4 真珠湾第二次攻撃問題(1)
真珠湾第二次攻撃問題については古くから架空戦記小説で論じられてきた題材であり、そもそも日本側、特に第一航空艦隊司令部に第二次攻撃を行って重油タンクやドックを始めとする真珠湾の軍港施設を破壊する意図があったのかどうかについては、佐藤大輔氏が『真珠湾の暁』(徳間書店、2002年)で論じているので、ここでは割愛する。
ある程度の損害は覚悟で真珠湾第二次攻撃を行うという形に史実を改変したいのならば最初から命令を出しておくべきであったろうし、もしそれでアメリカ側の反撃を受けて大損害をこうむってしまえば、逆に後世で「なぜ奇襲が成功したことに満足して引き上げず、第二次攻撃を行ってしまったのか?」という我々の歴史とは真逆の議論が巻き起こるだろう。
ただ、戦争全体という視点で見ると、仮に第二次攻撃が成功して真珠湾を完膚なきまでに叩きのめしたとして、どこまで影響があるのかは疑問とせざるを得ない。
チェスター・ニミッツは450万バレルの重油が入った燃料タンクを日本が見逃したことについて、「長いことかかって蓄積した燃料の貯蔵は、米国の欧州に対する約束から考えた場合、ほとんどかけがえのないものであった。この燃料がなかったならば、艦隊は数カ月にわたって、真珠湾から作戦をおこすことは不可能であったであろう。」(C・W・ニミッツ、E・B・ポッター共著、実松譲、冨永謙吾共訳『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1962年、23頁)と述べているが、逆に考えれば数ヶ月の時間稼ぎにしかならなかったという意味でもある。
佐藤大輔氏も前掲書において、「大量建造された〈ガトー〉級潜水艦が勇猛果敢な艦長たちに率いられて日本の輸送船を片っ端から沈め始めるまではかなりいい勝負ができたかもしれない」(44頁)と述べている。
つまり、第二次攻撃が成功して戦術的な大成功を収めたとしても、それが戦略的な勝利にまでは結び付かないということだ。
ここではさらに、第二次攻撃成功の理想的な形として「真珠湾壊滅、近海にいたエンタープライズも首尾よく捕捉、撃沈出来た」という仮定で論じてみたいと思う。
実際、源田実などは戦後のインタビューにおいて、淵田美津雄と共にハワイ近海に数日間とどまってでも米空母を捕捉する覚悟であったと語っている(ゴードン・W・プランゲ著、千早正隆訳『トラトラトラ 太平洋戦争はこうして始まった』並木書房、1991年、343頁)。
流石にエンタープライズ撃沈までは日本側にとってご都合主義にすぎるとは思うが、そもそも史実で真珠湾奇襲攻撃が成功したのもご都合主義じみているのだから、多少、日本側に甘く考えても問題ないだろう。
さて、真珠湾の工廠設備まで完全に破壊して、重油タンクから漏れた油が真珠湾に流入したとすると、真珠湾は艦隊基地として長期間、使用不能となるだろう。
現代でも海に流出した石油の撤去には困難が伴うのだから、いかにアメリカとはいえ1940年代の技術で、それも何万バレルという大量の重油を回収して、短期間に真珠湾を完全に復旧させるのは不可能と考えて良い。
では、それでアメリカは太平洋艦隊の拠点を真珠湾復旧まで西海岸のサンディエゴに戻すのかどうかとなると、これは非常に疑問だと考えざるを得ない。
真珠湾攻撃の際、南雲艦隊がマウイ島ラハイナ泊地の状況を偵察で確認しているように、ハワイ諸島にはまだ、艦隊泊地として適した場所が存在しているのである。
政治的にも、奇襲を許した上にハワイを放棄するような選択肢は選べないだろう。
もちろん、真珠湾とラハイナ泊地とでは軍港としての設備に雲泥の差があるから、真珠湾が壊滅したからといってラハイナ泊地がその完全な代替とはなり得ない。
しかし、ここで参考になるのがガ島攻防戦の際の米軍の南太平洋の拠点・ニューカレドニアの港湾設備の整備拡張状況である。
フランス領ニューカレドニア首府ヌーメアの港湾設備の整備拡張をアメリカが本格的に開始したのが、1942年6月。フランス統治時代の水道、送電線を拡充するといったインフラ整備に始まり、各種兵站設備、貯油施設、物資集積所、兵員居住施設、野戦病院、さらには大規模な艦船修理施設までもが1943年前後までに整えられているのだ。
ヌーメアはその後も南太平洋における重要な後方支援基地とされたことから、1944年以降も港湾施設の整備拡張が続けられている。
つまり、アメリカがその国力を惜しみなく投入して艦隊基地を整備しようと思えば、太平洋艦隊全体を養うための工事はヌーメア以上となるだろうが、ラハイナ泊は少なくとも1943年中盤あたりまでに真珠湾に代わる太平洋艦隊の拠点としての設備を整えることが可能と考えられるのである。
一年から一年半の猶予を日本側は得ることになったとしても、その頃にはアメリカもノースカロライナ級、サウスダコタ級の全艦に加えて、アイオワ級もアイオワ、ニュージャージーまでが竣工、エセックス級も四隻、インディペンデンス級も四隻を竣工させている。
史実においてアメリカが新鋭艦を揃えて対日反攻作戦を本格化させた時期と、仮に真珠湾を壊滅に追いやった際にアメリカがその損害を立て直すと予測される時期はほぼ同時といえるのだ。
主要参考文献
佐藤大輔『真珠湾の暁』(徳間書店、2002年)
外山三郎『大東亜戦争と戦史の教訓』(原書房、1978年)
野村實『海戦史に学ぶ』(祥伝社、2014年)
イアン・トール(村上和久訳)『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで』上下(文藝春秋、2013年)
イアン・トール(村上和久訳)『太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで』上下(文藝春秋、2016年)
ゴードン・W・プランゲ(千早正隆訳)『トラトラトラ 太平洋戦争はこうして始まった』(並木書房、1991年)
C・W・ニミッツ、E・B・ポッター共著(実松譲、冨永謙吾共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』(恒文社、1962年)
真珠湾攻撃が史実以上の成果を収めた架空戦記小説としては、古典的作品となってしまいますが、田中光二先生の『新・太平洋戦記』シリーズが挙げられると思います。
このシリーズは確かに日本海軍が史実よりも善戦するのですが、しかし最終的にはアメリカ海軍に追い込まれていき、最終的には壊滅に至るという実にリアルな物語展開となっています。
田中光二先生の架空戦記小説は荒巻義雄先生のものとはまた違ったSF要素の含まれた作品が多いですが、この『新・太平洋戦紀』シリーズと『海底戦艦イ800』シリーズは日本海軍が相応の打撃を受けながらも善戦していく、というリアリティのある作品でした。