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大日本帝国のIFと架空戦記創作論  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞


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40 日本の植民地(1)

 戦前期の日本と現代の日本との違いは様々に存在するが、国土という面に注目すると植民地の有無が最大の差異といえるだろう。

 現在でも「海外領土」という名の植民地と、その宗主国は様々に存在する。

 有名どころで言えば、独立をめぐる投票や中国の進出などがニュースで取り沙汰されたニューカレドニア(宗主国フランス)などである。

 しかし、日本は敗戦と共にすべての植民地を失い、千島列島など本来の領土の一部すらも失ってしまった。


 戦前期の日本は、植民地として台湾、朝鮮を領有していた。

 この他、租借地として関東州、準内地として南樺太、国際連盟の委任統治領として南洋群島が、広い意味での日本の「植民地」であったといえる。これらを戦前期では内地に対比して外地と呼称していた。

 各地域の面積を記載すると、次のようになる。


台湾……約3万5824平方キロメートル(他、澎湖諸島126.86平方キロメートル)

朝鮮……約22万791平方キロメートル

関東州……約3462平方キロメートル

南樺太……約3万6090平方キロメートル

南洋群島……約2148平方キロメートル


 現在の日本の国土面積がおよそ37万7973平方キロメートルであるから、それなりの植民地を領有していたといえる。もちろんイギリスなどには及ぶべくもないが、日本もまた植民地帝国であったことは確かであろう。

 ちなみに、先ほど言及した千島列島の面積は約1万213平方キロメートルで、沖縄本島を含む琉球諸島が約2386平方キロメートルであるから、いかに敗戦によって失われた本来の領土が大きいかが判る。


 さて、植民地支配の是非は現代的な問題であるので、ここでそれを論じるつもりはない。

 ここでは大日本帝国のIFを論じたいわけであるから、植民地に関してもその可能性と限界について考察していくこととしたい。

 そのため、総督府などの統治機構についての言及も最小限度とする。


 アイヌ民族や琉球処分などの問題をひとまず置いておくことにすると、日本最初の植民地は台湾および澎湖諸島である。

 この二つの地域は1895年、日清戦争の講和条約である下関条約によって獲得した。

 ただし、条約によってすんなり日本の植民地になったかといえば、そうではない。

 歴史学者の間では日清戦争の期間について様々な論争がなされているが、特に戦争の終結時期の判断を難しくしているのは、講和条約批准後も台湾での戦闘が続いていたからである。


 台湾での日本への抵抗運動はいったんは鎮定され、1923年4月には当時皇太子であった昭和天皇の行啓が実現するなどその植民地統治は安定しているかに見えたが、1930年10月、霧社事件が発生する。

 この事件は、公学校の運動会が襲撃され10歳以下の子供50人以上を含む日本人134名が殺害されるなど、成功と思われていた台湾の植民地支配が実はそうではなかったことを示すものであった。

 蜂起したセデック族の側も日本の鎮圧作戦で凄惨な運命を辿ったが、植民地支配の実態とその難しさを感じさせる事件である。

 1930年というとロンドン海軍軍縮条約が締結された年であり、10月といえば条約の批准が行われた時期にあたる。その背後では、このような事件が発生していたのである。


 続いて、1910年の韓国併合条約によって日本二つ目の植民地となった朝鮮について見ていく。

 併合前の朝鮮は「大韓帝国」という一つの国家であり、植民地化によって滅亡したという意味では、インドのムガール帝国やハワイ王国など他の多くの王朝と同じである。

 ただ面白いのは皇帝や皇族が、ムガール帝国最後の皇帝バハードゥル・シャー二世やハワイ王国最後の王リリウオカラニ女王などのように反乱容疑で逮捕されて失意の内に亡くなるといったことにはならず、「朝鮮王公族」として朝鮮皇室(王室)が準皇族として日本に迎え入れられたことである。


 このあたりは、「大日本帝国が現代まで存続していたら」という問題を考えたり、そうしたIF小説を執筆する際の設定として色々と使い道があるように感じる。

 現代の日本と半島との関係とはまったく違う関係が生まれていた可能性は、十分にある。


 とはいえ、伊藤博文が併合に反対していたことからも判るように、当時の大韓帝国は財政破綻寸前の状況であり、併合前の韓国の財政規模は500万元と江戸幕府以下という有り様だった。

 結局、併合によって破綻寸前の韓国財政を日本が肩代わりする結果となり、4559万106円もの大韓帝国政府の債務を日本が引き継ぐことになってしまう(内、1478万2623円が日本からの債務)。

 併合した1910年、日本は歳出5億7000万円の内、1200万円を韓国のために投じなければならなかったのである。

 当たり前だが、日本からの債務分は日本が併合したためにそのまま踏み倒されている。

 結局、一般会計から朝鮮への支出はその後も継続され、1919年を除いて日本は毎年、朝鮮に対して補助金を支給しなければならなかった。

 植民地統治の開始から10年で日本に利益を還元し始めた台湾とは、大きな違いである。

 これもまた、植民地統治の難しさを象徴しているといえよう。


 関東州については、この土地単体ではなく満鉄や附属地、土地商租権といった外交問題が中心となるので、純粋な植民地支配というよりも他国に持つ利権の運営と言った方が良いだろう。そのため、植民地支配の項とは分けて論じる機会を設けたい。

 いずれにせよ、やはり他国に持つ利権を運営する難しさを実感せざるを得ない内容となるだろう。


 そうなると、一番牧歌的に見えるのが国際連盟の委任統治領となった南洋群島ということになるが、これらの島々は後に太平洋戦争の激戦地となり、民間人や現地島民も巻き込んだ凄惨な戦闘の現場となる。

 いずれにせよ、悲劇的な結末しか存在しない。


 敗戦国の悲哀と言ってしまえばそれまでだが、やはり別の未来があったのではないかという思いは拭いがたく存在している。


  主要参考文献

石森大和・吉岡政徳編著『南太平洋を知るための58章』(明石書店、2010年)

石森大和・丹羽典生編著『太平洋諸島の歴史を知るための60章』(明石書店、2019年)

井上亮『忘れられた島々 「南洋群島」の現代史』(平凡社、2015年)

印東道子編著『ミクロネシアを知るための58章』(明石書店、2005年)

大江志乃夫ほか編『岩波講座 近代日本と植民地』全8巻(岩波書店、1992年~1993年)

木村光彦『日本統治下の朝鮮』(中央公論新社、2018年)

新城道彦『朝鮮王公族』(中央公論新社、2015年)

等松春夫『日本帝国と委任統治』(名古屋大学出版会、2011年)

前田廉孝『塩と帝国』(名古屋大学出版会、2022年)

矢内原忠雄『南洋群島の研究』(岩波書店、1935年)

山本真鳥編『世界各国史27 オセアニア史』(山川出版社、2000年)

山本有造『日本植民地経済史研究』(名古屋大学出版会、1992年)

若林宣『帝国日本の交通網』(青弓社、2016年)

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