36 明治憲法体制(3)
とはいえ、明治憲法体制を巡る法解釈については、そうした制度を自ら設計した者たちが運用に携わっていた間は大きな問題とはならなかった。
つまり、伊藤博文、山縣有朋ら明治の元勲、元老たちが健在であった内は、そうした歴史に基づく暗黙の了解の方が、法解釈よりも優先されていたといえよう(誰を元老とするかは研究者によって意見が異なり、特に桂太郎や大隈重信の扱いが難しい)。
そして彼らは、明治憲法体制の分権的性格を「維新の元勲」という権威によって補った。権威のみで政治的関与が限定されざるを得ない天皇と違い、元老は実際に政治的にも関与しているのだから、権威と権力を同時に担うことで明治憲法体制の多元性を一つに繋ぎ止める役割を担っていたといえよう。
最後まで生き残っていた元老は1940年に死去した西園寺公望だったが、彼の場合は後から「元老」として追加された存在である。
明治維新や大日本帝国憲法の成立過程に携わった真の意味での元老は、恐らく1922年に死去した山縣有朋が最後だろう。
もちろん、山縣が死んでも松方正義が残っていたものの、彼に山縣ほどの政治能力・調整能力を期待するのは無理であったし、何よりもすでに高齢であった。
そして、「維新を成し遂げた者」としての正統性を持つ者が失われた時、明治憲法体制が抱えていた問題点は一挙に噴出したといえる。
最初に筆者は明治憲法体制の欠陥を多元的な統治制度と言ったが、明治憲法体制下には大まかに分けて五つの統治機構が存在していた。
行政府(内閣、各官庁)、統帥府(参謀本部、海軍軍令部)、立法府(帝国議会)、司法府(大審院など)、諮詢府(枢密院)の五つである。
さらにこの中でも、内閣は総理大臣も含めた全大臣が同列で首相に罷免権はなく、統帥府も参謀本部と海軍軍令部(1933年以降は軍令部と改称)、立法府も貴族院と衆議院で分かれていたから、この五分類はさらに細分化して考えなくてはならない。
こうした多元的、分権的統治体制の弊害が現れ始めたのは、恐らく1912年に発生した二個師団増設問題であろう。
日本陸軍は日露戦争期から師団の増設を目指しており、それまで12個師団であったのが、日露戦争中に動員兵力の限界を補うために第十三師団から第十六師団までの計4個師団が増設された。
日露戦争後には動員兵力不足への反省、ロシアとの再戦の可能性、大陸権益の擁護といった要因から平時25個師団体制が目指されることになる。
この過程の中で起こったのが、二個師団増設のための予算を巡る政府と陸軍との攻防であった。
1907(明治40)年4月19日、最初の帝国国防方針が、用兵綱領、国防所要兵力と共に明治天皇の裁可を受けた。ここで陸軍の平時25個師団、戦時50個師団構想は正式に認められることになったが、問題はこの帝国国防方針の策定過程に内閣がほとんど一切、関与していないことである。
当時の内閣は西園寺公望内閣(第一次)であり、西園寺がこの策定過程において唯一、関わることが出来たのは明治天皇が1907年2月1日、その内容について審議するように下問された時のみであった。
そして彼が閲覧を許されたのは国防所要兵力のみであり、残りの二文書については明治憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」を理由に閲覧を許されなかった。
つまり、策定過程に関わるといっても形式的なものであり、帝国国防方針は政府と統帥部との合意の下で決定されたものではなかったのである。
実際、西園寺は後に原敬に対して「軍の当局者のみの間に於いて決定したるものにて、閣議の決定に非ず」と語っている。
結局、西園寺は国防方針三文書を追認せざるを得ず、明治天皇への奉答に際して「我国財政ノ情況ハ大戦役ノ後ヲ受ケ今俄ニ之カ全部ノ遂行ヲ許ササルモノアリ。願クハ暫ク仮ス時ヲ以テシ国力ト相俟テ緩急ヲ参酌セシメラレンコト」を要望するに留めざるを得なかった。
つまるところ、財政的な裏付けも何もないままに兵力量だけを決定してしまったところに、帝国国防方針の政軍関係における問題点があったのである。
とはいえ、帝国国防方針の創案者である当時参謀本部作戦課の田中義一中佐(後の総理大臣)は、こうした「統帥権の独立」を意図してはいなかった。
田中の目的はそれとはまったく逆で、政戦略の一致、陸海軍の協同を目指していた。当然、策定過程において内閣と協議することも彼は想定していた。
こうした当初の田中構想が実現されず、内閣を排除する形で帝国国防方針が策定されてしまった原因には、山縣有朋の存在がある。
山縣は政敵・伊藤博文の創設した政友会内閣である西園寺内閣の関与を嫌っていたとも、政戦略の中心は元老である自分たちなのだから統帥部だけの審議で良いと考えていたとも、いくつかの説が唱えられている。
こうして政府の関与を拒否し、財政上の裏付けもなく国防所要兵力量を決定してしまったことが、後々まで禍根を残すこととなった。




