
日本側はハワイの基地航空隊も相手にしなければならないわけであるから、状況としては史実ミッドウェーと同じだろう。
仮に、たとえば拙作「暁のミッドウェー」のように龍驤、隼鷹、瑞鳳、祥鳳に基地航空隊の相手をさせるとしても、海戦が日本側の圧勝に終わるとは考えにくい。
米空母部隊を排除して基地施設を拡充中のラハイナ泊地を破壊出来たとして、ようやく米艦隊を西海岸にまで追いやれるといったところだろう。
ここまで出来れば、ある程度、戦局の先行きに対する光明は見えてきそうな感じではあるが、やはり戦術的勝利に留まりそうな気がしてならない。
何故ならば、日本の輸送船を壊滅に追いやったアメリカの潜水艦は、オーストラリアのブリスベンとフリーマントルを主な拠点にしていたからである。
真珠湾、ラハイナ泊地と合せて、こちらも叩かなければ日本の長期不敗体制は安泰とは言えないのだ。
真珠湾第二次攻撃は確かに魅力的な題材ではあるものの、結局のところ緒戦における戦術的な勝利の一つに過ぎないとも考えられるのである。
その勝利をどのように戦争終結に結びつけていくのか、最終的にはそうした根本的な日本の戦争指導方針に関する問題へと行き着いてしまう。
まず始めに真珠湾攻撃のIFを論じてみましたが、初っ端から苦い結論に至ってしまいました。
正直、アメリカの側から講和を持ち出してくることに期待をかける日本の戦争指導方針そのものに問題があるような気がしてならないので、どうしてもこうした結論しか考えることが出来ません。
架空戦記小説で講和問題についてのIFを詳細に描写した作品というのは、浅学ながら存じ上げておりません。
かわぐちかいじ先生の『ジパング』はミッドウェー海戦敗北から物語を始めて、未来知識を使って対米講和に持ち込もうと奮闘する登場人物たちを描いておりますが、肝心の講和問題の描写はほとんど描かれておりません。
架空戦記と言えるかは判りませんが、このIFを詳細に検討したのは保阪正康『幻の終戦 もしミッドウェー海戦で戦争をやめていたら』(中央公論社、2001年)くらいなものかと思います。
それほどまでに、このIFを論じることは難しいことなのでしょう。
私自身、このIFについての考察には苦戦しております。